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22才女の悩みとは?心の底からのアドバイスをお願いします
- 22才女性が長年にわたり否定やいじめに悩み、心療内科に通ってきました。しかし自殺する勇気もなく、安楽死の願望があります。周囲からは明るく元気なイメージを持たれているため、本当の自分をさらけ出せずに苦しんでいます。友人や恋人を信用できず、自信も持てない状況です。どうすれば良いのでしょうか?
- 22才女性は両親の否定やいじめといった辛い経験を抱えています。心療内科にも通院しましたが、自殺の勇気がなく、安楽死を望んでいます。周囲からは明るく元気なイメージを持たれているため、本当の自分を隠し続けることに苦しんでいます。友人や恋人を信用できず、自信も持てない彼女にどのようなアドバイスを送りますか?
- 22才女性は長い間両親からの否定やいじめに苦しんできました。心療内科に通ってきましたが、自殺する勇気もなく、安楽死の願望があります。周囲からは明るく元気なイメージを持たれているため、本当の自分をさらけ出せずに悩んでいます。友人や恋人を信用できず、自信も持てない彼女にどうしたら良いのでしょうか?
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どうにかする=変える、では無い。 貴方はこれからも貴方。 これからも貴方は貴方である以上、 今の自分さえ否定せずに付き合っていくしかない。 貴方に必要な「どうしたら?」 それは、 いかに今の自分自身の事も否定せずに、 今の自分自身とも仲良くやっていけるか? 自分自身と少しでも仲良くなっていく事が、 結果的には他者と仲良くなる為の基礎にもなっていく。 今の貴方が、 信じられない問題にもたついているのは、 まだ自分自身と上手く付き合い切れていないから。 当然自分自身とさえ仲良く出来ていないなら・・・ 他者と自分以上に仲良くする事なんて出来ないよ。 (今の自分)本当に嫌・・・ 貴方はその言葉で「終わっている」。 だから苦しい。 その言葉には続きがあるんだよ。 本当に嫌・・・ ⇒でも、これも私なんです。 私である以上、 否定したり斬る事は出来ません。 出来ない以上、 私なりに受け入れていくしかない。 受け入れ難い部分は、 少しでも受け入れやすい形にして受け入れていく。 実は、 その作業(目線)は死ぬまで続く目線。 言い換えれば、 今自分自身を完璧に受け入れられて「いなく」て当たり前。 もっと言えば、 死ぬまで自分の全部は好きになれない。 最後の最後まで、 付き合い難い自分(の一面)は付き合い難い・・・ その感覚は続くかもしれない。 でも、 続いても貴方は生きていけるんだよ。 自分の全部を好きにならないと前向きになれない。 そんな事は無い。 たとえ自分の全部が好きになれなくても。 良いなと思える自分自身を「増やしていく」事は出来る。 増えたその分、 嫌いな自分が減る訳じゃない。 それでも、 良いなと思える自分自身を中心に世界に臨めるようになると・・・ たとえ好きじゃない(受け入れ難い)自分を感じても。 そんな自分に沢山引っ張られなくなるんだよ。 今の貴方は引っ張られている。 自分が嫌(嫌い)、 その感覚をズルズル引きずっている。 スヌーピーに出てくる、 毛布を引きずるライナスのような可愛らしさも無い。 貴方は、 たとえ自分を嫌いだとしても、 その嫌い云々を引きずらないようにしていく事。 たとえ自分が嫌いでも、 自分自身にコンプレックスや苛立ちがあるとしても。 それ自体を抱えやすいサイズに畳んでいけるように。 抱えやすいサイズになれば、 その時点で貴方の進行形を大きくは邪魔しなくなる。 自分を嫌いだ(嫌だ)、 そのおなじみのフレーズを使う事で、 今の自分自身の停滞やストレスに言い訳し続けてしまう。 それは本当に不毛な作業。 このズルズルがあるから、 今の私は笑顔になれないんだ、人を信じられないんだ! 貴方は今そう訴えている。 現実問題として見るなら、 そのズルズルが無くなる世界は無い。 