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怠け者には毎日が祭日
ignavis semper feriae sunt. 直訳すると「怠けてゐる者たちにとつて、常に、祭日が、ある。」、一般に「怠け者には毎日が祭日」と訳されます。私の座右の銘です。えてして人は座右の銘を唱へるばかりで実践しませんが、私はこれを毎日実行してゐます。 この言葉をローマ古典で読んだことがありませんし、『ギリシア・ラテン引用語辞典』(田中秀央・落合太郎編 岩波書店)にも出典の記載がありません。どこに出てゐる言葉なのですか。
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またまた私です。連投すみません。 最初、イソップ童話にあるという情報があったので、「アリとキリギリス」を連想しました。下のサイトに、「Aesop's Fables in Latin」という書物の64ページにあると書いてありました。 http://audiolatinproverbs.blogspot.jp/2009/07/proverbs-in-aesops-fables-book.html 調べてみると、「De cicada et formica」というタイトルで、「アリとキリギリス」で間違いはなかったのですが、書籍内を閲覧してみたら、本文には「ignavis semper feriae sunt」という語句はなく、単語解説のページ(64ページ)の一番下に四角で囲って大きく書いてありました(本文は65ページ)。 https://books.google.co.jp/books?id=UPqM6WGIkJoC&pg=PA63&lpg=PA63&dq=%22de+cicada+et+formica%22+aesop&source=bl&ots=VZgnIGby5l&sig=GgM2e5PmTRDlJxDeZuBc7JfSL4I&hl=ja&sa=X&ved=0CGUQ6AEwCGoVChMIxea7pdbxxwIVQsemCh2zJQae#v=onepage&q=%22de%20cicada%20et%20formica%22%20aesop&f=false つまりこれも格言の引用で、イソップ童話とは関係がないようです。 次に出てきたのが、エラスムスの「格言集(Adagia)」で、この中に「ignavis semper feriae sunt」という見出しがあります。 http://www.phoenixhollo.com/fr/Simia_aethiops_8.html 下が本文です。 http://www.mlat.uzh.ch/MLS/xfromcc.php?tabelle=Desiderius_Erasmus_cps4&rumpfid=Desiderius_Erasmus_cps4,%20Adagia,%20%20%20%20%20p9,%20%20%202,%201512&id=Desiderius_Erasmus_cps4,%20Adagia,%20%20%20%20%20p9,%20%20%202,%201512&level=&corpus=4¤t_title=%CE%A7%CE%B9%CE%BB%CE%B9%E1%BD%B1%CF%82%20secunda またはこちらでも(PDF/1212ページ)。 http://sites.univ-lyon2.fr/lesmondeshumanistes/wp-content/uploads/2010/09/Adages-tome-2.pdf ダウンロードしたのは下のサイトから(Tome II)。 http://sites.univ-lyon2.fr/lesmondeshumanistes/category/adages-erasme/ 翻訳がないので、内容はよくわかりませんが、異教徒の農民のお祭り騒ぎの話から始まって、キリスト教徒がそれを真似すると宗教の堕落になるとか何とかいう内容のようです。翻訳よろしくお願いします。ただ、冒頭にはこの言葉がテオクリトスによるものと書いてあります。 Theocritus in Bucolicis: Ἀεργοῖς αἰὲν ἑορτά, id est Semper feriae inertibus. それで、さらにその出典を調べたところ、テオクリトスの「牧歌」に出てくることがわかりました。 ἀεργοῖς αἰὲν ἑορτά.Εὐνόα, αἶρε τὸ νῆμα καὶ ἐς μέσον, αἰνόδρυπτε, Every day’s a holiday for people with nothing to do. 下のリンクが開かない場合は、コピーしてアドレスに入れてください。それでもダメな場合は、その下の検索結果の1番目からお願いします。 http://www.loebclassics.com/view/theocritus-poems_i-xxx/2015/pb_LCL028.213.xml https://www.google.co.jp/?hl=ja&gws_rd=cr,ssl&ei=ntjwVabiH-GMmwX6q7SYDA#hl=ja&q=%E1%BC%88%CE%B5%CF%81%CE%B3%CE%BF%E1%BF%96%CF%82+%CE%B1%E1%BC%B0%E1%BD%B2%CE%BD+%E1%BC%91%CE%BF%CF%81%CF%84%E1%BD%B1+Theocritus おそらくこれが大元の出典です。 ******************** 大文字小文字のスレッドは、締め切られるのが少し早すぎました。