• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:盛者必衰の理、覇者交代のシーン)

盛者必衰の理、覇者交代のシーン

このQ&Aのポイント
  • ワールド・カップやWBCに代わり、私にとっての世界的なスポーツ・イベントはゴルフの祭典・マスターズである。
  • マスターズの魅力は美しいコースと一流の選手、優れたパトロンに支えられた環境にある。
  • 最近のマスターズではタイガー・ウッズの衰えと最後の勇姿を見せたジェントル・ベンの出演が印象的であった。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.14

こんにちは。 とても楽しそうな質問です。 昨日、テレビで水泳の日本選手権を見ていました。 最終日盛り上がる雰囲気の中で勝利者インタビュー。 これがまた楽しい。  その中で『あれツ!』と驚かされたことがありました。  女子50メートルバタフライで14才の中学生が優勝。 その態度が実に堂々としていたのです。 インタビューの合間も微笑を湛えたまま、カメラをしっかり見つめながら、低い声で理路整然とした受け答え。  正直、『これが14才の女の子?』と思いました。 彼女はまだ14才ですが、既に覇者としての風格を備えており、そうなるために生まれて来ている。 そう感じました。 

isoken
質問者

お礼

IXTYS さん、こんにちは。 >とても楽しそうな質問です。 誠に恐縮です。 ところで大変失礼ながら IXTYS さんの PF を拝見して、 「 おおっ! 」 ・・とのけ反ってしまいました。 何せ遥か昔にその行政区分自体が消滅した、熱河省豊寧県のお生まれであられるとか・・、恐らく万里の長城が途切れる辺りがそうだったのではないでしょうか。 満州国の時代及びその後1950年代半ばまで存在した熱河省豊寧県、現在の行政区分では河北省承徳市に属する満族の自治県ですね、地理的には殆ど内モンゴル自治区に隣接する地域でしょうか。 少々わくわくしちゃいまして取り急ぎ調べたのですが、確か鮮卑の流れを汲む契丹・遼の聖地の一つがあの辺りに在ったんじゃないかと・・、今年に入り物故された陳舜臣氏の小説 「 耶律楚材 」 がベストセラーになった時分に何かで読んだのですが、やはりそうみたいです。 あの辺りは半農半牧の少数民族が幾多の興亡を繰り返した土地柄、もう私にとっては歴史のロマンでして、大いなる興味の対象以外の何物でもありません。 それにしても無知でした、満州族 ( いや失礼、現在の中国に於いてこの呼称はタブーなんですね ) なんて漢族に吸収されて消滅したものとばかり思ってましたから・・。 余計な事ばかり申し上げましたが、さて本題 >女子50メートルバタフライで14才の中学生が優勝。 その態度が実に堂々としていたのです。 インタビューの合間も微笑を湛えたまま、カメラをしっかり見つめながら、低い声で理路整然とした受け答え。  日本の水泳界は今や第 2 期或いは第 3 期の黄金時代に突入したと申し上げて、差支え無いのかも知れません。 何しろ裾野が急速に広くなりました、当然北島康介選手他の活躍に触発された結果なのでしょうが、子供達が当たり前のようにスイミング・スクールに通う御時世、これは現在50代半ばの私が幼かった頃には考えられなかった風景です。 >正直、『これが14才の女の子?』と思いました。 彼女はまだ14才ですが、既に覇者としての風格を備えており、そうなるために生まれて来ている。 そう感じました。 恐らく幼少の頃より ( 今でも十分若いのですが ) 場数を踏んでいるのでしょう、勲章を幾つかぶら下げてもいると思います。 加えて今やスポーツに欠かせないメンタル・トレーニング、その効果というのも見逃せない要因でしょうねぇ。 総じて最近の子供はさほど物怖じしない・・、この点は例えば20年・30年前との比較に於いて誠に顕著な傾向でありまして、閉鎖傾向にあった我が国の扉が徐々に開かれて来た結果、特に若い子に於いてメンタル部分での化学変化を齎した、或いはそういう事かも知れません。 回答ありがとうございます。 

その他の回答 (16)

回答No.17

今晩は。ギリギリ間に合わず追加願いました。 マスターズは更に若い王者誕生ですか、各スポーツで英才育成が行き届いたのか? 兎に角スケートや水泳でも彼らの平常心のメンタルには隔世の感ですわ。 ゴルフ中継生で全部観たのは、帝王ニクラウスvs青木の全米最終日でした。勝ってれば歴史的な覇者と成れたのでしょうが、。 さて覇権の交代として重視すべきは、東映プロデューサー ◉俊藤浩滋.と藤純子さん父娘の敗北でしょうか。自ら任侠とは距離置くべく名を改めた,富司純子は別として、当時はGMか?岡田茂社長が、 任侠路線に見切りを付けたのに対立し、俊籐氏は独立プロ画策。その直後に和解するも、73年の「仁義無き..」以降は干されたと言って良いか。 大映で撮った「ダイナマイトどんどん」はお好みでしたね、其れと,健さんの「ザ・ヤクザ」日米合作。時代は実録路線へと舵を切る。 ~深作監督起用を推したのは,俊藤と菅原さんだそうですが、 ●図らずも象徴的には、高倉健⇨菅原文太,と云う覇者交代か⁈ 実録: リアリズム、此れは日本に限らない。ハリウッドのスタジオSystemの終焉が73年、ポップスでもロックやSOULの名スタジオ閉鎖が同時期です。~オイルショックと重なる。 ~量産システムとは言え、職人技が活きてたのが、大量生産大量廃棄の後期資本主義に取って変わる。~コッポラやルーカスらは個人プロを模索か。配給は大手が生き残りで一手に。 内容でも夢見がちな浪漫を捨て、リアルな西部劇とか時代劇。それもフィクションに過ぎないですが。ニューシネマもそうか。私等は此処から見始めた世代で支持もしてたけど、今となると此の路線には両義的です ●深作欣二,追悼番組で息子さんでしたか?「戦闘の悲惨さを強調し、平和を希求して貰う為に敢て汚い抗争を描いた、監督は反戦的だった」と。 だとしたら、戦を悪だと盲目的に,検証も無く決めつける風潮を助長したキライが有るか?。私とて近代戦争が良かったとは言いませんが、嘗て煌びやかな戦は有った。今でも戦わなければ為らぬ場合は有る。その時の実戦法ではなく心構えとして、任侠道にはリアルさが有る。 ●仁義無き・」で、美能幸三の兄貴分、呉の大物:最後の博徒; 波谷守之 が出て来ないのも、任侠に厚過ぎた人だからか? 73年以降の世代は、温故の任侠は観ようとしない。 家人が最近の時代劇に文句付けますが、じゃあ何が良かったと訊くと、当時のTV時代劇なんです。山田五十鈴さんは必殺しか知らない。黄金期時代劇も任侠も観ようともしない。其れで日本文化を騙りやがる。妹だけは劇場に侠客伝を観にいき痺れてましたが、客層には文句タラタラだった(^^。 過去に無関心は拙い、歴史は振り返す。私は80’sポストモダンからです、近代以前に目配り始めたの。 さて覇者と成っても,文太さん、十年もせずに足を洗ったか。その後は持ち前の反骨からか、権力にも物申し通された。個々の意見は別として、その御姿勢には頭下がります。しかし平和希求ではあった。 健さんは政治的には沈黙を通しましたが最後に、終戦日の思いを録音して、先日TVで放映されましたね。如何な思いかは定かでないですが、任侠以降は、共産党シンパの監督と組む事が多かった。 ◉深作欣二もシンパでは無いですが、党員の今井正や山本薩夫が東宝争議受けて作った左翼系独立プロの、 新星映画社で「軍旗はためく下に」を撮ってる。セット使えず低予算、手持ちキャメラの手法が後の実録に繋がる。 http://www4.ocn.ne.jp/~taraga/movie_japan_director/fukasaku/report/under_the_flag.html 「平和は良いが、人間の活力の衰弱を危惧し」最期迄暴力描写に拘った。監督も両義的でしたか。私は社会派好みませんが、今の低レベルな左右の罵り合いよりは高度な闘争が行われてた模様。一筋縄ではいかず面倒臭いですが、其れ反映した映画内容も興味深い。 元党員の読売ナベツネや氏家らの転向組と、元武闘派の今穏健派。逆クロスの状況も此の,73年辺りの政治の季節終焉から始まったのでは?~今に続く。旧い労使,保革対立が終り、資本だけが勝った訳ではないですが、対抗文化が一時撤退戦を余儀無くされたエポックの年でした。 でも私個人は、ヤクザを美化したと非難もされる任侠路線の何が悪い?とも思います。刺青も伝統、海外アスリートは最早皆入か?^^!。雪駄履いてるだけで厄扱いされるとアッシも困るのですよ~(^^。平和左翼こそ任侠を見直すべきだと想う、とまあ何時もの主張、御免下さいまし(^^。

