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一度でも怒鳴ったら人間関係は
私の父は、よく人を怒鳴りつける人でした。 そんな父を見て母が私に言ったことがあります。 「一度でも怒鳴ったら、人間関係はそこでおわりだと思う」と。 場合によると思いますが、私も、内容によっては、それまでどんなによい関係を築いていても、この人とはここまでだと、思うような気がします。 今、人間関係(家族でない)で、似たようなことがありました。 水に流すのは難しいような気がします。 表面的に接することができても、その先ずーっとわだかまりが、私の心の中には残りそうな気がします。 器が小さいのでしょうかとも思います。 皆様の場合はどうでしょうか? ご経験がありましたらお聞かせください。
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助言は、その人の人生経験から おおむねそう思う というものです。 人に言うからには、それなりの確信があるのでしょう。 もしくは、失って、もう取り戻せないこともあるから、気をつけた方が良いということなのでしょう。 関係が悪くなんてならない例が1例も無い。必ず悪くなる。という意味での言葉ではないのは言うまでもありません。 十分、心に刻む価値のある助言だと思います。
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- sakura-333
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冷静な話し合いが不可能で感情のコントロールが出来ない「怒鳴る」だったら冷めてしまう事は間違いない。 あまりにも人の道から逸れたような事をしている人に怒鳴っているなら見直すかもしれない。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございました。 たぶん私も、同じように感じると思います。 とても参考になりました。
- stmstj
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家庭環境である程度の基準が出来上がってきますので、あなたが怒鳴る人が苦手なのはしょうがないですね。 人間関係といっても深いものからうわべだけのものまで広いですので、自分が信じれる人を見分ける基準としてもいいと思います。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございました。 自分が育ってきた環境は、影響しているかもしれないことに、気づかされました。 結構ひどいことでも水に流せる器の広い人がたまにいますが、いつもうらやましく思っています。
- kngyk
- ベストアンサー率6% (72/1055)
どちらにせよ、それは人によって基準がありますので、自分が許せないと思えばそこが基準です。 寛容になれれば生きやすいでしょうが、そんなに簡単にいかないので、表面的に接していくというのが賢明な方法だと思います。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございます。 とても共感できます。 そのようにしたいと思います。
- manmanmann
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そうですね、内容によっては…だとおもいます。 でもそれって怒鳴る怒鳴らないにもあまり関係ない気がします。 言葉には気をつけたいですね。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございます。 >でもそれって怒鳴る怒鳴らないにもあまり関係ない気がします。 おっしゃるとおりのような気も致します。 自分の心を見つめなおしてみたいと思います。
- tkycpt
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怒鳴るということは、感情コントロールができていないのだと思います。 その感情が相手を思う情熱なのかその人自身の身勝手な怒りなのかによって違うと思います。 お父様はどっちでしたでしょうか。 怒鳴る人が嫌だというのは分かりますし、おびえるのもしょうがないと思います。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございます。 >その人自身の身勝手な怒りなのかによって 父の場合は、これです。 自分の考えを相手に認めさせたいのです。 相手の気持ちなどどうでもよいのです。 だから私の心は、拒否反応を示してしまうのかもしれません。
- e-toshi54
- ベストアンサー率22% (728/3265)
体験談。 理由は兎も角、先日家内を怒鳴ってしまいました。その時の自分を分析してみましたが、カッとして、自分の人間としての尊厳も理性もどこかへ霧散していました。 幸いに家内との人間関係は今でも持続しています^^; 自分を顧みても「怒鳴る」と言う行為は人間的、社会的意味は無い・・・いやマイナスだと思います。人間として発達して来た部分を失くす行為だと思いました。 スポーツをしますが、相手に対し感情的になった場合、練習/苦労して習得した技能を発揮できず、負けてしまうことを思うと、「怒鳴る」=「感情的になる」ことが人間の特性を劣化させることは明白に認識できます。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございました。 >人間として発達して来た部分を失くす行為だと思いました。 とても勉強になりました。
