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弱いことは罪なの?
弱いことは罪なんだ。 そんな言葉をマンガでみました。 妙にズシリときました。 無知は罪なりはよく言われますが、やはり弱さは罪なのでしょうか? たとえば、仕事ができない人は仕事できる人に労力をかけさせ迷惑を与えている。 貧乏人はお金持ちのほうがはるかに多く払ってる税金によって公共機関を使わせてもらっている。 そう考えると無知無能弱さはどれも罪深いことになりませんか? わたしはハッキリ言って弱者です。 社会的立場も能力としても弱いです。 しかし、残念ですが、死ぬ勇気はありません。 痛みや苦しみは嫌なのです。 こんなわたしはどういう心持ちで罪を背負っていけばいいか。 また、弱者の生き方を教えてください。 あるいは弱さが罪でないなら、わたしの言い分を論破してください。 お願いします。
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- bluecanary
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弱さは罪ではありません。あなたは自分が弱者と認める強い方だと思います。 人間、弱いものほど保身のため強ぶります。 罪を背負って行かなければいけないのは弱者ではなく、他人に迷惑、危害を かける者です。全ての人間は少なからず他人に迷惑をかけて生きています。 そういう意味では、人間生まれながらにみんな罪を背負って生きてかなければいけないのです。 決してあなただけではありません・・ そのために仏教などでは善行を勧めるのだと思います。 (人間はみな生まれながらにして悪という観点です) 自分を強者として顧りみる行為をしない者ほど厄介です。 ご参考にして頂ければ幸いです・・
- ways
- ベストアンサー率31% (79/253)
その漫画を描いた人は、人生をよく知らないで、ものを決めつけている気がします。60歳過ぎればほとんどの方が弱者になりますよ。子供たちだってそうです。それに誰だって、弱くなる時があるじゃないですか。要は、そうなった後、どう動くかですよ。 能力の話にしても同じです。仕事ができる人は、周りの人たちが自分よりできなかったにしても、「一緒にやってくれる」という共感が嬉しいんです。できる人ほど、人の能力は気にしないものですよ。やる気になることが、その人の周りにあふれている、っていうことなんです。 それと、能力的にはいまいちでも、味があったり、ほっとしたり、「その人がいると、なんかいいんだよなあ」という、人柄を尊敬していることも、たくさんあります。 つまり、「職場にいていい」ということは、その職場に必要とされている、ということです。 能力的な物差しというより、人には必ず、一つや二つ以上、得意なことがあるんです。どんな人にも、障害者にも。自分の苦手なことは、他の人が補えばいいし、社会って、そうやってできているんです。 例えば赤ちゃん。自分では何もできないけど、誰も責めないでしょう。大人が、自分でできるようになるまで、育ててあげればいいんです。赤ちゃんはお金も手間もかかるけど、「そういうもの」なんです。しかも、みんなを幸せにする。お父さんもお母さんも頑張って働きたくなる。それで、家庭は回っていくんです。夫婦のこととか、いろんな悩みは、外に目を向ければ、コツを知っている人に出会えますから。知らない自分から、少しずつ知っていきますから。生きている以上は。 ご自分の想いや考えていることを文章や詩にするといいですよ。自分だけのなんでもノートを作るんです。時々、自分の名言が生まれたり。 PHPをお勧めします。コンビニやスーパーに売っている小さな冊子です。ためになります。 迷惑をかけない人なんて、いませんから。
- yoruaru-q
- ベストアンサー率17% (476/2703)
あるところでは弱い人は、あるところでは強いはずなんです。 人間は群れで生きていますので、種としての生き残り戦略としてはできるだけ多様な人を許容した方が有利です。命は平等です。
- BluesHeart
- ベストアンサー率26% (155/576)