isoken
質問者

お礼

marc さん、こんにちは。 変な時間に締め切ったものですから、昨夜は大変失礼しました。 それにしても相変わらず濃密過ぎるほどに濃密な御回答、私が知らない話も多々有り加えて marc さんのパッション全てに応えていてはページが幾つあっても足りない・・という事で、早足でのお礼となります旨、御容赦賜りたいと存じます。 >マスターズは更に若い王者誕生ですか、各スポーツで英才育成が行き届いたのか? 兎に角スケートや水泳でも彼らの平常心のメンタルには隔世の感ですわ。 今年のマスターズの栄冠は、 J . スピース という若干21歳の若者が手にしました。 彼は驚くほどパットが上手い、加えて心臓の強さにも驚きましたが、この点は marc さんも触れておられる通り昨今の若者に共通するものでしょう。 >ゴルフ中継生で全部観たのは、帝王ニクラウスvs青木の全米最終日でした。勝ってれば歴史的な覇者と成れたのでしょうが、。 今も尚語り継がれる 「 バルタスロールの死闘 」 、帝王ニクラウス全盛時代1980年の事ですが、あの全米オープンこそが青木功に 「 世界の・・ 」 という定冠詞を齎せました。 彼も日本人離れした強心臓の持ち主、あのメンタル面の強さがジャンボにあれば、彼も世界に羽ばたく事が出来たかも知れません。 >◉俊藤浩滋.と藤純子さん父娘の敗北でしょうか。 任侠映画ファンであれば、誰もが知っているであろう大物プロデューサー・・というよりも、むしろこの方自身が任侠の匂いを色濃く纏っておられた。 恐らく永遠に鶴田浩二・高倉健の世界を取り続けていたかったのでしょう、ただ時代がそれを許しませんでしたねぇ。 >大映で撮った「ダイナマイトどんどん」はお好みでしたね、 この映画のタイトルは知ってますが観た事はない、ただ後の 「 トラック野郎 」 をも含め、文太さんをコミカル路線へと誘ったその原点は、東映時代の菅原文太・川地民夫主演「 まむしの兄弟 」シリーズにあるのでは?、勝手にそう思っております。 この神戸・三宮を舞台にした「 まむしの兄弟 」シリーズは、後に一和会結成に参画した加茂田重政元山口組若頭補佐がモデル ( 真偽のほどは不明 ) と言われております。 >●深作欣二,追悼番組で息子さんでしたか?「戦闘の悲惨さを強調し、平和を希求して貰う為に敢て汚い抗争を描いた、監督は反戦的だった」と。 深作欣二さんは明確に戦中派ですね、この世代は幼少時に悲惨な戦争を実体験されおりますから、リベラルな方が多い傾向にあるようで、民族の誇りよりも戦争の悲惨さの記憶がどうしても勝ってしまうのでしょう。 因みにうちの親父もそう、こてこての軍人一家に生まれながら、太平洋戦争は負けて良かった、今尚そう申して憚りませんから・・。 >●仁義無き・」で、美能幸三の兄貴分、呉の大物:最後の博徒; 波谷守之 が出て来ないのも、任侠に厚過ぎた人だからか? 以前 kamejrou さんともお話したのですが、飯干晃一氏著 「 仁義なき戦い 」 に、波谷守之さんのお名前が一句一行出て来ないのは何故だろうかと・・。 原文となる手記を残した美能幸三氏とは実質的な兄弟分でもありますし、美能組長を説得して堅気にさせた、つまり広島・呉の不毛な戦いを終息に導いた功労者の一人でもあったはず、加えて広島極道社会に限らず任侠世界では重きを成しておりましたからねぇ。 まあ二人してこういう結論に至ったんです、波谷守之さんを登場させると話が広がり過ぎてしまうと・・、この点は恐らく間違いではないのだろうと思います。 >元党員の読売ナベツネや氏家らの転向組と、元武闘派の今穏健派。逆クロスの状況も此の,73年辺りの政治の季節終焉から始まったのでは?~今に続く。旧い労使,保革対立が終り、資本だけが勝った訳ではないですが、対抗文化が一時撤退戦を余儀無くされたエポックの年でした。 左翼からの転向組右翼って多いですよね、田中清玄さんなんて明確にそう、それから新左翼から新保守主義への転向組も少なくない、猪瀬直樹氏なんてそうじゃないですか。 個人的には右翼と左翼ってとっても似てると思うんです、それも振れ幅が大きいほど似て来ちゃう。 結局平等を謳うはずの共産主義こそがそれこそこてこての階級社会なんでしょう、かつてのソ連・中国・北朝鮮他、ほぼ例外が見当たりませんから・・。 尚余談ですが、ナベツネさんの一人息子は大学時代の1年先輩でして、一緒に遊び回った仲です。 >でも私個人は、ヤクザを美化したと非難もされる任侠路線の何が悪い?とも思います。刺青も伝統、海外アスリートは最早皆入か?^^!。雪駄履いてるだけで厄扱いされるとアッシも困るのですよ~(^^。平和左翼こそ任侠を見直すべきだと想う、とまあ何時もの主張、御免下さいまし(^^。 悩ましい問題ですよね、それこそ kamejrou さんも私も当カテで遠慮し~し~任侠世界を語る時、 「 決してやくざを美化する訳ではありませんが・・ 」 と一々注釈を入れねばなりません。 ただどうなんでしょう、任侠映画全盛時代の事、劇中で堪忍袋の緒を切った花田秀次郎が殴り込みに行く際、かつての学生運動の闘士も映画館で叫んでいたらしいですよ、 「 待ってました! 」 ・・と。 回答ありがとうございました。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.16

『isoken』さんこんにちは。 #14の再入場です。 『熱河省豊寧県』(ねっかしょうほうねいけん)に関する深い知識と満州の歴史文化への造詣の深さに敬意を表します。 父たちは満州国の建国に参加し、この地の参事官として奉職しました。 やっていた仕事は差し障りがあるので述べられません。  満州国の首都新京(今の長春)の大同学院と言う大学院大学で学んだ時、三級下にいた朝鮮族の青年の面倒をみたことがあると話していました。 彼の名は金成柱(キム・ソンチュ) 一字入れ替えるとどっかの建国の父ですね。 でも彼のことを口外することは生涯ありませんでした。 そんなことをすれば工作員に何をされるかわからないからです。 熱河省でやった仕事で東条英機と関東軍が急激に力を付け、台頭して来ます。  猪瀬直樹氏が書かれた『昭和16年夏の敗戦』はシンクタンク総力戦研究所について書かれています。 これは父の満州時代の同僚であった宮沢さんと言う方のインタビューをもとに書かれています。 東条英機は父も日本に呼び返してくれ、第二期の研究所のメンバーになりました。 第一期の研究課題は『日米開戦の帰趨』であり、第二期のそれは『How to close the war』でした。 

