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戦後70年
節目とのことで、戦争体験だとかを報道でやってますが、なんか、被害者意識で、どこに爆弾が落ちたとかそんなのばかり、もし、戦争への反省というのであれば、当時の国民意識について、もっと報道するべきではないのかと感じるのですが、いかがでしょうか? あの当時、国民は、戦争すれば国が豊かになると洗脳されていたような部分はないですかね?
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明治維新政府の富国強兵・産めよ増やせよ政策の結果あふれる人口、 しかも第一次戦争後の大不況。何とかせねばと打ち出したのが、 満州植民等の膨張政策。世界の反発に刃向かい国際連盟を脱退し、 大東亜共栄圏構想をぶちあげ、その実現の為に大東亜戦争(=ww2) を始める。という流れだと思いますから、少々誇張すれば、生き残る 為の戦争だと洗脳されていたと言えるでしょう。皇軍は勝てると思い 込まされていたし、疑問を呈したら非国民・国賊扱いだから周りに 同調するのみです。しかし、内心では負けると判っていても、表面 は「緒戦で勝ち有利な講和に持ち込む」、「独・伊と組めば勝てる」 などの幻想を抱きずるずると戦争へと進めた軍、政の指導層の責任 は問われるべきです。
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- tpg0
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こんにちは。 私は、戦後の生まれですが、父親は明治生まれで母親は大正生まれですから、戦前から戦時中の様子を両親から聞いてます。 戦時中に国民向けの有名なスローガンに「欲しがりません勝つまでは!」があったように、戦争に勝てば国が豊かになると国民は洗脳されてた部分は間違いなくあると思います。 しかし、私の父親は機械技士でしたので、アメリカの工業力と日本の工業力に雲泥の差があることを戦前から知ってたそうで、真珠湾攻撃により日米開戦を知った時からアメリカ相手では負け戦になると予感してたそうです。 ですが、戦時中に負け戦になるだろうとは口が避けても言えなかったそうですし、母親の兄が海軍士官でミッドウェー海戦の大敗北を知っていても妹である母親には、いずれ東京は火の海になるから田舎の実家(福島の会津)に疎開しなさいという程度の事しか言えなかったそうです。
お礼
そのようなお話を、もっと報道するべきだと私は感じるのです。回答ありがとうございます。
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お礼
具体的な流れを解説いただきありがとうございます。