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クリスチャンの方
私は人にやさしくなれません。暴力的な家庭に育ち、自身も粗暴な人間になってしまいました。悲しいです。 クリスチャンになったら人にやさしくなれますか?
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こんにちわ。 優しい人に接していると優しい気持ちが生まれるのは確かだと思います。暴力的な親御さんでご苦労されたと思いますが、もうそこから立ち直る時期が来ているのでしょう。私はカソリックですが、そういう人が救いを求めても全く違和感を感じません。人は生まれ変わりたい、変わりたいと思う時がその時です。きっかけとしてクリスチャンになることも良いと思います。ただ、神が自分を変えてくれると思わないで、変わっていく強さは自分の中にある、それを後押ししてもらうために時にそういった場所や神の存在が必要なのだ、と思ってください。結局、神は自らを救う人を救う、これは本当です。それならいないと同然ではないか、そうかもしれません。しかしそういった存在を必要として心を保ち支えている人は大勢いるのです。 ある女性が死に直面したときに病室にファーザーを呼びました。冷たいご主人で浮気に走り、見舞いも来ないのです。彼女は心を支えるためにどうしてもファーザーに話を聞いてほしかったのだと思います。 人が人を支え優しくしている姿を多く見る機会にたくさんふれてほしいです。あなたはご自分を認め、変わりたいと思っておられます。そういう人こそ変われます。そして何も宗教だけとは限りません。他人に親切にしようと思っている人たちのボランティアなどで手伝うのも良いかもしれません。何かのきかっけを見つけられると良いですね。
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- radnelac
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単にクリスチャンになったら優しくなれるかと問われれば、 「なりません」というのが正しいでしょう。 クリスチャンになると言うことは、「イエス・キリストを信仰する」 と言うことが大前提です。 ここでキリスト教のお話しをしても如何なものかと思います。 どうしても気に掛かるのでしたら、お近くの教会にお出かけ下さい。 ただキリスト者(信者)だからと言って、全ての方が品行方正の 紳士・淑女というわけでは有りません。却ってその反対なのです。 自分の心の醜さと罪人で有る事を噛みしめ、日々反省と懺悔の日々を送っています。 同時に神様に守られた生活を感謝しながら、この世で生かされているのです。
お礼
回答ありがとうございます。 自分を罪人と認めた所から始まるんですね。 教会一度行ってみたいです。 ありがとうございました。
- obrigadissimo
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お望みの回答になりませんが 宗教の助けを借りなくても、違ったスタンスで お望みの状況をゲットできるようになる方法が 見つかるかもしれませんよ。 とりあえず、暴力的であった人の生育史の詳細を 知ってみませんか。もしかしたら、 Victim of Circumstances であったのかもしれないのです。 それに引き摺っている強い挫折(感)があるのかもしれません。 その人の生育史等のすべてを知ることで、質問者さまは、 その人を許せるかもしれません。 昨年、17歳でノーベル平和賞を受賞したマララさんは、 14歳のとき自身を銃撃した犯人を許しました。許せたから 前に進めたのだと思われます。質問者さまは、 その人の生育史や環境の詳細を知ってから、受け容れて、 許すことができれば、新生が始まるのではないでしょうか。 〈ふろく〉 【許すには、心の中の部屋を1つだけ増やせばいい。 『私の頭の中の消しゴム』】 【許しは魂を自由にする。虞をも取り除いてくれる。 人を許す心は最強の武器なのだ。 Nelson Mandella】 【弱者は決して許すことができない。 許しとは強者の態度である。 Mahatma Gandhi】 過去、粗暴だった言動(=言葉&行動)の全てを 紙に書き出して、その1つ1つに、どのようにするのが ベストであったのかを違った色のペンで書き加えてみませんか。 こうしたことを習慣化することで、思慮深くなりますし、 物事を客観的に見られるようになりますので、短絡的に 粗暴な言動をとらなくなるでしょう。具体的には、 接遇スキル、ホスピタリティ力を身に着けませんか。 【ホスピタリティとは、相手の心に自分の心を添えてゆく力である。 高野登:元リッツカールトン日本支社長】 初期は、演じる……演技で宜しいのではないでしょうか。 やがて【習い性となる】で、立派な接遇スキルの人に なっているでしょう。 食事も大切です。ミネラルやビタミン類を含めた 栄養のバランスのとれた食事を継続して摂れるようにして、 特に、防腐剤の含まれていない食品を摂取するように しましょう。 【日記は平凡な毎日の中に潜む非凡に気づかせてくれる 橋本武 『日本人に遺したい国語』 101歳最後の授業】 長年、灘校で教えていた橋本先生の言葉を信じて、1日1行でも 宜しいので日記を書いてみることも宜しいのではないでしょうか。 他、田坂広志『人は、誰もが「多重人格」』を読んでみると 参考になる記述が見つかるかもしれませんよ。 社会貢献・地域奉仕を始めてみることも、おススメです。 ちょっと負担になるような活動を心身の悦びとなるように 鋭意つづけていれば、質問者さまの お望みの状況が実現できるのではないでしょうか。 その暴力的な人が存命中ならば、 フルフィルメントできるように環境を整えて あげるようにすることができれば、それも 許しの1つになるでしょう。 Good Luck! All the Best.
お礼
回答ありがとうございました。 自分や家族に暴力をふるっていた人はやはり家庭内暴力の犠牲者で、母親に捨てられていました。同情はしましたが許すことが出来ませんでした。 人を許せないのは自分の問題だと思いました。 本読んでみます。 いろいろ教えてくださってありがとうございました。
クリスチャンです。 一言でお答えするなら「ムリです。」 クリスチャンは、自分が罪人だとみとめています。 私も、人にやさしくできない時があります。 言葉は荒く、空気が読めないことも多々あります。 ふりかえると、罪を犯していることの連続です。 しかし、そのたびに神様に懺悔します。 また、やさしくできるように祈ります。 クリスチャンとなり、救われたことへの確信が与えられれば、 罪を素直に懺悔することができます。 その結果、変えていただいた部分も多いです。 それも時間がかかります。 クリスチャンになる=いい人になる のではなく、 クリスチャンになり、自分の罪を素直に懺悔し祈る=神様に時間をかけていい人に変えていただく のです。 そういう意味では、クリスチャンになれば人にやさしくなれます。
お礼
回答ありがとうございます。 罪人であることを認めてスタート地点なんですね。自分を省みて改心していかなければならないのはどの宗教も同じですね。 ありがとうございました。
- k205t
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まず無理です。 その様な家庭で育った人は、必ず暴力的になります。 結婚して自分の子供が生まれて、同じようにやります。 クリスチャンだろうが、何かの宗教に入っても同じ事です。 それなら自分で気を付けるしかありませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 どうにか気をつけて生きていきたいです。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 暴力を受けて育ってもしあわせになっている人はたくさんいるので、自分も過去から抜け出して人にやさしくなりたいと思いました。クリスチャンの人たちは暴力とは無縁の世界に生きているようで憧れました。 変わりたいと願う気持ちの大切さを思い出しました。ありがとうございました