isoken
質問者

お礼

IXTYS さん、再度の御登場ありがとうございます。 尚過分な御言葉を賜りましたが、私如きは書物や他人様からの仄聞に依る単なる付け焼刃でして、お恥ずかしい限りの頭でっかちな知識に過ぎません。 ところで我が一族は明治政府開闢以来綿々と続く帝国軍人の家系でした、無論先の敗戦と共に雲消霧散致しましたが・・。 出征した5人の伯父はその全員が南方戦線にて若い命を散らし、その一方で開戦当時既に将官であった我が祖父は、上を恐れぬ直言を繰り返した故次第に官僚化していった陸軍内部で疎まれ、予備後備として内地の某司令官という閑職に回されて、失意の内に終戦を迎えたと聞き及んでおります。 ただそのお蔭で命があった事も、間違いのないところでしょうが・・。 そんな彼が若い頃、青島守備軍に一時軍籍を置いていた事、及び満蒙特に満州そして朝鮮半島に関して熱く語っていた様が、後の私をして特に満州への興味を呼び起こさせた、そう理解して頂ければ誠にありがたいと思います。 >満州国の首都新京(今の長春)の大同学院と言う大学院大学で学んだ時、三級下にいた朝鮮族の青年の面倒をみたことがあると話していました。 彼の名は金成柱(キム・ソンチュ) 一字入れ替えるとどっかの建国の父ですね。 でも彼のことを口外することは生涯ありませんでした。 そんなことをすれば工作員に何をされるかわからないからです。 さてあのお人に関して言えば、朝鮮半島の北部国境付近で抗日ゲリラとして知られた実在の人物の名前をそっくりそのまま騙った旨、今では明らかになっておりますが、それにしてもその来歴の全てを嘘で塗り固め、あまつさえ北半分の民を塗炭の苦しみに陥れている事、加えて我が国にも決して看過出来ない悲劇を齎せたその罪は小さいものではありません。 何時の日かその一族に、天罰が下される瞬間が訪れるでしょう。 >猪瀬直樹氏が書かれた『昭和16年夏の敗戦』はシンクタンク総力戦研究所について書かれています。 これは父の満州時代の同僚であった宮沢さんと言う方のインタビューをもとに書かれています。 東条英機は父も日本に呼び返してくれ、第二期の研究所のメンバーになりました。 第一期の研究課題は『日米開戦の帰趨』であり、第二期のそれは『How to close the war』でした。 私自身その著作を読んでおりませんが、日米開戦そしてその後予想される客観的且つ科学的な分析とシミュレーション、やはりするべきはちゃんとやってるんですね。 「 奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる 」という導き出された結論に至っては、まさにその通りの経過を辿ります。 「 なのに何故開戦へ ? 」無論私はそんな無粋な問い掛けはしません、IXTYS さんが重々承知しておられる背景があったのでしょう。 殊に『How to close the war』に関しては興味深いものがありますが、その分析が昭和16年に為されているという点を考慮すれば、緒戦に於いて手痛い打撃を与えて米国の厭戦気分を蔓延させ、欧州戦線に於けるナチス・ドイツの勝利を希望的観測で織り込み、早期の日米講和の仲介人と期待する、私であればそんな辺りを考えてしまいます。 さてもディープなお話が聞けるとは思わなかった、誠にありがとうございました。

noname#216458
noname#216458
回答No.15

こんばんは。今回もご丁寧なお礼をいただき有り難うございました。(笑) しかし、無学・無知・無教養な人間にとって「歴史」とは手ごわい相手ですね。付け刃の知識なぞ...(苦笑+汗;) いつもの宴を終えて、酔いが廻っての愚答です。たびたびのご無礼をお許しください。lin(_ _)imo 「8時だョ!全員集合」をご記憶でしょうか?... 1969年10月4日から1985年9月28日まで、TBS系列で毎週土曜日20:00 から20:54 までに放送されていた、ザ・ドリフターズ主演の国民的人気コント番組で、 常に日本のバラエティ番組を代表する存在として、今なお語り継がれています。(年月日等、ウィキペディァより抜粋) 自身が小学生の頃は、毎週土曜日が待ち遠しかったものです。しかし、小学校の高学年からか、もしくは中学生になった時期だったでしょうか、その存在自体が徐々に疎ましくなり、ついには、まったく見向きもしなくなってしまいました。1980年代には“漫才ブーム”が台頭し、「オレたちひょうきん族」が、フジテレビ系列で1981年5月16日から1889年10月14日まで毎週土曜日20:00から20:54 (同様に年月日、放送時刻等はウィキペディァより抜粋)に放送されてから、というもの、あの時期、ドリフの人気は完全に凋落してしまいました... 芸能界ってなぁ、浮き沈みが激しいもんだなぁ、と考えさせられた事例でした。 誠に失礼ながら、本日の宴で、このお題を使わせていただきましたが、真っ先に挙がったのが、この話題でした。 個々の詳述は避けますが、我々、むさくるしいオッサン連中のやりとりでは ・プロ野球、巨人V9で終わり ・相撲の大鵬引退 ・同じく相撲、若高の因縁 ・ブルートレインの廃止 などが話題として挙がりました。(苦笑+汗;) その昔、「巨人・大鵬・卵焼き」ってな言い方をしました。 「栄枯盛衰」...時の移ろいを感じながらも今を生きる... この程度の愚鈍な輩につき、鼻持ちならない場面も多々おありでしょうが、ひとつ、今後も宜しくお願い申し上げます。 あんまり続けますと、また「馴れ合い」との通報を受けそうなので、この辺で止めときます。(爆!) そういえば、最近、剛力彩芽さんご出演のCMが減ったなぁ、と感じるのは当方だけでしょうか?...(苦笑+汗;) おじゃましました。(笑)lin(_ _)imo

isoken
質問者

お礼

linimo さん、こんにちは。 >いつもの宴を終えて、酔いが廻っての愚答です。 相変わらずですね~、昨夜の宴は盛り上がりましたでしょうか? >「8時だョ!全員集合」をご記憶でしょうか?... 勿論です、当初キャンディーズがあの番組のレギュラー、他にも 70年代アイドルが必ず登場していました、アイドル好きだった私が見逃すはずがありません。 >自身が小学生の頃は、毎週土曜日が待ち遠しかったものです。しかし、小学校の高学年からか、もしくは中学生になった時期だったでしょうか、その存在自体が徐々に疎ましくなり、ついには、まったく見向きもしなくなってしまいました。 ひねた子供役が妙に笑いを誘った荒井の注さんが抜け一時低迷期に入るも、志村けんの加入で俄かに盛り返しました。 ただ私も linimo さんと同じで次第につまらなくなった、・・というのも彼等のお笑いが次第に幼児向けになった事、次いで下品な下ネタに走った事、原因はその2点であったろうと思います。 >1980年代には“漫才ブーム”が台頭し、「オレたちひょうきん族」が、フジテレビ系列で1981年5月16日から1889年10月14日まで毎週土曜日20:00から20:54 (同様に年月日、放送時刻等はウィキペディァより抜粋)に放送されてから、というもの、あの時期、ドリフの人気は完全に凋落してしまいました... あの当時の漫才ブームは強烈でしたねぇ、わたしなんてザ・ぼんちが出て来ただけで大笑いしてました。 まああれを知ってるから今のお笑いは全くつまらない、特に安物芸人を雛壇に集めくだらないコメントさせる馬鹿の一つ覚え番組、私は直ぐにチャンネルを変えてしまいます。 でも 8.6秒バズーカは好きですよ、だって面白いもの・・。 >誠に失礼ながら、本日の宴で、このお題を使わせていただきましたが、真っ先に挙がったのが、この話題でした。 失礼じゃありません、どんどん使ってやって下さい。 >・プロ野球、巨人V9で終わり これはまさにそうですねぇ。 V9 時代って、 ON を始めとする主軸が殆ど入れ替わっておりません、最終年などはアップアップの優勝でしたもの、その後の長い低迷期に入る訳です。 >・相撲の大鵬引退 私が物心ついた時には既に大鵬の全盛時代でした。 彼が強かった所以は、白鵬と同様相手の圧力を吸収するまるでショック・アブソーバーのような身体、そしてどんなタイプにも対応可能な柔軟性、そんなところでしょうかねぇ。 ただライバルがいなかったせいでしょうか、大鵬 1 強の時代は子供ながら少々つまらず、後の北玉時代の方が遥かに面白かった、特に驚異的な粘り腰の玉の海の大ファンでした。 >・ブルートレインの廃止 私も利用した事がありますが、新幹線とは全く違う時間であり空間のようです、でもブルートレインって、何故あそこまで日本人を興奮させたんでしょうね。 >この程度の愚鈍な輩につき、鼻持ちならない場面も多々おありでしょうが、ひとつ、今後も宜しくお願い申し上げます。 とんでもない、こちらこそ宜しく御願いします。 >そういえば、最近、剛力彩芽さんご出演のCMが減ったなぁ、と感じるのは当方だけでしょうか?...(苦笑+汗;) 彩芽ちゃんの露出は確実に減ってますね、武井咲ちゃんもそうではないでしょうか。 まあ何しろ天下のオスカープロモーション、雲霞の如くタレントがおりますからねぇ、他の女の子に回している可能性もありますよ。 再度の御登場、ありがとうございました。

