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自殺を阻止したくて
私は家族と友人に死にたいと口にする人がいて、自分ならその話を理解してなんとか阻止出来るんじゃないかと思い、情報を集めたり本で勉強したり電話で愚痴を聞いたりというのを2年くらいやっていました。 結果なぜだか自分がうつ状態みたくなり、自殺未遂を図ってしまいました。死にたいと口にしていた人たちは、今はほぼ立ち直りました。 勝手に心配して相手のためになったんだかならないんだかわからないことをやって勝手に疲弊して、自分は何のために生きてきたんだと思いました。 ある人におまえは人を救う力がまだついてなくて結局救えないダメなやつだと落ち込んでいったんだから、まずは自分のことだけ考えてろと言われました。私はカウンセラーでもないし、なぜあんなに必死になっていたのかわからないです。無視して死んでしまったらどうしようと思っていました。他にもいろいろトラブルがありすぎて、嵐が過ぎ去ったあとに呆然としているかんじです。 医者にかかれと突き放したほうが互いのためになったのでしょうか。
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心から大切に思う人だからこそ、親身になって考えてあげられたんだと思います。 あなたがやってきたこと決して無駄なことではないはずです。 むしろあなたのような人が家族または友人にいて、その人達は幸せではないでしょうか。 どちらにしろあなたはその人達の助けになったと思いますよ。
- vansancan
- ベストアンサー率23% (341/1422)
うつはうつるとか言うけど、そういうことなんですよね。 うつになる人の悩みは、出口が無いことが多い。 結局は本人の気持ち次第だったり、 何かをあきらめる心が肝心だったり、 こだわらすに次へ進む勇気だったり、 そんな事ができないがためにうつになるほど悩む。 つまり、うつになるほど悩む人に対して、 真剣に問題解決を考えてあげたり、 悩みを解決に導いてあげたり、 愚痴をすっきりするまで聞いてあげることは、 解決方法にはならないのですね。 でも、気休めにはなっていたと思います。 死にたいと思っていた人の自殺を一分、一秒を遅らせる結果になったと思います。 その自殺を一分、一秒を遅らせたおかげで、 自殺せずに、今は立ち直っている。 ある意味成功してます。 でも、その結果、自分がうつになってはダメですよ。 ミイラとりがミイラになっちゃ。 うつの人に対しての対処法は、 自分がうつにならない程度まで、 親身になってあげる。 医者にかかれ。とも言ってあげるのも大切。 無理のない距離を保つことが一番大切。
お礼
回答ありがとうございます。 うつ状態の人の気持ちを理解しようとしていたら、自分も同じような状態になってしまいました。 自分と相手に線を引くのは悲しいことと思い込んでいたのですが、今の自分ではそうしないと相手と共倒れになるんだと気付きました。無理のない距離で接するのを忘れないようにしようと思います。 ありがとうございました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
いわゆる燃え尽き症候群といわれている状態では。日露戦争で日本海海戦でロシアを破った秋山参謀のように、、あまりにも頭を使いすぎると誰でも陥るのでは。あなたの努力は報いられえいると思います。秋山参謀が日本を救ったように。
お礼
自分がやっていたことが相手にとって救いになっていたかはわかりませんが、教訓は生まれました。 やってきたことがすべて無駄と言われたら私は救われませんでした。私はあなたの言葉に救われました。 ありがとうございました。
- weavaest
- ベストアンサー率15% (157/1020)
せっかく、そこまで苦労しても、その苦労が身に付いていないようですね。経験を踏まえて行動できるように成長していかないと勿体ないですよ。 救える場合もありますし、そうでない場合もあります。今度また同じようなことがあった時は、自身の状態も管理しながら行動できるようになれば良いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 私に足りないのは冷静さと気持ちを切り替える努力だと思います。嘆いているだけではなんにもならないですね。 ありがとうございました。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
