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目上の人に対して汝という言葉を使って良いでしょうか
以前に日本基督教団の礼拝に参列したことがあるのですが、その時に疑問に思ったことがあります。主の祈り「天にましますわれらの父よ・・・」で始まり「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。」で終わる有名な祈りですが、主に対してそれまでは全て敬語を使っているのに、どうして最後のところだけ「汝」というどちらかというと見下したような二人称を使うのでしょうか? 辞書で調べても「汝」という字は同等或いは目下の人に対して使う二人称だそうです。 どなたかお分かりでしたらご教示ください。 日本基督教団の事務局に電話してみたのですが良くわからないらしいです。
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>「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。」 ・この部分は、本来の「主の祈り」には無かった部分で、後で協会の方で付け加えた部分です 教会が礼拝の中で唱える祈りとして、主の祈りの形式を整えるために付け加えたもの (この部分は、イエスの「主の祈り」ではないので、繋げて意味を取らない・・整合性がなくなるから) ・この場合の、「汝」は、あなたのこと(敬意をもってあなた様と言っているわけです)
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- Ganymede
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(1) このご質問を見て、すぐ思い出したのが、 「たとひわれ死のかげの谷をあゆむともわざわいをおそれじ、なんぢ我とともに在(いま)せばなり」(たとえ私は死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません、あなたがわたしと共にいらっしゃるからです) である。この「われ」はダビデ、「なんぢ」は神である。今ネットで確認したら、旧約聖書の詩篇23篇4節だという。 私はキリスト教徒ではなく、聖書も持っていない。小説などに引用された断片を孫引きで読んだ程度だ。「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも」も、何かの小説のエピグラフで見て覚えた。 だから、偉そうなことは申せないのだが、聖書で「汝(なんじ)」が神を指すことは少なくないんじゃないの? ご質問者は辞書をお調べになったそうだが、その前に聖書をパラパラめくってみるのが先決なのでは? (2) 私は人並みに大学へも行ったのである。第2外国語を取らなければならなくて、ドイツ語を取った。全然身に付かなかったけど。いや、そんな話はどうでもいいが、「きみ、お前」(親称)は du で、「あなた」(敬称)は Sie である。そして、神に対しては du を用いる。 今調べたら、フランス語も他のヨーロッパの諸言語も同様らしい。ロシア語も。英語では、ドイツ語の du に当たる thou を用いる。やはり親称である。 なぜ、神を「お前」と呼ぶのか。これは極東の異教徒たる私たちには感覚的につかみにくいが、神は何万マイルも彼方に鎮座ましましているというより、万人の行住坐臥、日常茶飯と一緒に遍在してもいるらしい。つまり親しい存在だから、親称を用いても違和感がないのかも。いや、遠い存在だったら、なおのこと du と呼んで少しでも近付くことを目指すのだろう。 ちなみに、学生は先生のことを Sie と呼ばされていたような覚えがある。神を「お前」、先生を「あなた」と呼ぶのも乙(おつ)な感じだった。 (3) 旧約聖書・新約聖書の原典は、それぞれヘブライ語・古代ギリシャ語で、中世にはもっぱらラテン語で唱えられてきたそうだ。私はさっぱり学がなくて、それらの言語のことは皆目知らないが、日本で文語訳聖書が編まれたときは、前述のヨーロッパの各国語訳をかなり参考にしたのではないだろうか。そこで、「汝」を当てはめたのではないかと思われる。 日本最大の国語辞典、小学館の『日本国語大辞典』のダイジェスト版から、「汝」の項を引用しておく。 〔引用開始〕 なんじ(なんぢ)【汝・爾】 代名詞。(古くは「なむち」。「な(汝)むち(貴)」の意)対称。上代は、相手を尊敬して呼んだ語と推定されるが、奈良時代以降、対等またはそれ以下の相手に対して、中世以降は、目下の者に対する、もっとも一般的な代名詞として用いられる。 〔引用終り〕
- bakansky
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#2 の方が書いておられるように、その部分は聖書にはない文句です。ただし、Wikipedia の記述を見ると、写本の違いということがあるようですね。 「汝」 という語については、基本的に質問者さまのご指摘のとおりだと思います。私などは天皇から国民に向けたメッセージなどに用いられる用語くらいの感覚を持っていましたが、言われてみれば、神様に対して 「汝」 なんて呼びかけていいものだろうかという気はします。 新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、ラテン語に翻訳されたものにせよ、英語などの西洋の言語に訳されたものにせよ、人称というのは1人称とか2人称とかで、我 と 汝 という関係しかないのではないでしょうか。それを日本語でも踏襲したと見れば、短い言葉で表現する語が他に見当たらなかったということかもしれません。 文語訳の日本語の聖書は中国語の聖書を参考にしているらしいので、中国語でも 我 と 汝 だったのかもしれません。 「私」 という存在と、「私」 ではないが人格を有する存在とは区別するが、「私ではない人格的な存在」 に対して、その社会的な地位などに応じて呼称を変えるというのは、おそらく外国にはない、日本的な慣習でしょう。1人称と2人称の区別だけで事足りるとする言語を日本語に置き換える際に単純化されてしまったのではないでしょうか。 もちろん西洋の言語でもドイツ語の Wie とかフランス語の Vous とかスペイン語の Usted とかは、身内的な間柄でない人に対して使うわけですが、神様に対してもそれで済ませているのではないでしょうか。英語でも thou なんて語がありますが、今は you だけで済ませているでしょう。 「我」 と 「汝」 の場合も、「私」 と 「私以外の人格的な存在」 に呼びかける呼称 を区別する表現として採用されたのだと思います。日常的に用いる呼称ではないということが、宗教的な場での用語として用いられることになった理由ではないかと考えます。 「カトリック教会と日本聖公会の共通口語訳」 では 「あなた」 という呼びかけになっていますから、時代とともに変っていくものなのかもしれません。しかし 「あなた」 だと、妻が夫に呼びかけているみたいで、神様に対する呼びかけとしてはどうなんだろうとか考え始めてしまいそうですが、そういうものとして納得するしかないのではないでしょうか。仏教などでは仏様のお名前を呼びますから、そういうことで悩まなくて済むのでしょうけれど。日本には絶対神に呼びかけるという概念がそもそも無いので、仕方のないことだと思います。
「汝」には多様な読みがあります。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?match=exact&search=%E6%B1%9D&_submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2 「い・うぬ・し・しゃ・な・なれ・まし」などの読みは、目上に使うことはできません。 「いまし」と読めば尊敬表現になるので使えます。 「みまし」と発音すると、「いまし」より若干、敬意の度合いが高くなります。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E6%B1%9D&match=exact&itemid=DJR_mimasi_-020 「なんじ」の場合も、基本的には対等、または目下に対して使われていたそうですが、【中世以降は目下の人や親しい人を呼ぶのに用いられるようになった。】という注釈があります。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E6%B1%9D&match=exact&itemid=DJR_nannzi_-050 「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。」の場合は、これに該当するのかもしれません。