回答No.13

isoken先生、こんばんは。 ゴルフを全くしない私が、マスターズを始めてみたのは十数年前、フィル・ミケルソンが優勝した年でした。 当時はタイガーウッズ全盛期で、他にもアーニー・エルスやビジェイ・シンの一流選手の技に、素人の私もハラハラドキドキして観てました。 最近は全く観る機会はありませんが、昨日の朝たまたまTVを付けたら・・・ 何番ホールか分かりませんが、ミケルソンがグリーン手前の池を右から巻いて狙うシーンでした。 残念ながらグリーンには乗りませんでしたが、十数年たっても一線で頑張ってるミケルソンを応援したい気持ちになりました。 今調べたら3位につけてるんですね?優勝は難しいかもしれませんが、頑張ってほしいです! で、回答ですが・・・ 先生はプロレスはお好きですか?私は昔大好きだったのですが、 最近バラエティ番組などで、長州力や天龍源一郎が滑舌が悪いという事でピックアップされ笑いを取っています。 私の中では、あの長州が・・・あの天龍が・・・という思いで観てますが、 先日、妻に「この人たちホントに強かったの?」て聞かれた時は、イラッとしました(笑) 妻はちょっと前にプロレスを観だして、最近のイケメン選手たちは知ってるし、強いと認識してるみたいなんです。 でも、あの頃の長州や天龍なんて、今のレスラー達は足下に及ばないぐらいバッチバチだったんですけどね^^; スポーツ以外だと、世代的にタイムリーじゃないんですが、吉田茂→鳩山一郎ですね。 三木武吉が個人的に好きなんです(笑)

isoken
質問者

お礼

chacha 師匠、こんばんは。 >ゴルフを全くしない私が、マスターズを始めてみたのは十数年前、ゴルフを全くしない私が、マスターズを始めてみたのは十数年前、フィル・ミケルソンが優勝した年でした。 そうそうそれなんです、あの時のシーンは今でも私の脳裏に鮮明に焼き付いております。 長い事メジャータイトルに手が届かなかった彼のメジャー初制覇が、マスターズでした。 それはもう当の御本人が跳び上がって歓喜した、18番ホールではギャラリーに交じって、当時まだおしゃぶりが手放せない長男を抱きかかえていたフィルの奥様と、まるでフランス人形の様な可愛いお嬢ちゃんが二人抱擁で出迎えたあのシーンには、私も思わず貰い泣きしてしまいました。 >当時はタイガーウッズ全盛期で、他にもアーニー・エルスやビジェイ・シンの一流選手の技に、素人の私もハラハラドキドキして観てました。 まあタイガーが頭一つ抜けておりましたが、彼とフィルそしてアーニー・エルスが当時の Big 3、ビジェイ・シンを加えて Big 4 、そんな感じの時代でしたねぇ。 >残念ながらグリーンには乗りませんでしたが、十数年たっても一線で頑張ってるミケルソンを応援したい気持ちになりました。 今調べたら3位につけてるんですね?優勝は難しいかもしれませんが、頑張ってほしいです! かつて奥様が乳がんを患った際、彼は可能な限りその病床に付き添った、本当に家族思いの好人物なんです。 そんなこんなで彼の人気はいまだアメリカで群を抜いた NO 1 です、本当のところタイガーが逆立ちしたって敵わない、これはもう10数年変わっていない厳然たる事実でしょう。 それはそうとしてまだ彼にも十分に優勝の可能性は残されている、少なくとも私はそう思っておりますよ。 >先生はプロレスはお好きですか?私は昔大好きだったのですが、 最近バラエティ番組などで、長州力や天龍源一郎が滑舌が悪いという事でピックアップされ笑いを取っています。 お好きか?とは失礼な !( 冗談です ) 、私は全盛時代のジャンボ鶴田が、当時19歳の私がバイトしていたロイホの都内一号店である世田谷馬事公苑店に現れた時、友人を呼んで代わりにサインをもらったほど筋金入のプロレス・ファンです。 ただ私のプロレスは長州や天龍の時代で止まっておりまして、最近は皆目分からない為大口は叩けません。 まあ長州も天龍もやくざ者が避けて通るほどの凄い顔です、加えて正直何を言ってるのか分からない時がある、通訳を呼んでほしいと・・。 でもいわゆる一つのどうでしょうねぇ、あの人相と滑舌の悪さがまた堪らない魅力とも思えるのですが。 >スポーツ以外だと、世代的にタイムリーじゃないんですが、吉田茂→鳩山一郎ですね。 >三木武吉が個人的に好きなんです(笑) 鳩山さんは現在の自由民主党の生みの親、吉田茂さんからの総理交代劇は、確かに戦後という一つの節目が終わった証でもあったようです。 何せ吉田さんはアメリカべったりの人物でした、当時それ以外の選択肢が無かった事は恐らく間違いないのでしょうが・・。 その一方で鳩山さんが保守合同と日ソの国交回復を成し遂げた、在任期間は短かったものの、残された足跡自体は決して小さいものではありませんねぇ。 ところで師匠のお好みは寝業師・三木武吉ですか、また随分と渋いところを・・。 回答ありがとうございます。

回答No.12

スポケンさんこんばんわw スポーツは疎いのですが、芸能人の盛者必衰・覇者交代なら思い当たります。 品川庄司というお笑いコンビが昔から好きでした。品川祐さんの方は映画監督やったり料理したり本を出したりと、途中から文化人として活躍するようになってたんですが、その頃アメトーークで起きたのが「おしゃくそ事件」。 電波少年の猿岩石で一躍有名になったものの、それ以来ドン底を這いつくばってた有吉弘行さんが品川さんを「おしゃべりくそ野郎」罵ったことで、有吉さんはあだ名付けで再び脚光を浴びるようになり、それと交代するかのように品川さんは影が薄くなりました。 品川さんは言動が鼻につく事が多く、視聴者の気持ちを代弁する有吉さんに人気が集まり、自分の役どころに気付いた有吉さんはそれから一気に上り詰めて復活しましたね。まあ品川さんは実力あるから消えることはないでしょうけど、お笑いグランプリ的なのでは無冠だし、冠番組もほとんど持てず、トップに立てない運命なのかもしれません。 それと松浦亜弥ちゃん、あれだけの国民的アイドルだったのが、はるな愛さんに面白おかしくモノマネされたことで、オリジナルの方がなんだかまともに見れなくなっちゃって、人気が逆転しちゃったのかなと勝手に思ってます。 あと、当県出身の「かわい過ぎる女芸人」おかもとまりちゃん、モノマネも上手いし可愛いしで、登場した時はビックリしましたが、あっという間に人気を福田彩乃さんに持ってかれてしまいました。美人度やキャラでは負けてないし、モノマネの実力は福田彩乃さんの方が上かもしれないけど、あそこまで落差が出たのは、福田彩乃さんは芸人枠で売り出さなかった事が勝因だそうです。芸人だとモノマネ上手くて当たり前だけど、何枠だかわかんない女の子がモノマネが上手くてけっこうな美人、ってことで受けたんですね。

