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精神病院(??病院)の大誤診/改
某精神病院で前代未聞の大誤診が起こりました。もう空前絶後です。 万が一にも勝訴する方法を知っておられる方、または医療裁判に詳しい法律家や知識人か らの回答を求めています。また、精神病院の誤診に大迷惑を受けている方、こんな病院が社会に有意義に存在していてもいいと思うかどうかの回答も求めています。 皆さんは、テロリストが精神病院にテロをやって、逮捕されて反省せずに判決を確定させたら、入院が誤診であることを証明できる客観的な社会の仕組みをご存じですか? 私は某精神病院で暴力と放火テロ事件を起こしました。誤診を主張して主治医を殴り、三日後に院長に入院費返金を要求して断られた後に、病院の駐車場内の医者の車にガソリンをかけて火を付け、放火テロを強行しました。 家庭内暴力(家の外の分は除く)で強制入院させられた者が、誤診であると主張します。家庭内暴力はテロリズムの一環であって、精神病ではなく反社会の左翼思想であると主張します。そして誤診を抗議して病院にテロ行為をします。逮捕され、反省せずに判決を確定させます。 「反省する」とゆうことは、悪事を認めてくり返さないとゆう意味です。「反省しない」とゆうことは、悪事を認めずまたやるとゆう意味です。その中でテロリズムがトントン拍子で成功すれば、革命を起こして国を取れます。取れば、今度は国を潰す側から(テロリスト側から)新しい国を守る側になります(新政府側になります)。 ですからトントン拍子で成功せずとも、「反省しない」時点でテロリストであることは すでに“証明”されているわけです。(逆に反省すれば一般人が火を付けただけです)。 またその“証明”は、放火テロによって成立しています。その“成立”は、誤診の抗議によるテロ行為なのです。その“抗議”は、強制入院に対するものです。その“強制入院”は、家庭内暴力に対するものです。そしてその“家庭内暴力”は、(家の外の分も含めて)“テ・ロ・リ・ズ・ム・の・一・環”なのです。 放火テロの前に院長に電話し、反社会として誤診を主張し、入院費返金を要求しています。その後、火をつけに行きました。 マルクス・レーニン主義のレーニンがロシアで革命を起こす前日に、レーニン以外のすべてのマルクス・レーニン主義者が全員ロシアの社会を守る側についたとして、後日にレーニンが自分一人で革命を起こしていれば気違いですが、ロシアの一般市民が家庭内暴力で精神病院に強制入院させられた気違いとは全然種類が違います。 しかし検察側も弁護側も裁判所も、全員一致で前述した社会の仕組みを無視しました。私は国に精神病患者のレッテルを張られたままです。精神科医にしか病気の成否の権限がなく、警察、弁護士、判事には権限がありません。だから精神科医が誤診を認めないから法律上で誤診が正当化されて法律の網の目をくぐりぬけているのです。 某精神病院は誇りを捨てて“泥棒と同じ社会的身分”に立ちました。入院費返金と誠意、つまり責任をとりません。そして法律家達も同様に某精神病院の味方をします。団体責任ですから、同じく“泥棒と同じ社会的身分”です。 反省せずに判決を確定させた証拠としての、判決謄本の画像を添付しておきます。下から三行目に 「講じてない上、公判廷において、反省する必要はない旨供述するなど、自己の犯した罪を省みることのない態度に終始しており、強い非難を免れない。」 とあります。 判決謄本は確定後に裁判所から有料で発行してもらえます。捏造ではない証拠に頁中央上に複数の独特の穴が空いています。(ちなみに今はテロリストではありません)。 勝訴できるなら、雲をつかむ思いです。 御回答、よろしくお願いします。 追記1 質問とはまた別で元からYouTubeにアップされてある関連動画があります。より深く知りたい方のみご覧下さい↓ https://www.youtube.com/watch?v=ZEVKLNfxhAM&feature=youtu.be
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精神病院は国じゃないからじゃね。(´・ω・`)
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