自分じゃない自分になるにはどうしたら? そう考えるのと同じ事だから。 貴方はそこまで暇じゃない。 貴方が現実的に考えていくのは、 ズルズルを無くす事では無くて、 たとえそういう自分、そういう感覚があっても。 それでも私は私として、 そんな自分も抱えながら前に進んでいけるようにする事。 無くす事は出来なくても、 整える事は出来るんだよ。 重さ自体はさほど変わらなくても。 抱え方(背負い方)一つで、 心身に掛かる負荷って全然違うだよ。 利き腕だけに全部を抱えさせても腕がもげる。 背中だけに背負っても姿勢が曲がる。 両手で抱え、 背中にも必要な分背負い。 たすき掛けでも背負えるものは背負う。 抱え直す際、 荷物を詰め直しながら、 重複しているものは外したり、一つでまかなったり。 悩みや不安自体も、 そんな形で抱え方を「変えて」みると、 総量自体はそんなに変わっていなくても。 以前の自分に比べたら遥かに軽いな・・・ そう感じられるんだよ。 軽い=これならあっても邪魔にならない。 気付いたら、 ズルズル引きずる貴方が消えている。 理想は、 抱えているのもを、 少しずつ(でも確実に)無くしていける事。 そして、 不安に向き合う作業から目を切っているうちに。 抱えている事自体を忘れる位になれる事。 それは十分に、 今の貴方からも目指していける自分自身だよ? 貴方はこれからも貴方。 直ぐに白黒判定しない。 信じる⇔信じられない。 そんな二極化した世界にせずに、 貴方は信じられる「分」だけ信じていけば良い。 受け入れていける「分」だけ相手を受け入れていけば良い。 信じられると感じられる。 その範囲が大きくないからと言って。 それ以外の世界を、 全部「信じられない」と定義する理由も無い。 貴方の生き難さは、 直ぐに白黒を決め付けてしまう事でもある。 貴方はとても寂しがり。 人を信じたいし、信じて貰いたい。受け入れて貰いたい。 人一倍そう思って生きてきたんだよ。 その分、 思ったようにならない世界に踏んばる力が弱い。 少しでも信じられない(信じるのが怖い)、 そう感じてしまうと、 もう不安の貴方は残り世界を黒で塗ってしまう。 それは、自分を守る為でもあったりする。 殻を創る事で、一応自分を守る形は取れるから。 でも、 そんな貴方の「内側」の慌ただしい世界、 それが≒貴方の印象でも無かったりする。 貴方は、 外面は意外に良いんだよ。 もっと、 内側の心の風景がそのまま反映されたような、 寂しがりで駄目駄目の自分を晒しても良いんだけれど。 貴方は幸か不幸か、 遠くから見た印象は結構良い。 貴方は、 そんな外からの印象(期待)に対して、 何となくぶつからないようにと自分を演じてしまう。 大丈夫じゃないのに、 大丈夫風に演じてしまう。 それも貴方が勝手にやっている事。 誰も貴方にそんな風に自分を演じろ、とは言っていない。 貴方が選んでやっている。 それが出来てしまった事も、 結果的には貴方を追い込む要因になっている。 選ぶ事で、 周りの印象(イメージ)は覆さずに済ませてきた。 でも・・・ イメージを崩さないようにしてきた諸刃として、 貴方はイメージの延長で語られる事が多い。 大丈夫じゃないのに、大丈夫「風」に見られる事が多い。 内側の貴方は誰にも気づかれない。 それが続けば続く程、 本当の自分はますます出せなくなる。 イメージと等身大のギャップがあり過ぎて。 気付いたら、 イメージで前に進んでいる自分と、 内側では全く進めずにもたついている自分。 その相反する自分像が、 一つにならないまま就活時期まで来てしまった。 就活のアピールは、 勿論貴方の外面中心になる。 でも、 貴方の内側は、 実を伴わない外面を主張する事に否定的。 本当は自分に自信なんて無いし、 まだ自分自身とも仲良くし切れていない。 それでも、 上手くやれている前提で語らないといけない。 貴方には今、それが少しきつかったりね? それでもね、 見る人が見たら・・・ 貴方は全然器用なタイプでも無いんだよ。 実は演じ切れてもいない貴方がいる。 