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無宗教女性が見たクリスチャンのイメージとは?
- 無宗教の女性から見たクリスチャンのイメージとは?クリスチャンの婚カツについての質問。
- クリスチャンであることを伝えると、どのような行動をとるのか不安な無宗教女性。2つの家庭の事情を理解してもらえる相手は見つかるのか?
- 日本のキリスト教人口が少ない現状についても紹介。クリスチャンのイメージには誤解があることに留意が必要。
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高校は宗教の時間がある、キリスト教の学校でした。 クラスメートにも、先生にもクリスチャンがいました。我が家は浄土宗ですがたまたま、名門校で親が行かせたかったからで私自身は無信仰です。 また、母方の祖父母は熱心な浄土真宗で夏休みになれば毎朝お寺に行き、一緒に読経するのが日課でした。 なので、私自身にはキリスト教にはなんの偏見もありません。信仰、よりどころがある、という人には理解しますし、自分が信じるかは別として、相手を理解しようとキリスト教や宗派について勉強したり、ミサや集会には相談相手や友達ができるかもと期待して参加するのも苦ではありません。 もっといえば、しつこい勧誘など、カルトや新興宗教でなけれは、私のなかでは神道や仏教と同じラインでキリスト教があります。 むしろ、新興宗教やカルトでなかった、と安心します。 介護はまた次元が違う話ですね。 あなた自身がまず、お相手の価値観を受け入れられるか、場合によってはお相手が違う宗教や宗派でも一緒にいられるか、あなた自身の度量や覚悟にもよるのでは?
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神父と書かず 牧師と書かれておられますので プロテスタントのほうですよね? プロテスタントはカトリックより「会費」?が高く「勧誘」もあると聞いたことがありますので もし結婚となると 「お金がかかるのではないか」「信者になるよう勧誘されるのではないか」の二つで躊躇しますが 貴方が毅然と 「お金も払わない」「勧誘したら親戚のつきあいをやめる」と態度を決められていたら 何の障害もないと思います。 ふたつ目の親の介護ですが、こちらのほうはずっと重大です。 「介護要員として結婚したのか?」と疑われそうです。 正直 貴方は 母親の介護をどうしたいのですか? 「お嫁さんがどうにかしてくれる」 「お嫁さんがするべきだ」「僕は男だからわからない」と逃げ腰なら躊躇しますね お母さまが「私にはお金もあるし 福祉サービスを利用する 福祉施設にも言われたらすぐ入る」という強い意思があれば こちらも問題がないと思います 親を捨てろと言ってるわけではありません。親の介護は子育てと両立はできません。 貴方が仕事と介護が両立できないように 女性も嫁にいったからといって (仕事)と家事育児に加え介護を両立できないのです。 結婚生活をうまくやっていくには 貴方自身が問題点を棚上げや逃げ腰にならず はっきりとした態度で示すべきです。 女性は 自分の家庭という巣が安定していればそんなに文句は言わないはずです。 つまり 宗教の「勧誘「出費」がなく 親御さんの介護のために「同居」や「やみくもに時間を取られる」「多大な出費」がなければ 大丈夫だと思います。 家系は関係ありません。貴方がどう思うかどう覚悟して行動するかどうゆう態度をするか です。 気になったのは 家系がこうだから(自分がクリスチャンなのは)仕方がない というような他人のせいともとれる文章です。 クリスチャンになるということは強い意思があったのですよね? まさか 親戚が入ってるから仕方なく、、なんてないですよね? だから 貴方がクリスチャンであるということは さきほど書いた お金と勧誘の問題はどうなるのでしょうか? お金の問題は大きいです。 ある とか ない の問題ではなく お嫁さんにとっては 自分たちの家庭以外の家庭(夫の実家)にどれだけお金を取られるか?が重要だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。平たく言うと理解できないという意味ですよね?自分の言葉不足もあると思っていますが、あなたの偏見も大きいように感じます。 まず『お金がかかる』というのは献金のことでしょうか?これは会費とはまた違いますし、強制的に支払うべきものではありません。あくまでも善意的なもの。家計が苦しいのに莫大なお金を支払うことはありません。また、勧誘に関してはクリスチャンとしては少しでも多くの人がクリスチャンになって救われて欲しいと思う気持ちはあると思いますが、強制力はありません。仏教のとある宗派みたいに信者を増やすためのノルマはありません。あくまでもキリスト教は金儲けに主は置いていない。金と勧誘に関してはあなたの完全な思い違いや偏見だと指摘しておきます。 家系がどうとかというのは多少図星な気はしなくもないですが、自分は生まれながらにクリスチャンホームで育ってきています。親との違いは自ら求めてクリスチャンの道に入ったわけではなく、今でもそこに悩んでいます。神様のことを信じないわけではないですが、疑問に思っている部分はあります。この辺は寺に生まれた子供と似た感覚じゃないですかね? そして、母親の件ですが、あなたは自分の心配している確信を書いてくれました。母親関係のことで自分が一番不安に思っていることってズバリ『お嫁さんが面倒見てくれる』と誤解されるのではないか?ということです。そりゃあ、自分も年齢は臥せてるけど熟年結婚という歳ではありませんよ。できることなら自分の結婚より先に親の介護の心配したくなかったですよ。ただ、無い物ねだりしても仕方ない。まあ、介護に協力的な人なら一番いいですが、できないならできないで構いません。可能な限り自分が主で面倒みます。結婚したらよほどの例外でもない限りは別居はするつもりですし、その辺は嫁さんにも考慮したいとは思っています。せめてそういう事情の理解と直接的な協力ができないなら自分の気持ちを受け止めてほしいのですが、これはわがままでしょうか? クリスチャン関係に話を戻すと、先ほども書いた通り、実家から極端には離れられませんし、親が熱心なクリスチャンである上、叔父が牧師と来たもんだ。自分としてはあまり無理はさせたくないけど、周りがクリスチャン環境であるから、その辺の理解がないと奥さんも苦しいのではないか?と思ったまで。まして、親の件もあるから、1つだけならまだしも2つも家庭の事情を解してくれる人なんているものかな?と思って質問してみたまで。まあ、あなたの答えで理解してもらえる人は少ないということがわかりました。ありがとうございました。 なお、自分は介護の仕事もしてますが、『お金があるから介護サービスを受けれる』とはどういう意味でしょうか?クリスチャンにも偏見があった通り、介護にも強い偏見を持たれてるように感じます。介護保険制度などうまく活用すれば金銭面は立派な施設に入れるでもない限りはさほど問題ありません。裏を返せば『お金がないから介護サービスを受けれない』という考えは間違ってます。 あなたの知識は偏見が多すぎます。まあ、自分のことを悪く思っていただいて構いませんので、あえて言わせてください。少なからずあなたの発言で傷ついたので。自分は少なくともあなたみたいな人を奥さんに求めていませんから。
お礼
クリスチャンに関して割と肯定的な意見も聞けてありがたかったです。