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、こんばんは。 世田谷のトルコ石です。 >品川庄司というお笑いコンビが昔から好きでした。 「 ちょっと待って・ちょっと待ってお兄さん、品川庄司って何ですの? 」 すみません・嘘です、「 ミキティー~~~! 」 のコンビですよね、勿論知ってます。 何と言っても今の私はそこいらのガキ共と同じで、「 ラッスンゴレライ 」 に夢中、偉そうな顔をしている社内では口が裂けても言えませんが、一度このフレーズを使ってみたかった、嫁さんには 「 古~~~い! 」 と馬鹿にされようとも・・。 >電波少年の猿岩石で一躍有名になったものの、それ以来ドン底を這いつくばってた有吉弘行さん 懐かしいですね、今ググったらもう19年も前の事、有吉さんにも長い低迷期があった末の復活劇ですが、ただ今のままだとまた元の木阿弥でしょう、だって私はもう飽きちゃいましたから。 >品川さんは言動が鼻につく事が多く、視聴者の気持ちを代弁する有吉さんに人気が集まり、自分の役どころに気付いた有吉さんはそれから一気に上り詰めて復活しましたね。 あの二人のポジションは競合関係にあったのですか、それは知らなかった。 そう言えば、最近品川さんを余り見掛けない気がする、さすがに閣下の分析は鋭いですねぇ。 >それと松浦亜弥ちゃん、あれだけの国民的アイドルだったのが、はるな愛さんに面白おかしくモノマネされたことで、オリジナルの方がなんだかまともに見れなくなっちゃって、人気が逆転しちゃったのかなと勝手に思ってます。 それは言えるかも知れません、子育てに忙しいのか最近 「 あやや 」 の露出が殆ど無い、一方の大西賢二君は完全にお茶の間に定着した感じです。 実はこの私、当時40歳を過ぎた身で結構松浦亜弥ちゃんのファンでした、恥ずかしいから人前では黙ってましたが・・。 今そのポジションは断然 能年玲奈ちゃん、まあ可愛いこと。 >あと、当県出身の「かわい過ぎる女芸人」おかもとまりちゃん、モノマネも上手いし可愛いしで、登場した時はビックリしましたが、あっという間に人気を福田彩乃さんに持ってかれてしまいました。 良く知らないもので早速ググりましたら、おかもとまり嬢は可愛い系のお嬢さんで露出が凄い、一方の福田彩乃さんは普通に綺麗。 あのルックスであれば美人の物真似が普通に出来ちゃうんでしょうか、美人は得ですねぇ。 回答ありがとうございました。

  • sqqrcxvx
  • ベストアンサー率9% (84/911)
回答No.11

isokenさん、こんにちは。 >さてスポーツに限りません、貴方にとって印象的であった盛者必衰・覇者交代のシーン、 10年近く前、当時の甲子園はやはり斎藤対田中でもちきりでした。プリンス斎藤対ヒール(失礼)田中。優勝も斎藤、人気も斎藤。 進路も片や早稲田、こなた新興の楽天。田中は所詮斎藤の引き立て役。メディアの扱いもそんな感じでした。 そして今日、両者はもはや比較にすらなりません。田中は野村との出会いが大きかった。一流から手ほどきされれば一流への道が開ける。周りのレベルも何たってプロ集団です。 肩は消耗品だと思っていますから、投手の大学進学へは私は懐疑的です。4年間毎日投げ続ければそりゃぁ肩はへたります。 田中のことを最初は憎々しい容貌だなぁ位に見てたのですが、中々愛嬌も有るんですね。マー君人気は結構出て来ました。そもそもファンにとってプロ野球は現実に対する憂さ晴らしですから、マンガ的な人の方が良い。 本当のことを言えば、私は斎藤の大卒後の進路は野球部を持つ名門企業か、局アナか、俳優かなと思っていました。プロで通用するとは思ってなかった。自身がプロ一本を断言した際には意外な感を持ちました。甘いなとも。 事実入団1年目のキャンプでダルと並んで投げた際、ダルの球は「当たれば骨折するかな」位の迫力がTV画面を通してさえ感じられたのですが、斎藤の球は捕手の近くでおじぎする。 でも彼も今年で26~7歳。めっきりオジサンっぽくなったなと。俳優にならなくて良かったですね。入団1年目には、まぁ数年やった後でスポーツキャスターに転身するんだろうと見ていました。1年目は6勝でしたからそれを数年続けて、はい次へと。 ところが2年目からの成績じゃそれも難しい。ある程度は実績がないと。でも長嶋一茂も結構タレントやってますね。 でも斎藤佑樹はプロ中のプロだと私は・私だけは思っています。どの試合も3たこで終わる回はほとんど無い。いつも走者を背負う。冷や冷やのベンチ、蒼ざめる斎藤、息詰る観衆、スピード・球威共にない、さあどうする、最高のエンターテイメントです。ファンはスリルとサスペンスを求めています。いやぁぁリッパ。皮肉じゃありません。 田中の方へいきます。 今年は残念ながら打ち込まれるでしょう。今年2回目の先発が迫っていますが・・ 成績が上がらず、球団からの圧力で手術になって行くかも。暗い予想ばかりがチラつきます。isokenさんの見透しは如何でしょうか? あの愛すべきキャラはいいですね。昔の憎々しさが消え穏やかにさえ思える風貌になりました。お金と地位が顔を創りますね。でもあの世界、余り穏やかになってもらっても困るのですが。 夫人も、かつての面影はない。どういうタレント歴なのかもよく知りませんが。「女は結婚で一発逆転できますから」の第一人者でしょうか。画像で見ると彼女の着ている物の(生地が)普通じゃない。私にも分かります。