自分を出すのが怖いのは、 そんな自分がいると知ったら驚かれる(かも) そう思う貴方がいるからでしょ? でも、 貴方が今抱えている不安は、 実は貴方「らしい」不安でもある。 仮に貴方が、 信頼出来る誰かに吐露したとしても・・・ 誰も驚かないし、驚かれない。 これからの貴方は、 信じられる分だけ人を信じ、 受け入れていける分だけ人を受け入れていく。 白黒で世界を図らずに、 自分自身の心の不均衡を変えていく。 そして、 自分自身というバランスを整える為にも。 イメージの自分だけを先行させないで。 もっと貴方の弱い部分も素直に見せていく。 見せても良いと思える分だけで良いから。 今までの貴方はそれさえ怖がってきた。 これからの貴方は、 そんな自分も大切に、 心の中の風通しを創っていく事。 見る人が見れば分かるんだから。 透明のガラスの中に隠したって見えるんだから。 背伸びしない自分も大切に、 地に足の着いた貴方らしさを創り上げていく事。 改めて、 これからの貴方自身を大切にね☆
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- ecco
- ベストアンサー率23% (81/346)
>そんな周りからの評価と本当の自分のギャップにも苦しんでいます。 それも一つの才能と呼べるのでは。 もしかしたら女優に向いているかもしれません。 周りに見せている自分は嘘の自分と思っていらっしゃるかもしれませんけれど、 そう見せられる、その一面も含めご自身なのではないでしょうか。 一番仰りたいのは、本音を言える人が欲しい、ということなのではと思いますが・・・。 私も若い時は何事にも懐疑的で批判的でした。 オバチャンになった今は随分楽になりましたけれど・・・。 >もう22年もこれです、どうしたら良いのでしょうか? 「もう22年」と仰いますが、見方を変えれば「まだ22年」です。 これからご自身が気持ちを楽にできて笑顔になれたら、22年ですんだ、ってことになります。 何事も見方次第だと私は思います。 >誰も信用できないし、好きという感情がわかりません。 「好き」というのは人に対してだけでなく、自然とか物とか芸術とか、全てに対してでしょうか。 何でもいいので、一つ何か好きなものを見つけられると、そこが自分の居場所になる気がします。 毎日辛いけれど、好きな音楽聴いてる時は気が休まるなあとか、 ホットココア飲むと落ち着くなあとか、 ふかふかのお布団で横になると楽だなとか。 なるべく自分の好きなものをたくさん見つけて、それで頭をいっぱいにできるくらいになれるといいですね。
はじめまして(^-^) 僕も同じような経験をして苦しんだことがあるので回答させてもらいます。 僕も小学校では人間関係に苦しみ中学では明るい自分を演じていました。高校ではそんな自分のギャップがいやになり誰とも関わらないようにしていた時もありました。しかし大学が始まるとき、自分を変えたいと思い、本当に信じられる人のまえではできるだけ自分らしくいようと努めるようにしました。それからは人のまえでも少しは自分をさらけだせるようになったと思います。 僕もいまでも周りからの見られかたと本当の自分のギャップに悩むことがありますが、なにかを機会に自分を変えようとすることで、少しずつ自分に自信が持てるようになるのではないかと思います。 あまり的確な回答ができませんでしたが、すこしでも力になれたら幸いです。 それでは、無事に答えが見つかることを祈っています(^-^)
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
本当はご両親が病院に通った方が良かったのでしょうけど・・ まぁいつも一緒にいるからと信頼して付き合ってる人ばかりではないし、そのような付き合い方だから満たされない人も沢山いますよね。 特に何もなかったなら信じていい年月は経ってる気がしますが・・ >どうしたら良いのでしょうか? 元気を装いすぎているようなので、年齢的にも少し落ち着いていいんじゃないですか?
