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自衛隊に入ろう
- 昭和44年、高田渡が反戦ソング「自衛隊に入ろう」を発表
- 防衛庁が自衛隊員募集のために高田にオファーを出すも放送禁止
- 学生運動や社会運動が盛んな時代でも微妙な歌は放送禁止だったことに驚き
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質問者が選んだベストアンサー
"自主規制か当局のお達しかはわかりませんが。" ↑ 自主規制でしょう。 当局のお達しなどやったら大変なことになります。 おそらく憲法違反になるでしょう。 ”あんな学生運動、社会運動が元気でデモスト当たり前、言論も 自由のころでもすでにああいう微妙な歌はなぜか放送禁止だったこと を知ると慄然とするんですが、どう思いますか。” ↑ 日本のマスコミはへたれです。 当局が何か要請してくる前に、勝手に自主規制します。 他にも、イムジン川、という唄も勝手に自主規制して いました。 反面、天皇をからかうような映画などは平気で 放映しておりました。 今とは感覚が異なるようです。 ”そういう狭い考えで争い、殺しあうメリットがどこにあるのか” ↑ 次の様な指摘があります。 原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、心と体を鍛え、 一面で道徳律を築き上げた。 その結果、文明が築かれ文化が創られた。 カントは次のような指摘をしています。 戦争は、国民に数多の困難を与えながらも、それを乗り越えて戦い抜く ことで、国民を崇高な存在にできる。 平和は、商人気質を旺盛にするが、卑しい利己心、怯儒や臆病の風を はびこらせ、国民の心意を低劣にする 米国のアイゼンハワー大統領は、軍事産業を潤す 為に戦争をやる、と発言して物議を醸しました。 軍事産業を潤す、というメリットがあるわけです。
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- kohichiro
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>言論も自由のころでもすでにああいう微妙な歌はなぜか放送禁止だったことを知ると慄然とするんですが 妥当だったと思います。腐ってもタイ、全国に流れる可能性のあるマスコミの良心として、あまりに偏狭な政治的内容があり、作品自体がくずだったら、やはり「流さない方がいいだろう」ということにもなります。 イムジン河」は作品そのものは悪くなかったと思いますが、もともと北朝鮮側のプロパガンダとして生まれた作品で、オリジナルに忠実にしろとかいろいろ各方面から圧力がかかり、政治色が強いものだったので誤解をされる可能性もあって、面倒臭くなって投げ出した面があったと思います。残念でしたね。
お礼
自衛隊については当時は違憲ではないかという論争があり、裁判にもなったと記憶してます。まだまだ、平和志向の考えの人が多かったと思います。 作品がくずかどうかは、考え方の違いで評価が180度変わるでしょう。仕方ないですが。 イムジン河は、確かに微妙な問題を含むのでいろいろ考えてやめちゃったんでしょうね。
- eroero4649
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昔深夜にやっていたノンフィクションルポ番組で、確か「放送禁止歌なるものは存在しない」ってやっていたと思います。「禁止」はないんですよ。いわゆる「自主規制」というやつだそうで。 だから、昔はテレビで歌えなかったけど今は歌えるとか、あるいは逆のパターンもあるみたいですね。あの三輪さんの「ヨイトマケの歌」も昔は歌えなかったはずですよ。「貧しいドカタのあの歌が」のドカタの部分がね。 私がはっきり覚えているのが、20年くらいか、あるいはそれ以上昔の三宅裕司の深夜番組で「コミックソング特集」というのをやっていてあの「金太の大冒険」がフルコーラスでつぼイノリオ先生の生歌で披露されました。