もし、社会的(経済的?)な能力や立場が低位であったとして、それが弱者でそれが「罪」なら、所得の再分配は罪を助長するまたは作っていることになりますよね。ではそれを是正したらどうなるでしょう。その先にはただ一人の強者と程度の差こそあれ、それ以外の「罪びと」という世の中が出来上がるのではないでしょうか? また、ゴッホのように生前は認められないまま終わった人々はどうなのでしょう? それも「罪」だというのであれば、それはもう少し論陣を展開していただかないとなりません。 そもそも、「強さ」の目的は何でしょう?強さの効果(結果?)が結局は弱者の救済に費消されるのであれば、強者は弱者のために存在するわけで、ではなんのために強者たらんとするのでしょうか? 前の回答者の方も述べておられますが、「より多くの者に分け与えることのできる者が強者」であって、たとえいろいろな物を得る能力が高くても自身のためにしかそれを使用できない「”我利我利亡者”は弱者」ということであれば、そうならば「弱者は罪びと」と定義してもいいですね。 ということで、論破になっているかどうかはわかりませんが、 「弱者=罪びとの生き方は我利我利亡者となって餓鬼道を生きること」 ということも、他の回答に付け加えたいと思います。
- mindy73
- ベストアンサー率10% (209/1970)
みんな弱いですよ。私も弱いです。世の中強い人なんていません。
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
考え方に依るのではないでしょうか。 少年の日、動植物の生命を奪って生きつづけていることは 実に罪深いと言う人がいて、私は何も 言えませんでしたが……相も変わらず、動植物を食して 生きています。そうした私の罪と罰に関しては、 すべて、警察・検察・裁判所に お任せするようにしています。沙汰がないのは 現状の生活を継続していて良い証明だと おもっています。 弁証法の質問なのでしょうか。 のようなこととは、とんと無縁でして。 宮本輝さんの実に素晴らしい『田園発 港行き自転車』や 先の選挙で東京都北区の議員になった、聴覚障害者の 斎藤理恵さんの『筆談ホステス』等を読んでみませんか。 人生観が変わるかもしれませんよ。 (男性であっても)森瑤子さんの『女ざかりの痛み』も おススメです。 Have a nice time! All the Best.
- 00000000aa
- ベストアンサー率26% (385/1478)
弱い事は罪ではありません。貴方がおっしゃる弱いが貧乏、仕事ができない、能力がないを意味しているとしたら、それは少し違うのではないかと思います。弱い者がいるから強者が成り立っているとも言えますし世の中で一流と言われる人は必ず自分の弱さを自覚して弱さを肯定して生きている人が多いです。 弱い存在がいるから人類は存続していける、そんな考え方はできませんか?
- 02140023
- ベストアンサー率19% (82/416)
弱さへの向き合い方次第だと思います。 ・自分の弱さを認めず虚勢を張る ・悪事の言い訳にする 例えば浮気の言い訳なんて自分の弱さに由来するものですよね? まあ浮気にかぎらず「○○なんだから仕方がない」なんて言い訳は結局つきつめると自分自身の弱さに帰結しますが。 ところで、タイトルの言葉はなんて漫画で、どんな状況で出た言葉ですか?
今の社会は『無知無能弱さ』の存在がいるから、マックも安いしガソリンも安く入れられる。こういう人が居なけりゃ外食したら最低1万、ガソリン入れればリッター1000円なんてなるでしょう。道路工事も真夜中に旗を振ってくれる人もいなくなる。 ただ、『無知無能弱さ』と言う人々が低賃金なのは資本主義社会じゃ仕方のないことです。 私自身はそういう仕事に就きたいとも思いませんが、そういう仕事をしてくれている人に感謝こそすれ『罪深い』なんてサラサラ思いません。 本当に『罪深い』のは我々の税金を好きなように使ってソファーに腰を下ろしてタバコを吸っている奴等の方。革命でも起これば最初にバズーカ砲で粉々にされる奴等です。 まぁ、『生活保護』を受けて真昼間っからパチンコ屋に入り浸ってる人間や、マッサージ屋でTVを見ている人間も同じように『罪深い』し、我々の“敵”だと思ってはいます。 結局『弱いことは罪』なんて平気で書ける人間は『弱い』となった原因も意味も解らない『無知』の代表でしょうね。そういう人間こそ『罪深い』んですよ。 『無能』も結構、『弱い』も結構。人間には様々居るんです。そして、それぞれの立場で、報われないかも知れないが、働いてくれている。それだけで『良いこと』なんです。
弱さは罪のうちだと思うから論破はしない。 底辺がいるから勝ち組という概念が生まれ その概念を目標に頑張って[弱い]を抜ける力を得る人もいる。 身も蓋もないけど「ああはなりたくない」という 原動力にはなれるんじゃないかな? もしくは「弱い」同士でコミュニティ作れば その中の勝ち組にはなれるかもよ。 そこでも負け組になったら、また「弱コミュ」作って…(以下エンドレス) 無知は罪、弱さは罪と言うけど この場合の罪って他罰を受ける類いのものではなく 「自業自得を産み出す」的な自罰で帰ってくるものなんで 罪を背負うのなんだの言われるのは面倒だと思いますね。
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