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夢と現実の間で揺れる社会人の苦悩
- 夢と現実のギャップに悩む社会人の一人として、私は将来の夢をあきらめ、なりたい自分から遠ざかっていくのを感じています。
- 教員をしている私は、生徒たちに大きな夢を持ってもらいたいと思うが、自分自身が同じような思いを抱きながらもそれを伝えることは難しい。
- 大人になるということは、幸せになるためだけでなく、不幸でみじめにならないために生きていくことも重要だと感じている。しかし、どうやって気持ちに折り合いをつけて今を生きているのか、答えは見つけられていない。
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気持ちとてもよく分かりますよ。 大人になるって、食べていけるようになるって、夢だけじゃ腹は膨らまないと分かってしまう瞬間ってありますよね。 私も芸術に関する仕事(表現者)をしたくて、中高と美術だけはものすごく成績も良く頑張って美大に入ったところまでは良かった。 でもいざ就職となれば、フリーターになってでも表現を続けていく熱い人は少数派。 同級生で芸術の道に進む人なんて5割もいなくて、私もその一人でした。夢を追うよりボーナスあり有給あり月給20万の仕事の方が魅力的だった。 今は芸術とは全く関係ない事務仕事で食いつないでます。 中高生なんて見てるとたまに羨ましくなりますよ。彼らはまだ、凹んだところも凸なところも可能性ってよんでいい存在ですからね。何に化けるかわからない。 だから「大きな夢を持て」っていうのはあながち間違いではないと思います。 だれから言われるかはさほど重要ではないというか、彼らが夢を持とうとするか否かは、彼ら自身が決めることですから。 では夢破れてどんな風に折り合いをつけているのか。 私は私が今持っているものに十分満足しています。 好きな時に有給がとれる会社に満足、たまに連休を作って長距離旅行に行くのに満足。そう遠くない未来に仕事をやめて、好きな人のところに嫁いで家庭を作る未来も悪くない。ささやかで平凡だけど、もし表現者になって波乱万丈な人生を生きるよりはこっちで良かったかも。 「足るを知る者は富む」好きな言葉なんですが、あるものに満足し、ないものはないんだと知ること。それができた時に私は大人になった(なってしまった)と思いました。 それを知ってる・できる自分も割りと好きです。 過去を振り返り気持ちに区切りをつけようとするよりも、今あるものに満足できるように頑張ってみる方が楽だと思うのですがいかがでしょうか。そういう大人のしたたかさがあっても誰も責めないと思いますよ。
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- moritaroh
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No.19の者です。再回答申し訳ありません。 私の意見に対して、否定的な内容であったので、反論するつもりではありません。 …というより、否定的だとは思っていませんけどね。 ただ、私が述べた「自分の夢を他人に託す」というニュアンスの言葉は、「自分の夢を他人に押し付ける」ことではありませんよ。 私が以前に教員から言われて思ったのは、将来の夢や目標の具体的な内容は違くても、誰もが多少の違いはあっても『夢を見る気持ち』を託された、という感覚です。ですから、その教員が果たしきれなかった夢そのものを生徒が実現する必要なんてありません。 また、夢と現実、というのを対極に置いて考えておられるようですが、それは違っていると思いますよ。 ある意味で、現実は、夢を実現させるための方法であり、夢はその方法が生み出される動機だと思います。 どのように動機を持てるか、というのを教えない限りは、いくら方法を知っても、何も身に付かないと思うのですが。 動機(夢)と方法(現実)とで、順序が逆になってしまっているのではないでしょうか。
- moritaroh
- ベストアンサー率56% (658/1172)
