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ひらがなとカタカナ 

 昔の法律や電報等はカタカナを使うことが多いように思います。ですが、新聞等は戦前でもひらがな表記が標準のようです。  カタカナとひらがな、どのような使い分けが行われてきたのか、また現在のようにひらがな優勢になった理由は何なのかについてご教示頂けますでしょうか。

みんなの回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

 #3です。補足です。  僕たち、学校で1945年以前に書かされた教育勅語などは  「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」    で始まり、片仮名表記で、濁点、半濁点、句読点のないものでした。これは公文書、とくに勅語の例です。

takepan_toki
質問者

お礼

遅くなりましたがご回答ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

1。昔(奈良時代)は、万葉仮名しかありません。 2。平安になると平仮名で日本語を書く伝統が女性の間に生まれ、男性の方は、漢字を使って和製漢語を書く過程で、片仮名を漢字を読む助けとして使うようになります。 3。この流れ、すなわち日本語は平仮名で、漢語の補助記号は片仮名で、という区別が明治まで続きます。 4。したがって、非公式の日本文は平仮名で、公式の漢語(勅語、法令など)の振り仮名は片仮名になります。 5。公式の文をすべて平仮名に変えるのは明治以後で、仕事のなくなった片仮名は漢語以外の外来語表記に使われることになりました。 6。下記等をご覧下さい。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E4%BD%93%E7%B3%BB

takepan_toki
質問者

お礼

遅くなりましたがご回答ありがとうございました。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

戦前の尋常小学校の教科書は、まずカタカナだけで始まります。 貧しい農民の子女はその先にも通えず、カタカナだけ読める、という時代で、ひらがなや漢字を読み書きでき、新聞などが購読でき読みこなせるのは、金持ちの男子がほとんどでした。 大正から昭和初期を描いた演劇や、当時のハガキ手紙の文面でも、一兵卒のものや女工さんの手記においても、そのような識字教育の優先度や教育の就業年数が見えてくるでしょう。

takepan_toki
質問者

お礼

遅くなりましたがご回答ありがとうございました。

  • maiko0318
  • ベストアンサー率21% (1483/6969)
回答No.1

今でも半角で書ける文字はカタカナだけです。(8ピクセル×8ピクセルだったため) カタカナとひらがなを入れる容量がなかったため、 画数が少なくて丸みなどのない(フォントを作りやすい)カタカナが採用されました。 ひらがなは読みやすいのでひらがなも入れられるようになった現在ではひらがななのでしょうね。

takepan_toki
質問者

お礼

遅くなりましたがご回答ありがとうございました。

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