ご大層に書いてあるけど、恐らく日常的に暴力を振るっていたために「精神に何らかの異常を来している」と判断され、強制入院となった事を「誤診」と主張しているようです。その暴力は家庭内だけのものではなかったようですね。 しかし、精神的に正常な人が日常的に暴力を振るうなんて事は無いですし、普通は医者を殴る前に誰かに相談なりするものでしょうに。K-1仕込みの腕力を振るう前に相談できる相手もいない、自宅警備員状態だったのでしょうかね? 投稿文を見ただけも、暴力衝動を理性で押さえ込めないと言う時点で十分に「精神疾患・障害」の疑いが十分です。ましてそれを誤診とする主張が何に基づいくものなのか、全く理解不能です。 空前絶後だの大誤診だの書いてありますが、むしろ温情を含む至極真っ当な診断であったように思われます。それとも、最初から暴行罪での服役が望みだったのでしょうか? 脅迫、威力業務妨害、暴行致傷、放火、器物損壊・・・っと。数え立てれば確実に懲役2年は下らないように思われますが、なぜここにいるんでしょう? 暴力行為を否定せず、反省もしていないのに執行猶予が付くわけないですし、「こんな人が社会で一般生活に混じって生活している」って方がよほど大問題です。 > 全員一致で前述した社会の仕組みを無視しました。 そんな仕組みは無いから当然です。 名誉棄損や被った損害の賠償を求めて訴えるならまだしも、強制入院を誤診と訴えようと考える時点で十分に異常です。そこから更に傷害や放火の罪を重ねているとなると、一般人の誰の目から見ても「正常」ではないわけで、誤診を訴えても勝訴する見込みは全く無いとしか見られません。 >ナメてトラブルの原因を作る 誰かにナメられたから暴力を振るったのでしょうか? 残念ながら、挑発に乗った結果であっても、先に暴力を振るった時点であなたの方が圧倒的に不利です。 それは、生活の中で日常的なサバイバルを必要としない法治国家では当然の事ですから覚えておいて損は無いはずです。 ・・・おっと。そうこうしている間に前質問が削除されましたね。 サイトの趣旨からして当然の反応ですが、この質問も削除されるのかな?
お礼
CC_T様 御回答ありがとうございます。あなたのおかげで新たに補足することができました。より、世間に深い理解をもってもらえる傾向として役に立ちました。ありがとう。
補足
(長文です) あの……、昔、長渕さんのドラマの「しゃぼん玉」、覚えてますか? 主人公(長渕さん)が覚醒剤の常習者のヤクザにゴルフのパターで足を叩きまくられてるシーン。気違いじみた態度で喜びながら叩き続け、近くにいる他のヤクザは気持ち悪くて吐いています。アルコール依存症のことをアル中と呼びますが、覚醒剤の精神病のことを、(失礼です、ほんっとに失礼ですが、差別用語的に)ポン中と呼びます。一般人が覚醒剤の精神病となり、幻覚で他の一般人に暴行を振るうようであれば、もう問題なので精神病院に覚醒剤の精神病であると診断されるでしょう。しかし一般人で躁病にかかり、感情をコントロールできなくなりそうな中で、かろうじて暴力的衝動をこらえている人がいるとします。しかし彼は、飲みに行って肩がぶつかった相手を、先に手をかけて殴り倒すなんて問題は起こしません。しかし、躁病の病状があるので、それを我慢するのがたしかにしんどいわけです。また、たとえその躁病にかかっていなくても、中学高校と喧嘩に明け暮れて日常的に暴力を行使していたので、キレやすい人格がすでに形成されているわけです。(二〇歳以降も愚連隊のグループ、言わば地元の暴走族のOBとして、相変わらず日常的に愚連隊同士で殴り合ったりしていた時期もあるとして。←実際にそういう人います。私ではありませんが)。ですが彼がヤクザの組員になれば、反目の組員を親分の命令でしばいてもいいとゆうことであれば、躁病の影響である暴力的衝動は、そこで思う存分発揮しても(少なくともヤクザ社会の中だけなら)問題はありません。また、学生時代に日常的に喧嘩に明け暮れていた者で、刃物で人を切りたくて仕方がない衝動を持っている者がいたとします。その彼が更生して外科医となり、手術で人を切るとゆうことでその衝動性を修正し得た人格を形成することできたとしましょう。精神分析ではこれを昇華と呼んでいます。 ヤクザが喧嘩で相手を一〇発殴るとして、その彼が躁病にかかっていたがゆえに、さらに後一〇発ぐらい殴るとします。いつもそんな調子なので、彼は他の組員から「やり過ぎている」と思われてたまに止められることがあるとします。ですが同時に、「危ない、怖い奴。執念深い奴」ともとられています。