「grossschreibunng 1532 1540」で検索したところ「ルターの文章語の特徴」という書籍がインターネット・アーカイヴに見つかり、それによると、名詞の第一文字を大文字で印刷することは1532年に始まっています。1539年の版ではさらに増え、1542年にはほとんどの名詞の第一文字が大文字で書かれています。ルターの聖書は、現代ドイツ語の基礎になったと言われますが、ルターはドイツ語表記のいろいろな改革をしています。先のスレッドの回答に書いた、1532年から1540年の間の名詞の大文字表記の急速な増加は、たぶんこのルターの刷新による影響です。政治的な決定ではなく、一人の優れた改革者によるものでした。固有名詞や集団概念、宗教的に重要な語を大文字で書くことはほかの言語でもありますので、その点の起源は同じだと思います。ドイツ語のみ、すべての名詞を大文字で書き始めるようになったのは、以上の事情からでしょう。 Carl Franke著 Grundzüge der Schriftsprache Luthers (1888) 127ページ §130 https://archive.org/stream/grundzgederschr00frangoog#page/n127/mode/2up
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- Tastenkasten_
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>私の質問ページでは(日本語訳なしの)外国語の投稿は違反です。 ラテン語は別かと思いまして。plapota師匠と呼ばれているではありませんか。 >エラスムスの著作にもないやうですが、Tastenkasten_さんの創作句ではありませんか。 私にラテン語の文章が作れるわけがありません。「とぼける 格言」で検索して、まず下のサイトで英語を入手。 http://becom-net.com/category-wise/concern1.shtml この英語を検索して、次のようなサイトを。 https://books.google.co.jp/books?id=EZJoSq45EPQC&pg=PA96&lpg=PA96&dq=%22Who+knows+not+how+to+dissemble+knows+not+how+to+live.%22&source=bl&ots=czl2DJFtsl&sig=d5X6KBFgKGG6xanh0x6Xv4U3vkY&hl=ja&sa=X&ved=0CCAQ6AEwAGoVChMI5JXn1_7zxwIVgd-mCh0WGg-7#v=onepage&q=%22Who%20knows%20not%20how%20to%20dissemble%20knows%20not%20how%20to%20live.%22&f=false http://www.eudict.com/?lang=lateng&word=qui%20nescit%20dissimulare,%20nescit%20vivere 出典は調べてもわかりませんでした。「とぼけることを知らない人は生きていけない。」つまり、「読むのに3時間かかりました」というのもこれに当たります(毎回「3時間」なのですぐにバレます)。 >質問する前に、柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫)を買つてみたのですが、55ページにこんな記載があります。 そこまでお調べになったうえでの御質問だったのですね。エラスムスがテオクリトスのギリシャ語文を引用しているので、ローマではなくギリシャ由来かと思って回答したのですが、もう少しさかのぼれないか試してみました。ドイツ語版のウィキペディアには、テオクリトスの「牧歌」は、シチリア(シケリア)の牧童の歌い交わしを模していると書かれています。そして、特にMimus(古代ローマ劇)から影響を受けているともありました。Mimusは、日常をパロディー化した喜劇で、代表的な作家はソプロンです。プラトンは、このソプロンの劇の芸術性の高さに感動して、アテナイに招待したということです。テオクリトスはソプロンからかなり影響を受けたとのことですが、ソプロンの作品は全く残っていません。ギリシャのドリス方言で書かれていたということですが、もしこういった劇に由来するとしたら、シケリアのギリシャ文学が起源ということになりますね。ただ、原典はもはや確認できません。古代ローマ劇場でギリシャ悲劇や喜劇がラテン語に翻訳されるのは紀元前240年頃らしく、テオクリトスより少しあとなので、テオクリトス自身の創作でないとしたら、ギリシャ語がオリジナルかもしれません。調査はこれが限界のようです。 参考サイト https://de.wikipedia.org/wiki/Theokritos https://de.wikipedia.org/wiki/Theater_der_r%C3%B6mischen_Antike#Mimus_.28seit_2._Jh._v._Chr..29 https://de.wikipedia.org/wiki/Sophron_(Dichter) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B3
お礼
