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「安全性」とは?

こんにちは。 実は最近身近な事(パソコンのセキュリテーの事)をきっかけに、「安全性」とは何なのかと言うことを考えるようになりました。少はパソコンから大は国の安全まで 幅広く問われてもおかしくない問題だと思うのですが。 日本人の感性として「安全」は、お天道様が?、神様が?、国家が?、あるいは誰か?が守ってくれているとの認識が強いよう思われます。今の社会では、自ら防御できない以上「安全を買う」しか方法がないような気がするのですが、「安全性」という意識を各々が高めていくには どのような方法があるのでしょうか。 抽象論でも結構ですのでお答えいただければと思います。

みんなの回答

回答No.3

世の中には"安全"などというものはありません。 実体として存在しません。 一方で、"危険"は多数存在します。 顕在化しているものだけでも多数、潜在的なものも含めればより多数の危険因子が存在します。 したがって"安全"の定義は「危険が少ない状態」ということになります。 さらに究極の安全とは、危険因子が全く存在しない状態(通常は現実的にあり得ない)ということになります。

noname#7266
質問者

お礼

夜遅くに回答いただき、ありがとうございました。 イラクには「非戦闘地域」なんてない。自分たちが、その周辺を防御することによって、はじめてその場所が「非戦闘地域」になるんだ、ようなこと言われてた方を TVでみましたが「安全」とはそのようなものでしようか。たえず歩留まりを求めていく。 飛行機の技術革新は、過去に起きた墜落事故の数に比例するんだと聞いた事がありますが、私の認識不足かもしれませんが何かひっかかるものがあるのですが。 大変参考になりました。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.2

脅威を意識することですね。さらにいえば脅威を具体的に見積もることでしょう。 脅威とは能力と意思の積です。能力はある程度わかりやすいのですが、意図ばかりは、見えませんし、何しろ気まぐれなものです。だからまずはすべての対象を疑うことでしょう。 日本のことわざでも、昔から「人を見たら泥棒と思え」というでしょう。今ならテロリストかスパイか工作員ですね。

noname#7266
質問者

お礼

漠然とした質問に対して回答いただきありがとうございます。 <脅威を意識することですね。 透視することができないものに対して能力と意思で防御していくということでしょうか。そうなると持続力も問題になってきますよね。 すべての対象を白紙の状態で見ていくことはきっと解決の糸口になるでしょうね。 ただあまりにもすべての対象を疑いだしたら、飛行機にも乗れない、物も食べられないってなことになるような 気もするのですが。。

  • coco1
  • ベストアンサー率25% (323/1260)
回答No.1

面白い質問ですね。 言霊論というのをご存じですか? 井沢元彦氏らの著書でも有名な言葉ですが、日本人というのは骨の髄からこの言霊に毒されているそうです。 たとえばあなたが保険外交員だとして、子供が生まれたばかりの家を訪ね、「人間、生まれた以上いつかは死にます。まして、新生児の場合、どんな先天性の疾病にかかっているかわかりません。そのときに困らないよう、早めに生命保険に加入することをお勧めします。」等とのたまったら、おそらく「縁起でもないことを言うな」と烈火のごとく怒鳴られるでしょう。 つまり、縁起でもないことを言うと縁起でもないことが実現してしまう、という考えが「言霊論」です。理論的に正しいかどうかは問題ではありません。上記の例も至極もっともだと思います。 平和憲法があれば戦争が起きない=軍隊があれば戦争が起きる、など、このような例は枚挙に暇がありません。 そして、日本人に「安全」という概念が浸透しないのは他ならぬ、この言霊のせいだと思います。 安全ということを常に考えるためには、常識にとらわれず、常に最悪の結果を念頭に置いて行動する、約束する、しかないと思います。

noname#7266
質問者

お礼

早速に回答いただきありがとうございます。 井沢さんの本は以前何冊か読ませていただきました。 「言霊」は日本独自のものなのでしようね。なぜ現代になってもそこから抜け出せないんでしょうね。 やはりcoco1さんの言われますように、絶えず危機管理 をもって行動するしかないのでしょうね。ただ個人的にも反省しなければならないのですが、「安全」とは月並みな言い方ですが「空気」みたいな存在なので、そういった無形のものに、なかなか投資(お金も含めて)しようとしません。日本人の悲しい性でしょうか。