結果論で過去を切り取っても何も出ないよ。 貴方は、 身近に存在する死をチラつかせる人。 それらの人たちの不安定を、 私という存在で何とか支え、安定に繋げたい。 そう思ったんだよ。 誰も貴方にそうしてくれと頼んだ訳じゃ無い。 貴方「が」そうしたいと思った。 それは貴方の優しさ。貴方の善意。 ただ、 敢えて結果論をここで持ち出すなら、 相手の為になりたいからこそ。 自分自身を支える事も貴方には大事だった。 貴方という軸、貴方という資本があってこそ。 不安定な相手、 自分が思ったように動かない、伝わらない相手にも、 貴方は自分を見失わずに寄り添う事が出来る。 貴方の場合で言えば、 (貴方から見て)不安定な人たちを支える。 その方向に自分を使い「過ぎて」しまった。 気づいたら・・・ 大事な自分という軸、自分という資本が擦り減っていた。 擦り減るとどうなるか? 支えるというスタンス自体を安定して保てなくなる。 気付いたら、 不安定な人たちの影響(余波)を全身で浴び過ぎて、 それ自体を貴方が「解毒」出来なくなってしまった。 本来なら、 抱えられる範囲で抱えれば良かった。 あくまで、 提供出来る範囲のスペース、 提供出来る範囲の力に於いて、 貴方は「貴方なり」の支えを考えていく事が大事だった。 自分という軸をしっかり見失わずに。 そんな大事な目線の上にある行動であってこそ。 貴方は、 他者を必死に支える作業の中で、 自分自身を少し見失ってしまった。 例えて言うなら、 人の借金を貴方の貯金の中から肩代わりしてあげる。 そういう状態なら、 お金(力)を少し貸しても、 貴方自身はマイナスにはならないじゃない? 貴方の生活は普段通り廻っていく。 今回の貴方の場合は、 身近な人たちを支えなきゃ、何とかしなきゃ・・・ その気持ちが強過ぎて、 気付いたら自らの貯金も使い果たし、 消費者金融に高い金利でお金を借りて、 それを元手に支える方向に力を廻すような。 そんなアンバランスな自転車操業が続いてしまった。 気付いたら・・・ 支える為に借りた消費者金融の利子がどんどん増えて、 貴方は個人的に追い込まれてしまった。 支えているつもりが、 貴方自身が追い込まれてしまった。 今の貴方なら、言っている事が分かるんじゃない? 大切なのは、 あくまで貴方が「出来る範囲」で。 その目線だった。 貴方は出来ない事まで抱えてしまったんだよ。 貴方には、 身近な人の不安定(死の予感)、 それが凄く怖かったんだと思う。 私がもし受け止めなかったら・・・ 彼らはもっと自分を追い込むかもしれない。 貴方は、 実際に悩んでいた彼ら「より」も、 行く末を心配して、そして先回りして何とかしようと思った。 その気持ちが少し強過ぎて、 彼らの不安定を自分の事のように背負い過ぎて、 大事な大事な貴方自身が後回しにされてしまった。 支える事で自分をすり減らし過ぎて、 自分自身を整え、自分自身の為に力を使えなくなってしまった。 それでも、 そういう経験をして、 一度は自分を追い込んだ経験を経て、 貴方は今そこにいる訳でしょ? だったら、 これからの貴方は、 もっと自分自身を大切にしていく事。 他者への優しさを心地良く発揮する為にも、 自分という軸、自分という基礎を大切に扱う事。 貴方には貴方の「適量」がある。 その大事な目線を無くさないようにね☆
お礼
不安定な相手を支えるには自分自身が不安定過ぎたと思います。 どうしてこうなってしまったか自分でよくわからなくなってしまったんですけど、回答者様が分析してくださった通りです。調子が悪くても夜中の長電話を無視出来なかったし、死にたいと言われれば自分だけがしあわせを感じていいのかと思うようになって、息抜きに出かけても自分だけいい思いしてると辛くなり、楽しむという行為すべてに罪悪感を持つようになってしまいました。 自分を大切にすることが身近な人を安心させることになるということを思い出しました。 回答ありがとうございました。
- may1995
- ベストアンサー率56% (712/1262)