貴重なお時間を割いて調査してくださり、ありがたうございます。 >plapota師匠と呼ばれているではありませんか。 以前アメンホテプさんに申し上げたのですが、いろいろと支障があるだけです。私は外国語を読むのはどれも時間がかかります。本棚はアンチヨコ訳本だらけです。それにしてもTastenkasten_さんの検索能力はすばらしいものです。単純な受売りではなく、内容を批判的に消化したうへで投稿してくださるのも、毎回助かつてゐます。 >プラトンは、このソプロンの劇の芸術性の高さに感動して、アテナイに招待したということです。 プラトンが対話編を書くうへで参考にしたといふ話は有名です。散逸したのが惜しまれます。 >テオクリトス自身の創作でないとしたら、ギリシャ語がオリジナルかもしれません。 いまのところ、古典ではテオクリトス以外には見あたりませんから、さう考へるのが素直に思へます。ローマの諺だといふ一般説は誤りなのかもしれません。ラテン語の格言にはそんなものがかなりあるのではないかと思ひます。
- Tastenkasten_
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>えてして人は座右の銘を唱へるばかりで実践しませんが、私はこれを毎日実行してゐます。 >これから仕事なので 爆笑 もう一つの座右の銘はこれですか? qui nescit dissimulare, nescit vivere 出典は不明です・・・
お礼
追加回答をありがたうございます。 >qui nescit dissimulare, nescit vivere 私の質問ページでは(日本語訳なしの)外国語の投稿は違反です。回答番号2の方のやうに日本語方言でも訳をつけてくだされば助かります。読むのに3時間かかりました。直訳すると「これこれかういふ人は、知らない、偽ることを。彼は知らない、生きることを。」、普通に言ふと「装ふことを知らない者は、生きることを知らない。」ですね。ローマやギリシャの古典はもちろん、エラスムスの著作にもないやうですが、Tastenkasten_さんの創作句ではありませんか。 朝は時間がありませんでしたので、こちらへ続きを書きます。質問する前に、柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫)を買つてみたのですが、55ページにこんな記載があります。 「ローマのことわざに「怠け者にはいつも祭日」というのがあるが、ギリシアにもそういうことわざがあって、テオクリトスがそれを詩の中に利用したのか、それともこれはテオクリトスの創作なのかは断定できない。」 この本は分量が少ないうへに、素人の私でも知つてゐる句がほとんどなので、いままで買はずにゐたのですが、読んでみるとおもしろいコメントもいろいろありました。(「パラえもん」も登場します。)テオクリトスについては、柳沼重剛氏の見解では曖昧な結論になつてゐます。一般的な説にしたがつてローマの諺としてゐます。それで真相はどうなのかと思つて質問した次第です。しかしながらローマ古典の出所がみつからない以上は、Tastenkasten_さんの回答が正しいやうに思はれます。先日のドイツ国歌の東北大学の先生同様に勇み足なのでせうか。
- SPS700
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もう素晴らしい回答があるので、これは寝言です。 長崎で ふゆみなしの しぇっくばたらき (=怠け者の節句働き) というのはこのうらがえしですね。
お礼
いつも人間味にあふれた温かい回答をありがたうございます。 長崎では「ふゆみなし」といふのですね。なんとなく雰囲気がかもしだされてゐる言葉です。「怠け者の節句働き」は天邪鬼なのですか。大多数が働かないときに働くのは貴重な存在のやうな気もします。ユダヤ教やイスラム教の安息日にでかけていけば役にたつかもしれません。私は節句も祭日です。
お礼
いつも詳細な回答をいただきありがたうございます。これから仕事なのでお礼を少しだけ。 >イソップ童話にあるという情報があったので これは初めてうかがひます。古典とは関係がないやうですが、そんな使はれ方もしてゐるのですね。 >エラスムスの「格言集(Adagia)」 はい、これは見てゐます。ギリシャやローマの諺とされるものをさかのぼつても、このエラスムスの著作にまでしかさかのぼれないものが結構あります。今回の言葉もさうなのでせうか。リンク先はチューリッヒ大学(?)のサイトは便利さうです。これからも借用いたします。PDFのほうは以前から利用してゐます。私の場合外国語を読むのはどの言語も膨大な時間を要しますので、わづかしか読んでゐませんが、キリスト教との関連を書いてゐるやうです。エラスムスは当時の体制への批判的同調者で、反体制派ではないのですが、批判内容だけが注目されてルターなどに利用されてしまひます。日本の蜀山人なども似たところがあります。 >テオクリトスの「牧歌」に出てくることがわかりました。 「怠け者には毎日がお祭りね。エウノア、またつむぎ糸を置きっぱなしにしてゐるのね。お仕置きを忘れたの。猫が来てやわらかいところに寝たがるよ。ぼやっとしてないで早く水を持ってきなさい。水が先よ、石鹸を持ってくるなんて。」 (テオクリトス『牧歌』第15歌26-29行 古沢ゆう子訳 京都大学出版局 117ページ) Loebのサイトがあるのも初めて知りました。これはすこぶる重宝します。いまの価格はわからないのですが、昔は1冊3000円程度でずいぶん出費しました。 >おそらくこれが大元の出典です。 一般にローマの諺とされるのですが、結局はこれが結論なのですね。ありがたうございました。 名詞の大文字の件はルターがかかはつてゐるのですか。さきほども書きましたが、影響力は絶大です。
補足
教えて!gooの質問にもベストアンサーがついたやうですので、私も締切ります。先回2回分の回答をいただいてゐますので、ここでベストアンサーにします。SPS700さんは次回かその次あたりにいたします。私は一番回答を選ぶことが多いと思ひます。