isoken
質問者

お礼

sq さん、こんにちは。 >10年近く前、当時の甲子園はやはり斎藤対田中でもちきりでした。プリンス斎藤対ヒール(失礼)田中。優勝も斎藤、人気も斎藤。 仰る通り、10年前のマー君はハンカチ王子の引き立て役でしかなかった、ただ当時からマー君の方がプロ向きだとは評価されておりましたが、その通りになりました。 何せ今や日本の野球ファンの話題を独り占めにするヒーロー、肩を並べるのは他にダルビッシュしかおりませんが、彼は今シーズンを棒に振りますから・・。 >そして今日、両者はもはや比較にすらなりません。田中は野村との出会いが大きかった。一流から手ほどきされれば一流への道が開ける。周りのレベルも何たってプロ集団です。 スポーツ選手にとって名伯楽との出会いは何にも増して大切でしょう、かの大投手江夏豊も言っておりました、 「 ムース 」 との出会いで後のリリーフ・エースへの道が開けたと・・。 イチローに対する仰木さんという好例もあります。 >肩は消耗品だと思っていますから、投手の大学進学へは私は懐疑的です。4年間毎日投げ続ければそりゃぁ肩はへたります。 私もそう思いますねぇ、高校生ですら球数制限を設けようかという御時世ですから 4年間が何とも勿体ない。 かつて休日ともなると読売巨人軍の旧多摩川グランドに日参していた私は、当時剛球投手として売り出し中であった槇原の横で投げていた、新人の桑田真澄の投球を見て驚きました。 球速も切れも決して負けてなかった、いや!桑田の方が上との印象すら持ちまして、いやはや才能がある若者は凄いと・・。 >本当のことを言えば、私は斎藤の大卒後の進路は野球部を持つ名門企業か、局アナか、俳優かなと思っていました。プロで通用するとは思ってなかった。自身がプロ一本を断言した際には意外な感を持ちました。甘いなとも。 日ハムも斎藤祐樹の将来性を買ったんじゃないでしょう、話題性その他数年で契約金の元は取れるだろうと・・、下手な新人をドラ1で取ってずっこけられるよりも、遥かにコスト・パフォーマンスはいいと踏んだんじゃないでしょうか? >でも斎藤佑樹はプロ中のプロだと私は・私だけは思っています。どの試合も3たこで終わる回はほとんど無い。いつも走者を背負う。冷や冷やのベンチ、蒼ざめる斎藤、息詰る観衆、スピード・球威共にない、さあどうする、最高のエンターテイメントです。ファンはスリルとサスペンスを求めています。いやぁぁリッパ。皮肉じゃありません。 また sq さんも強烈な事を・・、ただ斎藤選手には大学の4年間での成長が殆ど見られないのも事実、いや!球速は却って遅くなったとの印象すらある、投球フォームにも威圧感が無く、所詮高校生レベルであったのかなぁと・・。 正直申し上げてもうこれ以上は無理でしょう、残るは敗戦処理と言う選択肢しかない、本人の為にも早い時期での転身が最良の道であると考えます。 >田中の方へいきます。 >今年は残念ながら打ち込まれるでしょう。今年2回目の先発が迫っていますが・・ >成績が上がらず、球団からの圧力で手術になって行くかも。暗い予想ばかりがチラつきます。isokenさんの見透しは如何でしょうか? 大変残念ながら私も同感でして、先の敗戦後対戦したチームのバッターが言ってたそうです、「 昨年よりもストレートが 5 ~ 6 km 遅い気がした 」 ・・と。 ストレートが遅いと変化球が生きて来ませんから、以前のピッチングと組み立てを変えなきゃならない、これは苦労します。 早速 NY のメディアは球団のドクター並びに当の本人を批判する記事を掲載しました、このまま結果が出ませんと世論の風当たりを受けて早晩手術という事になる可能性は否定出来ないでしょう。 >夫人も、かつての面影はない。どういうタレント歴なのかもよく知りませんが。「女は結婚で一発逆転できますから」の第一人者でしょうか。画像で見ると彼女の着ている物の(生地が)普通じゃない。私にも分かります。 私も彼女の事はよく知りませんが、かつてお馬鹿キャラで売ってたらしいですねぇ。 ただ本当は恐ろしく知恵が回るんじゃないかと、何しろもう一生お金に困る事は無い、仮に離婚という事になってもそれ相応の財産が分与されますし、それ以上に一生田中将大夫人との肩書が付いて回りますからねぇ、売れないアイドルをやっている境遇とは格段の違いです、本当にいいのを捉まえたなあと・・。 また我が国のマスコミも馬鹿ですから、料理教室に通って旦那さんの為にせっせと体調管理に努めている賢妻扱い、 「 そんなの当たり前じゃねぇか 」 私なんてそう思うのですが・・。 最後になりますが、今私が最も贔屓にしている広島のマエケン、こいつは本当に可愛い特に笑顔がいい、男前じゃない点もまた良しです、ただ彼には大リーグに行って欲しくない。 当然 sq さんもそう思われるでしょうが、恐らく通用しないでしょう。 何より球が速くないまた技巧派でもない、中途半端な本格派はあの松坂大輔がさっぱりであったのと同様でして、またあのクラスはマイナー・リーグには掃いて捨てるほどおりますから・・。 回答ありがとうございます。

noname#216458
noname#216458
回答No.10

こんにちは。(笑)おじゃまします。lin(_ _)imo この世は、すべからく「栄枯盛衰」の繰り返し...栄華を誇り、頂点を極めたものが味わう悲哀とはいかなるものか... 答えたかったF1界での王者交代劇は既に挙げられていたので、しばし考え込み、「平家」が有るのなら、こちらにしよう、と単純な思いつきによる書き込みです。どうか、お気を悪くなさらいでいただきたい... まぁ、その前に、愚痴としてお読み流されれば結構ですが、個人的な例を申せば、かつて我が身を置いた会社組織でさえ、その筋では一目置かれた存在ながらも、いつのまにやらライバル会社に出し抜かれ、挙句の果てには吸収合併される始末、さて、その事態に陥る前に世間に放り出されたことを良しとするべきなのか、残って苦汁辛酸を舐めさせられ、たとえ悲哀に満ちようとも「上場企業のサラリーマン生活」を送ったほうが良かったのか... まぁ、確かに「先は知れていた」んでしょうけれども...(苦笑+汗;) 近年、よその地域ながら、長らく地元地域に根ざした活動を行っていた金融機関に勤めてきた付き合いの長い友人が、やはり吸収合併の憂き目に遭いまして、冷遇される身ながら家族のために必死にがんばっている様子を目の当たりにすると、まぁ、なんともやりきれないのでありまして... すみません、いつもながらの脱線で... さて本題。「栄枯盛衰」でF!界の王者交代劇、平家物語の次に思い浮かんだのは「江戸(徳川)幕府」ですね。 歴史にお詳しい質問者様に講釈をたれるなど笑止千万、まったく、おこがましい限りで、かつ、誠に申し訳ない限りなのですが、手元の物の本によりますと、慶長8年2月12日(西暦1603年3月24日:なんで日付が違うんでしょうね...苦笑+汗;)に、徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を起こしてから、慶応4年/明治元年4月11日(同じく日付が違うことに戸惑いながらも1868年5月3日)に江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間を指す、記されています。 始まりを、豊臣秀吉が死亡した1598年(慶長3年)とする説や、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した1600年10月21日(慶長5年9月15日)とする説や、豊臣氏滅亡の1615年(元和元年)をする説もあるそうですね。 同様に、終わりを、ペリー来航の1853年(嘉永6年)、または、桜田門外の変があった1860年(万延元年)、はたまた徳川慶喜が大政奉還を明治天皇に上奏した1867年11月9日(慶応3年10月14日)とする説もあれば、王政復古の大号令によって明治政府樹立を宣言した1868年1月3日(慶応3年12月9日)とする説もあるし、廃藩置県が行われた1871年(明治4年)とする説もあるそうな... (ここまでミスタイプが無いか心配です。有りましたら、何卒どうかヒラにご容赦を...) と、まぁ、諸説入り乱れようとも、実に長きにわたって我が国を牛耳り、まさに「我が世の春」を謳歌してきた「超長期政権」であることに間違いはありますまい。 今の政権与党も長き政権のあと、一度は下野したものの、政権復帰しましたが、そんなものなどは、この政権の強大さには比べるまでもない。「アラブの春」を標榜した時分の各国の独裁者政権も然り... しかし、いかに、これほど長きに渡って君臨し続けた政権であろうとも、その幕切れは、実にあっけなかった... 幕末の激動期の賢者達の活躍により「明治維新」へと導かれたことは周知のとおりでございます。この時期はドラマの題材として数多くとりあげられていることもご承知のとおり、「ラスト・エンペラー」の味わった悲哀は幾ばくのものか、想い馳せるのも一興なり... (それにしても、いま日曜日の夜に全国ネットで放送中の連続時代劇に出てくる女性を演じてらっしゃる女優さんを眺めるにつけ、この放送局は、ホントに“丸顔”が好きなんだなぁ、と感じます。...苦笑+汗;) 別のご回答にあった、あの「赤い皇帝」とさえ呼ばれた「かつてのF1界のスーパースター」も出始めのころは「ワルガキ」とも評されました。一昨年のスキー転倒事故以来リハビリ中とのことですが、王者の末路とは、かくも悲惨なものか、と心痛めております。 そういえば、今回のマスターズも優勝は「21歳のワカゾー(失礼!)」の気配濃厚だそうですね。まさに「盛者必衰・覇者交代」とは、このことなり... さて、自己の想いを吐き出してすっきりしましたので(?)これから出勤してまいります。(苦笑+汗;) では、良き日曜日を(^_^)/~ おじゃましました。(笑)lin(_ _)imo ※そういえば、ご自身を「アンケート・カテの越後屋」とご記述されたそうですが、読んでてなかなか面白かったです。さすが、サービス精神旺盛な質問者様、頭が下がる想いでいっぱいにござります。(笑) (あちらは、もう締め切られてしまったんですねぇ~...残念!)