もし彼が足を洗ってから、職場の同僚と言い合いなって執拗に殴り続ける、または家族と言い合いになって執拗に殴り続けるとゆうことであれば、社会に通用しません。だから躁病などで入院、通院の対象となることでしょう。ですが彼が足を洗った後は、そんな例外なことをしないようにちゃんと更生できていれば問題はありません。それでも躁病自体にはかかっていて、暴力的衝動を我慢するのがしんどいなら、自分から精神病院に診察を受けに行けばすむ問題なのです。その彼が足を洗わずヤクザだからこそ、それゆえに、親分の命令であれば相手をしばいてもいいわけですから、躁病者にとってはその分は有利に働くわけです(一理)。 私はたしかにテロリズムを行使しましたが、犯罪者的には確実に確信犯でした。突発的衝動で感情をコントロールできないなんてことはありませんでした。たとえ嘘で仮になっていたとしても、どのみちテロリストとしてであって、一般人(つまり精神病患者)としてではありません。仮に非合法の反社会であることをやめて、合法的な反社会または民主主義の人間になっていれば、暴力的要素を使うことがないのです。それに、実際問題暴力反対になってからは一度もありませんが……。つまり、非合法の左翼思想がなかった場合は、元から一切のテロリズムは起こしていないわけです。実際に起こしたテロリズムは、その意思、その合理的な理由に由来して起こされているテロリズムである以上、不合理な理由なき病的衝動によって、その暴力的要素が起こされていたわけではけっしてないわけです。 ここで一つ仮定してみましょう。 一般人のAさんが、いきなり精神病院に、何もないのに診察を受けに行きます。三軒以上回った結果、病気でも何でもないとゆう診断結果がでたとします。その後Aさんが左翼思想の思想書を書き、革命国家(つまり反社会)の旗上げを意思表示します。革命(国家転覆)の実行にはまだまだ至りません。旗上げしている革命国家の存在を無視する者に対して、さらには、その思想の内容に相反する別の考え方、価値観に対して、一定の条件がそろってから、対立者に左翼思想を動因として暴力的に打倒または対抗していきます。このとき、一切躁病など、精神病にかかってないと仮定します。しかし、彼がテロリストであれ一般人であれ、どのみち社会的に問題であることには変わりありません。だから、家族が役所に相談に行けば、強制入院は大概可能なものです。 この場合、Aさんの暴力的要素は、すべて精神病に由来するものであると見なされます。ですが精神病院に誤診を抗議してテロをやって反省せずに判決を確定させれば、もちろん状況は変わるわけです。 仮に、もし仮に、暴力的衝動をコントロールできない躁病などにかかっていたとしましょう。ですが、それはテロリストがテロリズム上のあらゆる行動において、第二義で反映を及ぼしているにすぎないのであって、第一義による左翼思想を動因としているテロリズムには反映を及ぼしてはいません。先のヤクザの例ですが、本人が躁病であってもなかっても、いずれにしろ親分の命令で反目の組員をしばいているわけです。だから、しばき具合のサジ加減の問題としてならば指摘することはできても、その「しばく行動自体が根本的に躁病によるもの」とゆうことにはもちろんなりません。「親分の命令→ヤクザごと」であって、「親分の命令→躁病の結果」にはなりません。なるとしても、第二義であって、第二義は第一義と対等のレベルで議論することはできません。私がテロリズムを行使したところで、それは「??党テロリストの方針→テロリズム」であって、「躁病の悪化→犯罪行為」にはならないのです。 これらの充分な説明が質問欄には不足していましたね。といっても、文字数制限的には記載は無理ですが。ここで説明したことも大事なことなので、補足しておきます。 お忙しいところ最後まで読んでいただいてありがとうございます。 随時回答を募集しています。よろしくお願いします。
- kanstar
- ベストアンサー率34% (517/1495)
えっと・・・ ホントに政治的な思想をお持ちで、国家転覆を謀っているなら、大量殺害(過去には「地下鉄サリン事件」など)や行政機関への攻撃行為(過去に渋谷暴動事件など)やハイジャック事件(よど号ハイジャック事件など)です。 つまり、過去の事例から判断すれば只の犯罪事件と判断されるだけだと思われます。 テロリストって国家機関へ攻撃して初めて「政治的」思想を持った犯罪として外形上判断されるだけであり、 > 家庭内暴力に対するものです。 って、ただの犯罪事件として取り扱われるだけです。 そもそも、テロリストが国家権力である裁判所を頼りにする段階で「ナンセンス」だと思われます。 この辺を「学生紛争」を経験したことがある年代に聞ければ分かることだと思われます、