自分のことしか考えていないからですよ。 世の中には、多くの他者がいます。たとえ夢は叶わず、自分は不幸でみじめになろうとも、どこかで他者を幸福にできたとしたら、自分の人生に満足できるかもしれません。 ま、教員なのですから。一番簡単な他者は、生徒たちではないでしょうか。 あなたが「将来なりたかった夢」と同じようなものを持っている生徒はいないのですか? その生徒が、あなたと同じように夢をあきらめかけてしまわないようにしてあげるのが、教員の務めではないでしょうか。 また、同じような夢ではなくとも、小さかろうが大きかろうが、生徒たちが持つ将来の夢の実現を手助けしてあげてください。 夢は自分で叶えるものかもしれませんが、「自分だけで叶えるもの」ではないと思います。 あなたが叶えられなかった夢があるなら、その夢の実現を、生徒たちに託せばいいのではないでしょうか。 「将来なりたかった夢があるけれど、大人になったら、それが実現できないことを知ったんだ。だけど、君たちが先生のかわりに夢を実現させてくれるかもしれないと思っているし、それは先生の夢が実現したのと同じくらいに嬉しいことだ。だから、夢をあきらめないでください。そして、もしも夢が実現できなかったとしても、その夢を誰かに託して応援してあげるようにしてください。」 まるで甘っちょろい、夢物語のようなセリフですが、私は実際にこのような言葉を小学校だかの卒業式で担任から言われ、涙があふれたことを思い出します。私の夢は、別の誰かがかなえられなかった夢を引き継いでいるのかもしれない、という思いと、夢を叶えるのは自分だけのためではなく、関わっている多くの人のためなのだ、と心に刻まれました。同時に、夢を叶えられないかもしれないという不安が怖くなくなりましたね。
お礼
回答ありがとうございます。 かつての私もそのように考えていました時期もありましたし、教員就任する前までは回答者様のような熱意がありました。 しかし教育現場に立ってみて思ったのは、厳しい現実を教えることも重要です。 いまの子供たちは厳しい環境にいない過保護な環境なうえ、ネットをみればすぐに「知った気分」になるので、理想と現実とがとても大きく乖離しています。 乖離している分には努力だとか、何かしらの埋め合わせをすることを考え、目標に近づけようと行動する「姿勢」があれば、夢を追う楽しさや「あきらめなければ絶対に可能になる」と勇気づける一言もかけてあげます。 私の環境においては勇気づける一言よりも、「努力する姿勢」を指導するほうが先だと思いました。 私は自分の夢を生徒に追わせるのは絶対にしたくないです。 私の親が「自分がかなわなかった夢を息子が継いで、いつの日か達成してほしい」 と、私が本当にやりたかった目指すものとはかけ離れたものに必死こいてたたきつけられましたが、私の心の中はいつも納得がいかずずっと葛藤して学生時代は学校に通えなくなった時期もありました。 そして今現在も悩みが解消されずこのように環境を変えて挑戦しようかと悩んでいる最中です。 生徒に対しては、安易に自分の考えを押し付けるよりかは、気づけばその道を選んでいたという演出がかげでできればいいかなと思っています。 すみません。 否定が多い文章になりましたが、これは人それぞれの価値観ですのでどちらが正しいかなんてありませんので気にしないでください。
教員だから とかじゃなくて 人を変える必要ない。 変えなければならないものではない。 自分で自分に 人を変えなきゃってプレッシャー掛けてませんか。 あなたはあなたの信念を貫けばいい。 あなたの姿を見て分かる人にはわかる、 わからない人にはわからない。
お礼
回答ありがとうございます。 「教員はサービス業」と主張する人もいるように、生徒と教員の立場は逆転しましたね。 生徒の高飛車な姿勢も周囲の誰かが教員を蔑んでいるきっかけをつくっているのかもしれません。 それに影響されるように、教員もなにかこう生徒の顔色というか、穏便に、気持ちよく卒業してもらうような配慮がありますね。 >あなたの姿を見て分かる人にはわかる、 >わからない人にはわからない。 おっしゃるとおりです。 ですが、どれだけ周囲へ好感度を売るかという職場内の雰囲気もあります。 自分の信念を貫いた結果、生意気だ尊大な態度だとバッシングされてはじき出されるのであれば、それまでの勤務先として転職します。