isoken
質問者

お礼

linimo さん、こんにちは。 >答えたかったF1界での王者交代劇は既に挙げられていたので、 何時ぞやニキ・ラウダに関して詳しく述べて頂いた事を、よ~く記憶しております。 >愚痴としてお読み流されれば結構ですが、個人的な例を申せば、かつて我が身を置いた会社組織でさえ、その筋では一目置かれた存在ながらも、いつのまにやらライバル会社に出し抜かれ、挙句の果てには吸収合併される始末、さて、その事態に陥る前に世間に放り出されたことを良しとするべきなのか、残って苦汁辛酸を舐めさせられ、たとえ悲哀に満ちようとも「上場企業のサラリーマン生活」を送ったほうが良かったのか... 昨今の御時世ですからその種の話は本当に暇が無い、私にもそんな友人が何人かおりますが、例えば自主廃業した旧 Y 証券、御存じの通りその多くは商権と共にさる外資へと移行しましたが、顧客のみ吐き出さされた挙句言葉は悪いがその多くは放り出された、そう漏れ聞いております。 その一方で合併に関しては誠に linimo さんの仰る通りでして、対等ならまだしも吸収合併となりますと、サラリーマンの悲哀ここに極まり・・といった感じでしょう。 個人的には 2 度の合併を経験しておりますが、その2度とも吸収する側にありましたからまだしも、逆でありましたら私なんぞは我慢出来ずにケツを捲り、恐らく髪結いの亭主としてヒモ生活をエンジョイしていたと思います。 まあ上場企業の社員が太平楽であったのも今や昔、残るも地獄・去るも地獄でしたら、仮に私であれば精神的に負担の少ない道を選択するでしょうが、これはもう御本人の決断次第、何よりも後悔しない事こそ肝心かと・・。 >よその地域ながら、長らく地元地域に根ざした活動を行っていた金融機関に勤めてきた付き合いの長い友人が、やはり吸収合併の憂き目に遭いまして、冷遇される身ながら家族のために必死にがんばっている様子を目の当たりにすると、まぁ、なんともやりきれないのでありまして... 報酬面は高い方に合わせるのが通例でありますからまだしも、個人の誇りを傷付けるのはむしろ職位の方でしょう。 特に金融機関の場合は、支店がバッティングするケースが多い為 、1 店舗に統合されますと格下げが普通に起こってしまう、これが何ともやり切れません。 傍から見た或いは御自身が感じる冷遇は普通にあるでしょう、その御友人の悲哀も並大抵の事じゃないだろうと推察致します。 >しかし、いかに、これほど長きに渡って君臨し続けた政権であろうとも、その幕切れは、実にあっけなかった... 元々大小諸侯の連合体が織り成す封建制、その内で最も大なる徳川家が政権を担って来ただけの話ですから、天皇家や王家とは相違しレジティマシーの問題には何等抵触しないでしょう。 根底に武力・政治力が介在した事及び民意が反映されるされないの違いこそ有りますが、自民党政権が下野したかつてのあの状況とさして変わらないものと思われます。 >幕末の激動期の賢者達の活躍により「明治維新」へと導かれたことは周知のとおりでございます。この時期はドラマの題材として数多くとりあげられていることもご承知のとおり、「ラスト・エンペラー」の味わった悲哀は幾ばくのものか、想い馳せるのも一興なり... (それにしても、いま日曜日の夜に全国ネットで放送中の連続時代劇に出てくる女性を演じてらっしゃる女優さんを眺めるにつけ、この放送局は、ホントに“丸顔”が好きなんだなぁ、と感じます。...苦笑+汗;) 司馬遼太郎氏の小説にもありましたが 「 最期の将軍 徳川慶喜公 」 、かつての豊臣政権が辿った末路とは違い、徳川宗家の血脈も綿々と現在に引き継がれております。 何はともあれソフトな政権交代劇で良かった、その点は明治維新が誇るべき妥協の産物であったろうと・・。 >別のご回答にあった、あの「赤い皇帝」とさえ呼ばれた「かつてのF1界のスーパースター」も出始めのころは「ワルガキ」とも評されました。一昨年のスキー転倒事故以来リハビリ中とのことですが、王者の末路とは、かくも悲惨なものか、と心痛めております。 ミハエル・シューマッハを語るには、先に michiyo 姐さんに挙げて頂いた アイルトン・セナの話は避けて通れませんねぇ。 方や天才肌のセナと精密機械のようなシューマッハ、共に一時代を築き上げたF1 ドライバーですが、一方は壮烈な事故死もう一方は仰るスキー事故で一時は生命さえも危ぶまれた。 シューマッハも普通の生活に回帰出来ればいいのですが・・。 >今回のマスターズも優勝は「21歳のワカゾー(失礼!)」の気配濃厚だそうですね。まさに「盛者必衰・覇者交代」とは、このことなり... 彼は確かに凄い・3日間16アンダーとは異次元のスコアですが正直まだ分からない、マスターズ・チャンピオンは世界一の称号ですから、21歳の若者にのしかかる重圧は想像以上のものがあるでしょう。 かつて私は自滅して最終日に6打差を引っくり返された、シルバー・シャーク こと グレッグ・ノーマンの姿をこの目で見ておりますから・・。 それはそうと「 越後屋 」 受けました ? 私はウケばかり狙っちゃう悪い癖がありまして、時には鼻につくかも知れませんが、何分宜しくお願いします。 それはそうとお仕事頑張って下さい。 回答ありがとうございました。

noname#208768
noname#208768
回答No.9

六本木の夜の覇者isokenさんを前に、この話ははばかれるのですが、あえて。 私の得意分野で栄枯盛衰を語れるのはレストランとBARの話くらいでして 昨日kamejroさんが練馬の地下のbar、(おそらく沼袋のちめんかのやだと 拝察するのですが)の話があったのでbarは後日。 さて、東京のフレンチのオーナーシェフの草分けといえば、西麻布クィーンアリスを開いた石鍋裕氏、この人はもう60代後半。クィーンアリスと名のつく店もいくつかチェーン展開していて厨房に立つこともないのだろうか。1980年代後半、西麻布の路地の奥、一軒屋を改造したこの店で味わった感動はいまでもわすれません。それまで、フレンチといえば、銀座のレカンだとかマキシムとかででてくる難解な味付けの高価な料理しか知らなっかのが、全般的に甘みが強いもののはっきりした強い味付けの石鍋氏の料理に感動しました。 たしか、メインは鴨のオレンジソースだったと思います。 料理もさることながらクイーンアリスがデートコースの定番になった背景には、おそらくデザートの美味しさが貢献しているのではないでしょうか。 さて、石鍋氏より少し後の世代が平松宏之氏。レストランビジネスとしては「ひらまつ」の方が大きな成功を収めています。イタリアンのASO,最近はフランス料理界の法王ポールボキューズとの提携。記憶に残るのは代官山シンポジオン。一階が芦田淳のショップのある建物の地下一階に広がるネオ・アールヌーボーの真紅の空間。 官能的な空間で食するフレンチは格別な味わいでした。この店はポール・ボキューズの名でインテリアを変えて今も続いています。平松氏はパリに店を出し 日本人シェフとしてはじめて一つ星に輝いたほか、全国で30店舗を構える。 マロニエゲートにあるブラスリー・ポールボキューズの開店二日目の店を訪ねたことがあります。隅に四角い顔の強面の年配の男が一人、正面に座った若い男と綿密に打ち合わせをしていました。雑誌で顔を見た平松氏本人であることに気づくまで時間がかかりました。ブラスリーポールボキューズは、価格帯を落として気軽にフレンチを楽しめることが売り物。味以外のサービスでも手を抜かないように目配りしている平松氏の気迫が伝わってくる感じがしました。 石鍋氏も弟子を育てはしたのでしょうが、平松氏との差は歴然たるものがあると思いました。 弟子と師匠という話では同じレストラン界でもグローバルダイニングの創業者長谷川耕造氏とHUGEの代表新川義弘氏。オーナーシェフブームが下火になりかけた1990年代前半、ラボエム、ZEST、モンスーンカフェのチェーン展開で成功を収める。1950年生まれの長谷川氏はレストラン界では知らない人はいないほどの有名人。いまさら説明も不要だろうけど、小泉総理(当時)がブッシュ大統領と夕食をともにしたのが権八というグローバルダイニングの店だったのは記憶に新しいです。 その長谷川氏が最も愛してやまないのが代官山のタブローズというレストラン。もちろんグローバルダイニングの旗艦店なのですが、私はなんどかこの店のバーカウンターの椅子に腰かけてくつろぐ長谷川氏の姿をみかけたことがあります。 ここでよく顔を拝見したのは長谷川氏もさることながら店長だった新川義弘氏。いつもていねいな見送りをかかさず、この店の魅力の一つに彼の笑顔があったのだと感じていました。 新川氏が店を去ってその後、銀座のMIKIMOTOビルの最上階に大きな吹き抜けの中央に巨大なセラーを備えたダズルというレストランを開店させました。 スタッフは新川さんがタブローズから引き抜いていったわけで、ある意味造反なんですが、長谷川さんとの確執もなく、二人ともレストラン界のヒーローとして著作を著したりしています。 ただ、長谷川さんが望んで果たせなかった丸の内への出店は新川さんがリゴレットキッチンというワインバーを新丸ビルに出店したりしています。 弟子と師匠の競い合いは、長谷川さんが新規出店をおこなわなくなって、もはや世代交代も終わったという感もありますが、レストラン業界での新世代の出現を楽しみに待つにはいささか歳をとったかなと思う次第。