お礼
kanstar様 御回答ありがとうございます。あなたの御指摘で「外形上判断される」の意味の重さを再認識できました。また、補足で質問の内容をより深めることもできました。あなたのおかげです。ありがとう。
補足
(長文です) 回答者さんの解釈の仕方もたしかに一理あります。ただ、逆説的には、私の解釈の仕方も一理あります。個人がテロリストであることを客観的に証明する手段とゆうものは何通りかあるわけです。また、「テロリスト」でなくとも、「無法者」であることを証明する手段とも類似しているので、その辺もついでに説明しておきたいと思います。 例1. 一般人のAさんがイスラム原理主義(他、すでに国家にテロリストと認定されている集団)に入ります。Aさんの身近にいた人達は「Aさんがテロリストになった(泣)」と解釈するでしょう。 例2. 一般人のBさんが新興宗教の教祖となり、信者を集め、軍事力を形成し、日本の政権を暴力で奪うために自衛隊と殺し合いをします。勝てば新政府となり、勝つ寸前までがテロリストの状態だったと裏付けられます。負ければ、テロリストが革命に失敗した扱いになります。Bさんの身近にいた人達は「Bさんが宗教で頭がおかしくなった(泣)」と解釈するでしょう。 例3. 一般人のCさんが左翼思想の思想書を書き、革命国家(つまり反社会)の旗上げを意思表示し、一人で自衛隊に殴り込みに行きます。もちろん「例2.」のように勝つ前提ではなく、行動を起こした路線を残して今後の布教的活動に役立たすためにです。そして逮捕されて“反省せずに”判決を確定させます。反省すれば一般人が自衛隊に殴り込みに行った扱いとなり、反省しなければテロリストが一定の理由で殴り込みに行った扱いとなります。ただし、Cさん以外に大勢のメンバーがいたとして、社会を震撼させるようなテロリズムを起こして全員射殺されたと仮定した場合は、たとえ反省なしの判決の確定がなかっても国家がテロリストであると認定する可能性はもちろんあるでしょう。たしかに「全員射殺」なんてことはないでしょうが。 例4. 元暴走族で、正式にヤクザの組員にならずに、愚連隊として、満二〇歳を過ぎているのに今だ繁華街などで殴り合いの喧嘩(自分から先に殴る喧嘩)をしている個人や集団がたまにいます。昼間は工事現場で働いて、夜は喧嘩。そのDさんは、自分達と同じ他の愚連隊以外の一般人も暴行の標的にし、無抵抗な人をしばいて遊んでいます。相手の目の中に指を入れてかき混ぜて喜んでいる人もいます(←実際にこういう人いましたが私ではありません)。彼は警察に傷害罪などで逮捕されます。彼は指定暴力団の構成員ではありません。すでに一八歳を過ぎており、昼間は工事現場で一般の職業をして生活しています。だから刑事さんにこっぴどく怒られるわけです。ヤクザなら、いわゆる、ヤクザごと全般において、何等かの件で逮捕されて刑事さんに説教されたとしても「ワシらこれでメシ食うてるんですわぁ~」となるところが、Dさんの場合はそうなりません。民主主義の非暴力の社会のルールを守る立場に制約されていると刑事さんにみなされます。しかしここで、「反省しない」とゆう扱いで判決が降りたらどういう反映を及ぼすのでしょうか。彼は、法律(または非暴力の社会のルール)に反逆している“無法者”とゆう社会的身分に制約されます。つまり、実質的にヤクザと同じように、法律や非暴力の社会のルールに適応しない社会的身分になるわけです。ヤクザにはヤクザのルール(暴力は正義)があって、一般人には一般人のルール(非暴力が正義)があります。ヤクザに一般人のルールを制約させようとしても客観的に通用しません。受け入れけるわけがありません。一般人はその生活において法律に反逆する必要性がありませんが、ヤクザは法律に従っていては成立しません。暴力的要素を行使しないとゆうことであれば、そのまま暴力団ではなくなりますから。だから無法者なのです。同じくDさんも、一般の職業で生計を立ててはいますが、無法者なのです。だから、法律とゆう非暴力のルールがある意味で通用しない社会的身分に位置付けられるわけです。しかし逆に反省して判決を降ろせば、無法者扱いはされません。