>「大きな夢をもってほしい」だなんてとてもいえない ぜひ言ってあげてください。教育の格差が広がる中、子供達の目はあなたに向けられています。家庭での薄っぺらな会話、携帯やスマホをいじる親、ゲーム、不倫、嫁姑の争い、夫をなじる妻、ATM,中にはお金がなくてまともな教育も受けられない子もいます。お金があっても、親のパチンコやタバコ、酒に消え、子供達に使われない家庭もあるでしょう。そういう子に気がつかせる、勉強は環境を変える唯一のチャンスかもしれないのです。そしてそれができる時は人生の中で意外と短いのだと。 あなたが彼らのウィークデイの親になる気持ちになれないでしょうか。もしかしたら週末の親よりも本物の親に近く。 いつかあなたに彼らにかけただけの愛情が戻ってくる気がします。夢を教えてくれた恩師として。 私は海外ですが、ここにいても日本の若者のやる気がやせ細っていく気がしてなりません。日本語が喋れない次世代を多く見ます。多くはミックス、まったく日本語を子供に教える気のない母親が多いです。両親が日本人でも、既に怪しい日本語の若者が多い。だからと言って英語に秀でているのか、なんと大学の中退者が多いのです。 そんな彼らもかつて誰かが夢を教えれば違う未来があったかもしれません。学問に王道なしと。 多くの子供があなたを見つめる、少なくともあなたの意見は注目されています。どうか諦めないで彼らに勉強をしっかりするように指導してあげてください。そして多くの職業を紹介し、生きるためには仕事をして稼いで生きていかなくてはいけない現実も教えてあげてほしい。親が駄目になっている気がしますので、子供達にはなおさら格差を広げないためにあなたのような教師が必要に思うのですが。
お礼
回答ありがとうございます。 漫画やドラマで活躍する教師。 生徒の非行や不登校に立ち向かい、社会性を身に付けさせ、最終的に生徒から慕われる教員。 あのような教員になれるのは本当にごく一部、厳しさや苦しさをはねのける教員生活になるのが大半でしょう。 ですが、今を必死に生きているからには、教員としてこのさき生きていくのであれば、自分の理想の位置でしっかりと着陸してから死にたいものですね。 私は人生が1度しかないというのがとても惜しいです。
こんばんは。 熱意を持って教壇に立ってもかけ離れた現実 自分に何ができるのか 正しいかどうかもわからない方向に向かって 自分は何をしてるのか 自分に何ができるのか 何がやりたいのか 果たして今やってることは正しいことなのか 全てがわからなくなってしまったんじゃないですか。 教員という仕事が自分の理想、想像してたものとはまるで違う そんな中どんな気持ちで教壇に立っていいかわからなくなったんですかね。 何となく幼いころの将来の夢、成りたい自分を打ちのめされた気持ちなんじゃないですかね。 夢と現実がかけ離れてる 今してることが幼いころに夢見てた将来、大人なんだろうかって。 何かが違う 違うんだけどどうしていいかわからない ただ時間だけが過ぎていくって感じでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >正しいかどうかもわからない方向に向かって >自分に何ができるのか 「自分のやり方は絶対正しい」といえるほどではありませんので、この先いろんな壁にぶち当たっていくのではないかと思います。 そのやり方が比較的まともな方法であっても、生徒と教員が接する時間は保護者と比べると微々たるものです。 微々たる時間のなかでコペルニクス的転回のような、革命的な衝撃をうけて生徒の意識が大きく変わることが果たして可能なのか。 私が学生時代はとても厳しく、とても苦しいものでした。 革命的な衝撃を受けて現在のような生き方になったのですが、あの衝撃を与えられるような人間になりたいとは思っていますが、それが達成できるのは生きているうちにできるのか、道半ばで断念せざるを得ない状況になるのか、未来がわからないので現在も不安です。