いろいろ考えすぎじゃない? 親から否定されてるなら親から離れればいい。 今はいじめられてないんでしょ。 考え事しないで今に集中したらいい。
- kukunariesu2000
- ベストアンサー率33% (43/130)
こんにちは。 chocoberry13さんは、自分を好きですか? 自分で思っている自分のことは好きですか? こういう風に思われている自分のことは好きですか?↓ >高校からは両親やいじめ経験から学んだ処世術で「明るく元気な子」として生き、 今では周りから「○○がいたら場が明るくなる」「自信有りそう」「悩みなさそう」 などと言われます。 私はchocoberry13さんの親くらいの年齢ですが、今でも「外から見える自分」と自分で思っている「本当の自分」の違いを感じていますし、そして時に「これまで知らなかった自分」に驚かされます。 >そんな周りからの評価と本当の自分のギャップにも苦しんでいます。 自分をさらけ出すことができないのです。 皆さんがなぜ、当たり前のように、信頼できる友人がいて恋人がいて結婚できているのか理解できません。(その願望は人一倍あります) あなたも人の内面は見えないのですから、どうして他の人がこうだと言い切れます? 他の人こそ、もしかしてあなたに対して上記のように思って、羨んでいるかもしれませんね。 他の人がみんなうまくやっているのに、自分は不器用で何もうまくいっていない。そう感じているようですが、あなたに見えないだけで、みんなそれぞれの辛さや悩みを抱えているということを、理解しましょう。 あなたが、他の人はなんの苦労もなく幸せな状態にあると思っている限り心が通うことは難しいですから、 あなたと同じように悩んだり苦しんだりしていると理解できれば、あなたも心を開くことはできるでしょう。 chocoberry13さんはある意味、できない子供をしかる親のような態度を自分にとっていませんか? 「みんなちゃんとうまく生きているのに、どうしてあなたはできないの」と。 ですが、自分の最大の味方は自分でなければなりません。できない自分を理解してあげて、あなたのペースで、あなたの良さを見つけ、励まして伸ばしていくようにしましょう。花や木を育てるように、時間をかけて愛情を注いでください。それが「生きる」ということの一つの意味だと私は思っています。 理想を持ち、「なりたい自分」を描いて、一歩ずつ近づいていけばいいでしょう。 高校からの「明るく元気な子」のあなたは、あなた自身が「そうだったらいいな」と思った姿でしょうか。 もしもそれが完全なお芝居で居心地が悪いのなら、少しずつ変えていきましょう。「明るく元気な子」に、何を加えたら、あなた自身の居心地がよくなるか、考えてみましょう。 読みさえすれば楽になる、そんな魔法のような答えはありません。ここにすべての答えはありません。ですが、ヒントになることはありますし、あなた自身の頭と心で、自分が幸せに生きていくには何が必要か、どうすべきか、考えていきましょう。
大きく道は2つあります。 ひとつは人を信じるように価値観を変える道。 もうひとつはそのまま人を疑い続ける道。 前者は傷つくことが多い分、楽しいことも多い。 後者はみんなとワイワイできない分、頭が良くなるし、有能で騙されません。 どちらも一長一短です。 傷つく覚悟で相手を信じるならば、裏切られることは折り込み済みで信じることです。 裏切られたと思っても、「これがわたしの選んだ道、わたしが勝手に信じただけ」と割り切ることです。 疑い続けるなら、そんな自分を受け入れることです。 「わたしは他人を信じない、期待しない。だからひとりで生きていけるスキルをつけてやる」ってね。 そのためにもとにかく孤独力をつけ、誰よりも勉強し、ひとりでとことん自分を磨いてください。 どっちもラクな道じゃありません。 あなたの努力次第です。 結局、あなたを救えるのはあなただけです。
- Jelly-beans
- ベストアンサー率16% (119/704)
そうね… 多くの人が、自分をさらけ出さず、 社会に参加していると思います。 否定され続け、冷えてしまった心には 暖かい暖炉のような方を見つけたら、 近づいていくから、そのうち現れる と思いますよ。 そしたら、心の内を聞いて貰えるよ。 今は、この人は大丈夫かな、と様子見で 少しづつ探ってるだけだよ。 そんなに何人も居ないからね。 自分くらいは、自分を否定しないでね。 私は、お手本は お散歩中のわんこです。 どのコも皆、 『生きているだけで楽しい』 という感じで歩いてます。 そう、思いたい。見習いたい。 中には、犬に厳しい飼い主もいます。 私にはどうする事もできませんが、 犬はけなげに、与えられた環境の中で 必死に生きています。頑張れ、と思います 貴女は22歳になられたのですね、 今は、実家は出られたのでしょうか。 実家には間借りしていたくらいの気持ちで これからは、大家と店子くらいの距離感で クールに生きていかれたらよろしいかと。 貴女が結婚して、お子さんに恵まれたなら お考えの変わる部分も有るかもしれないし 親になって初めて見えてくる事もあるかも がんばって。