そのときにつぼ先生が「私この歌出して20年くらいたってるけど、今日初めてテレビで歌いました」と興奮気味に語っていたのを思い出します。 逆パターンはレインボーマンの「死ね死ね団のうた」ですかね。もうね、「死ね死ね団」ていうのがアウトですよね・笑。歌詞も「死ね死ね死ね死ね死んじまえ」ですからね。「死ね(ア~ン)、死ね(ア~ン)」ですからね。今聞いても宇宙船ペペペペランくらいインパクトあります。 「昭和枯れすすき」って、今どうなんでしょうね。「貧しさに負けた いえ世間に負けた」「いっそきれいに死のうか」ってきっとNGだろうなあ。 今でも絶対公けで聞けない歌がありますよね。ブルーハーツの「チェルノブイリ」。 ソ連が崩壊するまでは、「反権力」がカッコよかったんですよ。尾崎豊が「夜の校舎窓ガラス壊してまわっ」ても「盗んだバイクで走り出」してもそれを受け入れる若者たちがいたのです。今はそんな歌詞を書くミュージシャンがいませんよね。 忌野清志郎さんも綺麗な人扱いになってるけど、タイマーズでテレビに出たとき「FM東京腐ったラジオ」「おまんこ野郎FM東京」と堂々と歌ってましたものね。面白いのが、これ、放送が止まらなかったし唖然としたり苦笑する他の出演者を抜いてるシーンがあるんですよね。今こんなんやったらどれだけ炎上するか想像するだに恐ろしいですよ。うっかりコンサートのMCでも「ハタハタ1尾しか出てこなかった」と口にできないんですからね。 ミュージシャンがファンの前でも「今から話すことはオフレコです。Twitterでつぶやかないでください」って断らなければいけないんでしょうかね。面倒な時代です。
お礼
昭和40年代ごろまでは、まだまだあまりうるさくなかったですね。 一部の過激な歌はテレビ等ではやらなかったけど、今よりはるかに自由でした。 高度経済成長の真っ只中だった当時には、洒落と笑い飛ばす寛容さがあったけど、 これだけ格差が広がり余裕もなくなり、世の中がきな臭くなってきて、人間らしさや 優しさを失った結果でしょうか。 「ヨイトマケの歌」は土方が差別用語だったということですかね。今はテレビで普通にやってます。「金太の大冒険」は語呂合わせで笑わせる歌だったと記憶してます。 最近では、昨年サザンが紅白でちょび髭つけたらヒットラーに比喩してるなんて考えすぎの批判が出るし、うんざりします。
- ZX4
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自衛隊員がタイムスリップ先で女性を暴行するシーンがある、との理由で撮影に協力しなかった事例は確かに存在します。(戦国自衛隊 1979年公開) ただ質問の件については、別に防衛庁が放送自粛を各局に通達したわけでは無いと思いますよ。 今よりも戦争の記憶を色濃く残す人が多い時代にあって、"男の中の男は自衛隊に入って花と散る(=散華。戦死すると言う事)"と言うのは、さすがに放送各局も自粛せざるを得なかったのでは無いでしょうか。 昭和44年と言えば第二次安保闘争やベトナム戦争に絡んだ反戦運動がピークに達した年でもありますし、東大安田講堂闘争など学生運動が盛んだった時代でもあります。その中にあって放送を見合わせた、と言う事であればそう言う事なのでは無いかと思います。(自衛隊の存在事由が今よりも微妙だったと言うのもあるか知れませんが) もちろん戦争などしないに越した事は無いのですが、事の是非はともかく戦死者をおちょくるような歌詞は、例え反戦を訴える為とは言え少々不謹慎では無いかと思います。 まあ当然自衛隊側は"花と散る"の意味は解っていたでしょうし、広報用に使用したい、とのオファーを出したと言う話が本当であれば、それ自体が痛烈な皮肉だったのかも知れませんが。
お礼