おはようございます。 っていうことはあなたは別の国家資格関係の仕事をやりたかったってことでしょうか。 でもとりあえず教員になった。 教員はやりたくてやってるものではない。 仕方なくやってる。 もしくは収入を得るため手っ取り早く教員になったのでしょうか。 まだ本当にやりたかった仕事に未練があるのでしょうか。 でも教員をやりながら親族の付き添いはきつい きついだけでなく 教員自体本当にやりたかったものではないから 尚きつい。 精神的に病んでしまったようですね、 教員は本当にやりたかった仕事ではないが やり始めた以上あなたの性格からして 熱血にがむしゃらになった でも心に体が追いつかない そして精神的病んでしまったのでしょうか。 今ならまだ間に合う。 このまま熱血がむしゃらで働いていたらあなたは鬱病になる。 脅しじゃなくて 私はそう思います。 ちょっと考えることを止め 今までを振り返り頭を整理させてみませんか。 そして本当は何がやりたいのか 今からでも間に合うのか考えてみませんか。 一生は一生。 後悔しない生き方しないと。 言い方は悪いですが 今回親族は大変だったかもしれないが あなたの身に起きたことではない。 あなたにはまだ自由がある。 この先の人生 あなたが選べると思うけど。
お礼
回答ありがとうございます。 いまの環境では心と体が追い付かない、というのが本音です。 そして教員として思ったことは、自分が常に刺激を与え続ければ周囲が変えるということは「ほぼほぼ不可能」ということです。 生徒は授業中よくしゃべって授業を聞きません。 それは私の指導力不足、そう片づければおしまいです。 しかし、学校行事のいわゆるPTA総会において、教員が丁寧に学校や部活・生活面の説明していても、保護者は総会中におしゃべりをしていたりスマホをいじくっていたり勝手に出歩いてみたりと、クラス単位でいう「学級崩壊」に該当する行為を生徒の親がやってしまっているのです。 私はこれをみて「生徒に対して丁寧に指導してもたいへん難しいものがある」ということを悟りました。 教員の世界で何か大きな理想に燃えていても、いつかきっと現実に打ちのめされ擦り切れるんだろうなあと思います。 そうであるならば、別の環境で挑戦するのも悪くないと思います。
夢見る少年的な面はもってていいと思います。 そもそも人は自分の世界でしか物事を見れませんから。 人生終える時には夢をみていた感覚になるでしょうね。 最近現実がめまぐるしく変わることがあって、そうなってくるとその前にあった現実が夢を見ていたような感覚になるんです。 人生って、その時は現実を突きつけられるけど、後から見れば夢のようだと気づくの繰り返しなんじゃないかと。 たとえば、あなたが教師をやめた後、教師だった頃の自分を夢のように感じるでしょうね。 ということはすべては夢なんです。今は現実だけど、過去は夢。 そう考えるとしあわせな人生も不幸な人生もないんじゃないかな。 だって、後から見れば夢なんですから。 もちろん大きい夢をもっちゃダメなんてことはないですよ。 大きい夢をもつことで、今が楽しくなるんならどんどん持ったほうがいい。 ぼくが言いたいのは、いい悪い、幸不幸、そういうのって事実としては存在しないんじゃないかなぁってことです。 何か変に悟った言い方しちゃいましたけど、あくまで24の若造の認識です。 あなたより人生知りませんから。(笑) ご参考までに。
お礼
回答ありがとうございます。 私は安定よりも挑戦することへとても生きがいに感じます。 挑戦していないのは死に近い感覚です。 私は過去、病気治療だけの生活を送る時期がありましたが、この期間は挑戦していない感覚で死に近い居心地でした。 あの時期を思うと、がむしゃらに挑戦していくことが「生きがい」ですね。
おはようございます。 あなたは元々好きで教員になったのではないんですね。 本当は何に挑戦したかったのでしょう。 今から挑戦することは出来ないんですか。 当時あなたは環境のせいで夢を諦め教員になったのでしょうか。 その環境は今も変わらないんですか、 今からでは遅いんでしょうか。 教員になったことで何かプラスになりましたか。