こんにちは。 怒鳴らなずに普通の良い方で言ってみますね。 あなたは怒鳴られようが普通の言い方をされようが結局「自分の(たとえそれが部分的でも)否定をされる言葉に対して拒否反応」を示すように見受けられます。 もちろん、たった5ターンのやりとりしか見てませんからあくまで推察なのは言うまでもありませんが、質問と5ターンのやりとりからはそう見えます。 相手が怒鳴ったとした場合、怒鳴ったと言う事をもって相手を責め、その相手に対する責めの最中は自分の非を見なくて済むから「怒鳴る人は嫌い」となる側面がありませんでしょうか。 正直、白熱した会話というものは怒鳴っているのに似ているものです。 言い方が荒くなるだけで拒否反応が出る人を見ると私はその人がいったいどんな大切な事を知る事ができるのだろうと思います。 差し障りの無い言葉を並べて全人生を歩くつもりでしょうか。 勇気と相手に対する能動的な信用と信頼と覚悟を持って短時間で済ませられる事を数年~数十年かける方が得策なのでしょうか。 自分の事を棚に上げて私の口調が荒かった事を根に持ってもう数ヶ月経つ人が居ますが、根に持つ期間が長ければ長いほど、その人は距離や壁を作る事になります。 一度「自分にも悪いところがあったか」などと思い直して壁を取り去り距離をとる事を止めるならそれはとてもすばらしい事です。 もし根に持ち続け、一度怒鳴られた事をもって、しかも相手の真意も確認しないまま「怒鳴った」という一点を心の中で責め続けて距離をとり壁を作り続けるなら、その点においてカスです。死ねば良いのにと思います。 怒鳴る事を平和を壊す事だと考えているかもしれません。 それも一理です。 でも、「怒鳴った」=「許すべからざる行為」と捉えるならそれもまた平和を壊す行為です。 コンサバティブな人はリベラルな人よりもよっぽど凶暴で手がつけられない知能レベルであるという視点はお持ちでしょうか。 平和な世の中を作りたいなら、平和な世界に住みたいなら、そこに住む人間としての資格を維持するために努力すべきではないでしょうか。 それができないなら、その人は平和な世界に住む事をあきらめるくらいの姿勢がちょうどいい。 もし平和な世界に住めているなら、分不相応な恵みに心底感謝すべきです。 きつい言葉ですが怒鳴ってはいません。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございます。 とても学ばされる点の多いご回答でした。 おっしゃるとおり、穏やかな言葉でも自分を否定されると、その後(心の中で)距離を置きます。 私の質問文が悪かったのですが、私が質問文に挙げた「怒鳴る」は、相手をねじ伏せようとする、相手に自分の考えを何が何でも受け入れさせようとする「怒鳴る」です。 怒鳴るにもいろいろあるようで、「白熱した(実りある)会話」なら、受け入れられるような気がします(?)。 >一度怒鳴られた事をもって、しかも相手の真意も確認しないまま 私は、人を怒鳴ってよい正当な理由など、存在しないと思うのです。 ありがとうございました。
僕は優しく言っても分かることをわざわざ大声で怒鳴る人が嫌いです。人に注意するときにいきなり大声で怒鳴る人とか。まずは優しく言ってみろって思います。やっぱり怒鳴る人には話しかけたくないですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても共感できます。
- 中京区 桑原町(@l4330)
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同僚を怒鳴りつけたのは何度もあります 私自身も先輩から何度も怒鳴られました でも、それで人間関係が壊れたことはありません。今でも仲良く付き合ってますよ
お礼
ありがとうございました。 器が広いのですね・・ 私はたぶん、相手が正しくて自分が間違っているゆえに怒鳴られたのだとしても、その後相手は敬遠すると思います。
それは人によるのだと思いますけど、やはり怒鳴る方は威圧して自分の意見を通そうとする行為なので、萎縮してしまうかたは【怒鳴ったらおわり】になるかもしれません。 でも、特にお父様とお母様は他人同士が一緒になられたのです。育った環境も、触れてきた考え方も全く違う他人です。 その二人がご一緒になれば、意見が食い違うこともあるでしょうし、ときにはヒートアップして、声を大にして意見を主張するときが出て来ても、なんら不思議ではないと思います。 怒鳴る内容にもよりますけど、私も本気で何か伝えたいときに、熱くなって怒鳴ることはあります。 【怒鳴る】をひとくくりにしてしまうと、どんな内容かは関係なく、大きな声を出せばそれが【怒鳴るカテゴリー】になってしまい、ネガティブに捉えてしまうかも知れませんが、 お母様はきっと、【口汚く声を荒げて罵る】とか、そういったことを言ったのだと思いますよ。 そのように柔軟に捉えると、少し冷静に見れるかもな、なんて思います 普通に話せるのが一番というていで、ですがね。 因みに私達夫婦は、何度も大声で怒鳴り合ってきていますし、そのまま髪の毛掴みあって取っ組み合いします(笑) でもそれは序の口ですね。 本当に人間関係が終わるときは、思いの外静かなものなのかもなと、実体験から感じています。主観ですが
お礼
ありがとうございます。 確かに怒鳴るをひとくくりにするのが間違いでしたね。 母が言っていたのは、「父のような怒鳴り方」だと思います。 うまく説明できないのですが、 私は少なくとも父に対しては、もう心が拒否しています。 >本当に人間関係が終わるときは、思いの外静かなものなのかもなと、実体験から感じています。 そうかもしれないと思いました。 相手にもう期待することがないという気持ちになのでしょうね。 ありがとうございました。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりだと感じました。 >人に言うからには、それなりの確信があるのでしょう。 母が私につぶやいた言葉で、愚痴みたいなものです。 母が確信を持っていたかはわからないですが、母の心は確かにそのような気持ちだったのだと思います。