- HeyXey
- ベストアンサー率26% (134/497)
50代男性です。 たとえ親であっても人間として駄目な部分もあります。『お前のため』と言いながら自分の都合を押し付けたり、恩着せがましくしてみたり、それを見抜かなければなりません。世間でも親に不満のない人の方が少ないでしょう。何らかの問題を抱えている人の方が多数派なのです。 「自分はこんな親に育てられたから特別扱いして欲しい」と他人に言ったところで、他人との溝を深めるだけです。他人は自分のことを理解してくれなくて当然なのです。少しでも理解してくれた人には感謝するのみです。 他人に対して期待をしてはいけません。そう言うと、何だか冷たいことのように思われそうですが、そうではありません。他人に期待するとは、「自分に何らかの利益をもたらしてくれることを当然のように要求する」ことです。親友なら、恋人なら、こうしてくれて当然である。――そういう考え方が、結局は自分を苦しめます。 自信をもつということに、特別な根拠などいらないのです。「自分は、この世の中でたったひとりの、かけがえのない存在である。だから、自分は、生きているというだけで値打ちがある」という理由でいいのです。むしろ、「学歴が高い」「容姿が美しい」「金持ちである」などの、条件つきの自信などというものは、はかなく、虚しいものです。逆にいえば、「それを失えば、自分は価値がない」ということになってしまいます。無条件に、自分は価値のある人間だと思うこと、それは、誰にでも可能なことです。 他者中心的な人は、ともすれば、「他人を尊重する」ということを、「何でも他人のわがままを許し、言いなりになる」ことだと勘違いしてしまいます。よい意味で自己中心的な人は、他人に流されず、かといって自分の都合だけを押し付けることもなく、他人と健全な人間関係を築くことができます。自分を中心に考えることができる人は、自己価値というものを、「自分の気持ち、自分の考え、自分の言動」の中だけで完結することができます。他人からどう評価されるかということは、あくまで「おまけ」にすぎないのです。 他人を喜ばせるもっともよい方法は、自分が相手との付き合いを楽しむことです。それだけで充分なのです。「相手も楽しむこと」まで要求するのは、ごう慢というものです。 「人を信じることは美しく、疑うことはみにくい」という類型的な観念にとらわれなくてもよいのです。信じるか信じないか、ということよりもっと大切なことは、「自分の責任において、自分の頭で判断する」ということです。
- Bcsno_111
- ベストアンサー率0% (0/1)
Aさん(仮)これまでにひどい苦しみを経験してきたんだと思います。想像を絶するものなんだと思います。生きることが嫌になる出来事もたくさんあったんだと思います。私も少なからず経験しました。でもAさんはAさんです。他人をいちいち気にするのではなく目の前のことを一生懸命にやればいいと思います。そうすれば自信のない自分とはおさらばです。長文で申し訳ないです。
- kura_chang
- ベストアンサー率29% (181/620)
私は精神的に凄く健康です。そんな私でもがっかりしたり、プライドが傷ついたり、嫌な目に遭ったりしてついつい「くそっ!」なんてはき出したりすることがあります。その「くそっ!」と呟くのも、嫌なことを自動的に忘れるのも自分の精神状態を正常に保つための、自分自身に備わったいわば防衛本能によるものだと思います。 そういうことができる、精神が健康な範囲の人にアドバイスを求めても「努力しろ」「がんばれ」「わすれろ」という、健康な人しかやれない言葉が返ってきます。健康な人から見たら、がんばれて当然なのだからしょうがない。でも、あなたはすでにそれができない状態なのではないですか? 私なら、もうそうなってしまったら自力脱出はあきらめて、カウンセラーに頼ります。そのカウンセラーでは楽になれないと思ったら、カウンセラーを変えて、相性の良い人に出会うまで変えていきます。 素人にアドバイスを求めるのは、まだあなたが自力で脱出しようとしてるからでしょう。自力で何とかなる状態なんでしょうか。そうでないと思うならば、他人の手を借りましょう。
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