お礼
回答ありがとうございます。 私は今年、自分の食い扶持を確保できる程度に派遣やフリーターをやりつつ、国家資格関係の勉強をやる予定でした。 しかし去年秋ごろになって親族に重い病気を抱える人が複数でまして、私が収入を得ないといけない状況になり教員になりました。 正直に言いますと、教員をやりつつ親族の付き添いはとてもこたえます。とても甘い考えでした。 私まで心身面ですり減らしている状況で、心療内科で睡眠薬をもらっている状況です。 こういう状況を「長期的にこなす」ことは非常に難しいことです。 教員になってプラスになったことは、やはり自分の長所短所をよく知ることと、そしてがむしゃらにやっていく姿勢を再確認できたことですかね。
- kaitara1
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再再度。できることというのはできることですから才能がないのならできないのです。がむしゃらというのはできないことをやろうとすることで丁寧にというのはできることをやることです。相手の言わんとすることを聞くというのも才能かもしれません。このことと意見が異なるということとは直接関係がないことと思います。
- kaitara1
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再度。できることを丁寧にやればよいというのは、その結果得られるものがその人の夢であって、だれでも同じことができるようになるということではないのでは。丁寧にやるというのはがむしゃらにやるということとは正反対では。
補足
がむしゃらにやるとか、丁寧にやるとか、そういう言葉遊びではなくて、重要なのは「結果」ですから。 己の現状とそこからの目標や結果から逆算して行動を移す・努力するのが重要であって、己の現状も知らず先も見ずに丁寧にやってもがむしゃらにやっても無意味です。 例えば、足が速くもないし運動系の家系でもない、年齢も若くないのに今からウサイン・ボルトのようになりたいといって練習したところで、満足する結果など出るはずないでしょう。 これは丁寧さやが、むしゃらさが、どうこうの話ではないです。自分をよく分析していないし、弱点を認めていない。 話がそれますが、海外の一流アスリートをスカウトする職業についている方にたまたま聞きましたが、日本人アスリートは「ハングリー精神が足らない」「自分の弱点を認めない」という点が世界との差を生んでいます。 日本人は金さえ払えばスポーツ用具を手に入れられますが、海外の人はスポーツ用具ひとつそろえられない環境で結果を出さないと周囲から捨てられ生きる手段がなくなるからもう必死です。 今の学生の恵まれすぎている環境では「必死さ」「がむしゃらさ」とは無縁ですから、この先の成長はおおよそ換算ができます。 私も昔の人からすれば恵まれていた環境ですが、厳しい環境にいたので「がむしゃらさ」はとても重要だと思います。
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お礼
回答ありがとうございます。 私も現在の環境で満足できる「なにか」をみつけようと模索していますが、どうも難しいものです。 ここ以外の教員系統の悩み相談においても、 「教員すべて熱意をもって教壇に立っているかとおもいますが、そのかけ離れた現実にびっくりして、実際にやめていく人がいると思います。」 という回答があると思いますが、本当にその通りです。 進学を目指す学習塾や予備校も立派な「生徒の学習方法」論を並べていますが、その大半の案は「机上の空論」です。 おそらく何十年と研究しつくした結果、その学習論を述べているんだろうとは思いますが、同じ教育業界で何十年も腰を据えて研究した人たちがまったくの見当はずれな意見を述べている現状を知ると、私に何ができるんだとおもいます。 正しいかどうかもわからない方向性に向かって時間と労力を割き、しかもそれが部活や周辺住民の理解などプライベートの切り売りになるときもあると、「これでいいのかな」と悩みますね。