社会に、一八、二〇歳を過ぎているのに暴力を使っているなんて、まだ子供だ、とか、無抵抗な一般人を標的にするなんて言語道断だとか、場合によっては、感情をコントロールできない躁病だとか、そういった制約下に置かれるわけです。しかし無法者とゆうことであれば、「暴力を使って当然の世界(つまり理不尽な世界)の中でそのまま自由に暴力を行使している」、とゆう扱いになります。ですから、「反省する必要性が根本的にない」わけです。しかし無法者でないなら、非暴力の社会のルールは守らなければならないので、「反省する必要性が根本的にある」とゆうことになります。ここに、根本において、無法者の有無による反映で反省の必要性が左右されるわけです。 例1.は、テロリストに入ったケース。 例2.は、革命までいったケース。 例3.は、単独で行動を起こしたケース。 例4.は、ヤンキーあがりの無法者のケース。 これら1.~4.に共通しているのは、すべて、法律に反逆している社会的身分であるとゆうことです。 例5. 一般人のEさんが左翼思想の思想書を書き、革命国家(つまり反社会)の旗上げを意思表示します。革命(国家転覆)の実行にはまだまだ至りません。旗上げしている革命国家の存在を無視する者に対して、さらには、その思想の内容に相反する別の考え方、価値観に対して、一定の条件がそろってから、対立者に左翼思想を動因として暴力的に打倒または対抗していきます。その後精神病院に強制入院されますが、今度は病院を標的にして同じく左翼思想を動因としてテロ行為をし、逮捕されて反省せずに判決を降ろします。反省すれば一般人が暴力事件で犯罪行為を起こしていた扱いとなり、反省しなければテロリストが一定の理由で暴力とテロを行っていた扱いとなります。 例1.~5.に共通しているのは、すべて、法律に反逆している社会的身分であるとゆうことです。テロリスト(非合法の左翼)なのか、国家転覆とは関係のない無法者(ヤクザや愚連隊)なのか、あるいは非合法の方の右翼(楯の会など)なのか、いずれにせよ、「(非合法の)反社会」とひとくくりにすれば、すべて法律に反逆している扱い(一般に、一括して反社会勢力)になります。この中で、本人がどの位置に立っているのかが問題なのです。 一概にテロ行為といっても、する者がテロリストに限られる保障はありません。国家、一般人、ヤクザ、右翼などでも、テロ行為とゆう行動を起こすこと自体は可能なのです。テロ行為を起こしたからといって、自動的にテロリストであるとゆうことにはもちろんなりません。例えば指定暴力団が左翼思想一切関係なしでテロ行為(親分の釈放を要求して従わない場合、派出所や警察の施設を爆破していく、って、そんなことするわけないでしょうが…仮にも)を起こして、逮捕されて反省せずに判決を確定させても、テロリストとゆうことにはなりません。しかし個人が左翼思想をある一定のテロ行為の動因として起こし、逮捕されて反省せずに判決を確定させれば、テロリストであるとゆうことの説明が成立するわけです。くり返しますが、“左・翼・思・想・を・動・因・と・す・る・テ・ロ・リ・ズ・ム・が・ト・ン・ト・ン・拍・子・で・成・功・し・た・場・合・は・、・革・命・の・成・功・が・立・て・ら・れ・て・い・る・か・ら・で・す”。成功しないからテロリスト止まりなのです。だからその個人はテロリストなのです。ほんとに、簡単な理屈ですね。むっちゃ、簡単な理屈ですね、はい。 ですからの回答者さん言うように、社会を震撼させるぐらいの暴力とテロを左翼思想を動因として私(または私の他にメンバーを仮定したとして)が起こせば、社会がテロリストとして認知する(外形上判断される)とゆう論理は、もちろん理解できます。そうだと思います。ただし、それ以外で、テロリストであることを証明する方法とゆうものは、あるわけです。私の質問に対して直感的に考える限りにおいて、回答者さんの論理を一番始めにおもいつく人もいるでしょう。ですがさらにより深く推測していけば、私の論理も一つの方法論として成立していることに気づくと思います。 なので、補足しておきますね。 それと民事裁判に対しては、示談が通用しないので、やむを得ないので仕方ありません。 お忙しいところ最後まで読んでいただいてありがとうございます。 随時回答を募集しています。よろしくお願いします。
お礼
macdonaldair様 そっか… 精神病院って国じゃなかったんだ……。 そっだよね(・∀・) ありがとう♪