「戦国自衛隊」では、自衛隊員が女性に暴行するシーンがあって、撮影に協力しなかったんですか。たしか、千葉真一が主演でしたね。 まだ戦後24年しかたってなかったですから、おっしゃるとおり戦争を生身で体験した人がたくさん生きてた時代ですね。そういう人たちがこの歌をどうとらえたか興味があります。 歌詞の内容は他にも「アメリカさんにも手伝ってもらい悪い中国やソ連をやっつけましょう」「祖国のためならどこまでも素直な人を求めます」など皮肉たっぷりです。 ただ、当時の映像を見ると彼も「中国やソ連」の部分を小声で歌ってるように聞こえるので 多少、遠慮があったのかもしれません。 自衛隊自体が違憲ではないかという議論がなされてた時代ですから、防衛庁も今ほどおおっぴらに宣伝しなかったですね。翌年の45年に三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地での割腹自殺がありましたが、彼の大演説を聞いた自衛隊員も「アナクロだ」と反発する人が多かったそうですから、反戦運動が盛んだった当時の気分は自衛隊員にも沁みこんでたのかも。 戦死者をおちょくるような気持は彼にはなかった、と私は思いますが人によっては、そう感じて不快になるのかもしれません。
wikipediaによると1968年にTBSの番組で放映されたとあるので一切というわけではないみたいですね 日本民間放送連盟により要注意歌謡曲に指定されたとあるので形の上では自主規制みたいですが 歌詞を見てみましたが当局からのお達しがなくても、自主規制という形になってもおかしくはなさそうな歌なので微妙な線ですね 自衛隊の人が聴けば嫌な思いになることは想像出来るので規制もやむなしかな でも、防衛庁もなかなか面白いことをするんですねw
お礼
なるほど、テレビでやったことが皆無ではなかったんですね。 まあ、たしかに自衛隊員が聞けばいい気持はしないでしょう。でも、洒落と理解して 笑い飛ばす度量の広さがあったら嬉しい気もします。 防衛庁は、この歌の皮肉を逆手にとって、広報用にとオファーしたんでしょうが、いわば意趣返ししたわけでしょうかね。
- hamazo2004
- ベストアンサー率27% (292/1068)
当時は反抗期のような反戦とかシャドーボクシングだったけれども、自然災害の多い日本こそ多くの若者が進んで自衛隊に入るべきでしょう。入れなかったら、にわか社会人として常にボランティアの意識を持つべき。
お礼
この歌聴くと、当時の日本の民主主義はまだ今よりは生きてた感じがするんですよ。そんでも、禁止になった。 今、隣国と仲悪いので、殺しちまえみたいな論調が強いですが、過去にやったことをなかったことにして、日本国万歳という外人蔑視の考えが強まってるのが全くわかりません。 なぜ、もっと人間は国や民族が別でも同じ地球人という広い心が持てないのか。 そういう狭い考えで争い、殺しあうメリットがどこにあるのか。大体、人間がこの世に生まれてくるのは、憎みあうためではなく、愛を知るためと考えているのですが。 自然災害中心だった自衛隊も、法制が改悪され外国の戦場真っ只中に行かされる可能性大になりました。で、志願者も激減し徴兵制も遠い先ではないでしょう。 ボランテイアは別に反対ではないですが、もっと前に考えることが多すぎる気がしますね。 高田渡は他に「あきらめ節」なんて歌もあります。明治時代の添田唖然坊という人が作った歌ですが、驚くほど現在と変わってません。興味あれば是非聞いてみてくださいね。
お礼
イムジン河はフォーククルセダーズでしたね。内容は、南北朝鮮が早くひとつになることを願う、というようなものだったと記憶してます。別に放送禁止するような歌詞ではないと思いますが。 人類の歴史を考えると、争い、殺し合いの連続です。 主に領土争いですが、宗教や民族の違いなどがからまり、同じ民族同志でも権力争いで凄惨な戦いが続きました。 人間のDNAには、そういう残酷さが刻み込まれてるんですかね。いやですね。 有名な哲学者カントは戦争賛美者だったようですが、ちょっとがっかりしました。純粋理性批判など、我々凡人には逆立ちしても理解できないような難解な本を書いてますが。 アイゼンハワーは馬鹿正直な人だったんですね。アメリカが軍産複合体を潤すために、常に戦争の種を探してるのは有名ですが、本音を悪びれず堂々と言う人はそんなにいませんから。 世界がそんなアメリカに振り回されてる現状は、いつまで続くんでしょう。