突き放したほうが互いのためになったかどうかは、 それぞれの人たちを知らない為わかりません。 が、もともと多分ですが、そういう風に突き放せる人なら そもそも2年も付き合わないどころか1回付き合ったらもう無理、となって 居留守を使うとか、連絡を取らない、取れないようにするとか 消極的にでも逃げたような気がしますね。 なので、相手のために、という気持ちもあったでしょうが、 もし死なれたら後味が悪すぎるとか、ほおっておけないとか、 自分の気持ちの為、自分のためにも助けようとした、というのじゃないかと。 私も知人にそういう自殺未遂を繰り返すような人物がおりますが、 今薬を飲んだとか、そういう連絡があった時に「医者に行け」とは言えませんでしたね。 とりあえず薬を吐くとかさせたり、そのあと24時間営業のカフェなどに連れて行ったりして 話を聞いたり、私は特にそのためにと勉強をしたりはしなかったものの、 自分が思うように対処しました。 「結局、無意識か意識的かはわからないけれど、死にたくない気持ちがあって、 だから私に連絡をしてくるんだと思う」ともその人に言いました。 ちょっと考えて、多分そうなのかもしれない、と相手もそういってましたし. . . 私と連絡がつかなかった、もしくは連絡をしようとしなかったときの 自殺未遂の話もその後も聞いたりしましたが、(3日間昏睡状態だったようです) 今もし同じような連絡があった場合、私ならですが緊急度や自分の体力や状態、 (たとえば寝込んでたり、徹夜仕事があったりして、どうしても絶対にやらねばならず、 電話なども取らないようにしてるとか)その他でもし対応ができるならしますが、 出来ないときもないとは言えない状態で、 多分今後もそんな感じじゃないかと思います。 変な言い方ですが、結局は自分の為の部分もあると思うのです。 「死なれたらいやだなあ」とか、 「ここで死なれたら自分の責任もあるんじゃないのか」とか、 「もし自分でとめられるものならとめてあげたい」とか、 だいたいこのあたりは自分の気持ちというか、自分の利害関係. . . というとちょっと違うんでしょうけれど、「自分が」どうなるか、自分がどう思うか、とか「自分」のことなんじゃないかと。 もちろん相手の為に、という無私の部分もないとできないことも多いにあるわけですが。 たぶん質問者様はまじめすぎて、(あと、ちょっとそういう精神状態などに ついて学ぶことについても嫌いではないというか、興味のある分野なのかもしれません) のめりこみすぎたのかも。そういう自分を時々離れて「ああ行き過ぎてる」と感じ、 自分がそれこそ今回のような状態になってしまう(自分に心身の危険がある)場合は、 ずるをしてもいい(今日は話し相手は無理だなあ、と居留守とか)、 ということを考えられたらよいのですが。 人を救う力がついてるついてないの問題じゃなく、たとえプロが相手をしてても 自殺願望がある人はそっちに突っ走るときは突っ走るんでしょう。 (私の知人ももともと精神科に通って薬も飲んでいます) 自分のことだけ考えていろとのことですが、これも半分はそうだと思いますが、 「自分のために」相手を助けようとしている部分もあった、という推察をすれば、 完全にそういう付き合いをやめるのが逆に不健全にもなりえるかも。 手を抜いたり、ぐうたらしたり、もう今日は無理だあ、と投げ出す。 明日でいいじゃんと思う。 とか、そういうラフさがプラスされたら、自分のできる範囲で助けられるときは 助けられるのかもしれません。 と、人にえらそうに言えるほどのなにかはできてないことも多々あるんですが。
お礼
回答者様にも自殺願望があるご友人がいるんですね。駆けつけてくれて対応してくれて、ご友人は嬉しかったと思います。 二人に死なれるのが怖かったです。過去に未遂も起こしていたので、誰からも見放されたと感じたら、今度こそ死ぬかもしれないという恐怖がありました。 自分のためだった、というのは自分が未遂した後にすごく感じました。自分がしてほしかったことを二人にすれば、死なないでくれるかもしれないと思ってました。この人たちを救うために自分は生まれてきたと使命感みたいのを感じていました。 自分の体と心が健康でなければ人を救うことは出来ないと改めて思いました。 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 そう言ってもらえると救われます。対応としては相手にとっても自分にとっても間違いだらけだったのですが、すべてが無駄なわけではなかったなら、やり方を変えてまた頑張って生きようという気持ちになれます。 ありがとうございました。