isoken
質問者

お礼

ex さん、こんにちは。 私がよく知る六本木はもう30年も前の話、最近のあそこは未知の世界です。 ところで ex さんが以前 「 最後の20セントグループ 」 に触れておられたと思いますが、当時六本木にありせっせと通ったディスコやバーの多くはそちらの系列でした。 語りついでにもう一つ、その昔旧防衛庁の斜向かいに 「 ミュージック・イントロダクション 」 という洒落たカフェ・バーがあったのですが何時行ってもガラガラ、 「 どうして??? 」 ・・と思ってましたら、何と同じビルに稲川会の東京本部があった・・なんていう笑い話もあります。 さてこの度は私には何とも敷居が高いお話、その方面に詳しいらしいうちの嫁さんに代わってもらいたいほどですが、まあ私は 「 レカン 」 や 「 マキシム・ド・パリ 」 ぐらいしか知りません。 特に 「 レカン 」 は、社会に出て初めてその名を知って以来それはもう馬鹿の一つ覚え、女性にも人気の有名店ですからねぇ、バブルで交際費使いたい放題の頃はよく行ったものです。 あと銀座4丁目旧三和銀行の上にあった 「 レ・ザンジュ 」 なんていう中級店にも何度か行きましたが。 >東京のフレンチのオーナーシェフの草分けといえば、西麻布クィーンアリスを開いた石鍋裕氏、この人はもう60代後半。クィーンアリスと名のつく店もいくつかチェーン展開していて厨房に立つこともないのだろうか。1980年代後半、西麻布の路地の奥、一軒屋を改造したこの店で味わった感動はいまでもわすれません。 「 クィーンアリス 」 って結構聞きますが、残念ながら私は未経験です、「 クィーン・エリザベス石庭 」 にはしょっちゅう行ってたのですが・・。 ( すみません、また悪い癖を出してしまいまして ) ただ隠れ家風のフレンチは一時期流行りましたよねぇ、こんな場所でと驚くような住宅街の一角にあったりしまして・・。 ところで私は発展途上国・中進国に旅行しますと、必ず1食はフレンチにするんです。 何しろ東京の高級店ですと中程度のワインも込みで、一人最低 3 ~ 4 万円はふんだくられちゃうからおいそれと暖簾を潜れない。 ところがあちらだとホテルのレストランですら破格の安さで高級感が堪能出来る、ただ腹がはちきれちゃうほど出て来るのが難と言えばそうですが・・。 >オーナーシェフブームが下火になりかけた1990年代前半、ラボエム、ZEST、モンスーンカフェのチェーン展開で成功を収める。 原宿 「 ペニー・レイン 」 の小脇を入った先にあったあの ZEST の系列でしょうか?、私がよくナンパで使ってた・・。 >いまさら説明も不要だろうけど、小泉総理(当時)がブッシュ大統領と夕食をともにしたのが権八というグローバルダイニングの店だったのは記憶に新しいです。 あそこは有名ですね、その昔から外国人客が多い・・。 でも小泉さんってグルメなんでしょうか ? 、私は海外で彼が訪れたお店を3店舗知ってます、そのどれも別段そんな高級なお店ではなくて、これ見よがしに小泉さんの写真が貼ってありましたが。 >長谷川さんが望んで果たせなかった丸の内への出店は新川さんがリゴレットキッチンというワインバーを新丸ビルに出店したりしています。 リゴレットキッチンって銀座にもありませんでした?、確かイタリアンな感じだった記憶がありますが・・。 さて 10 年前であれば考えられない事ですが、最近では週 1 ペースでしょうか、丸の内・銀座・浅草辺りで待ち合わせて、古女房殿とデートを繰り返しております。 ところが何しろ東京には名店が多過ぎる、私は嫁に引かれて善光寺のクチですから、嫌がる私の手綱をグイと引っ張り随分あちこちへと連れ回されましたが、それでも尚 「 僕はどこにも連れてってくれない! 」 ・・と 愚痴られる、まあ ex さんの膨大な手駒を伺えば、むべなるかなとの印象も拭えませんが・・。 回答ありがとうございました。

回答No.8

isokenセンセーお邪魔します 眠さの余り忘れていましたがF1ドライバーのM・シューマッハ 彼のデビューは1991年(ジョーダン) 当時はA・セナ(マクラーレン)対A・プロスト(フェラーリ)全盛期 ちょっと陰に隠れた的存在でした 私はベタベタのミーハーで、セナに追いつけ追い越せ?と言わんばかりにスポンサー企業の回し者でした (時計はタグ・ホイヤー、タバコはマルボロ、靴はディアドラ、服はヒューゴ・ボス、ウィリアムズに移籍したのでタバコもロスマンズに変えたほど) もし、A・セナがご存命だったら、彼の今はなかったと思われます 当時の映像 https://www.youtube.com/watch?v=hihC6BmPee8 この日、自宅でTVを見ていた1人です もうすぐ21年になります

isoken
質問者

お礼

ミッタン、度々の御登場ありがとうございます。 >私はベタベタのミーハーで、セナに追いつけ追い越せ?と言わんばかりにスポンサー企業の回し者でした 時の移ろいとは早いもの、あれからもう21年ですか・・。 私は彼と同い歳ですが、セナのクラッシュはもう昨日の事のように覚えております。 文句なくカッコ良かった特にマクラーレンの時代の彼は・・、どでかいマルボロのワッペンを貼り付けたレーシングスーツがよく似あいましてねぇ、日本贔屓でも有名な人でした。 個人的に好きな F 1 ドラーバーは?・・と問われれば、間違いなく故アイルトン・セナを挙げますが、私が F1 への興味を無くしたのも、彼の死と無縁では無いのかも知れません。 回答ありがとうございます。

回答No.7

isokenセンセー、改めましてお邪魔します 覇者交代と言えば1986年の日本シリーズ第6戦で流した清原選手の涙 https://www.youtube.com/watch?v=YvF2X2mZDBE それまでは巨人オンリーでしたが、清原選手加入によって西武の黄金期が始まりました 清原選手もこんなウブな時代があったんですよ FAで巨人に行かなきゃ良かったのに…

isoken
質問者

お礼

michiyo さん、お勤めご苦労様です。 まあ余り無理をしない程度に頑張りましょうね。 >覇者交代と言えば1986年の日本シリーズ第6戦で流した清原選手の涙 これはね、私もよ~~~く覚えておりますよ。 清原の涙そして球界の覇者交代を世に印象付けた、西武のシリーズ制覇でした。 石毛・辻の 1・2 番そして清原・秋山他のクリーンアップ、あの頃の西武打線は本当に凄かった。 投手陣も多彩でしたねぇ、工藤・渡辺久・潮崎そしてオリエンタル・エクスプレス 郭泰源、これだけ揃えばそりゃ無敵でしょう。 ただねぇ、清原は勿体ないと思います、あれほどの素質に恵まれた選手が無冠の帝王とは・・。 ポテンシャルだけでやっていたとの印象、球史に残るスラッガーになっていても可笑しくないんですがねぇ。 回答ありがとうございます。