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茶道と香道
茶道具を展示している展覧会の美術館に行くと、黄瀬戸の香合などが展示されています。ウキベティアで調べましたが、茶道でもお香をたくそうですね。茶道においてお香をたくという伝統はいつぐらいから始まったのでしょうか?先のアサガオの活け方の質問にも繋がりますが、もしかしたら、千利休は、朝顔を活けたわけでなく、源氏香の朝顔のお香をたき、秀吉が信長からもらったかもしれない、正倉院の蘭奢待を使った、お香を秀吉がしているのを見て、秀吉の権力欲を諌めようとしたかもしれないとする新説を考えてます。現在でも茶の湯の席においてお香をたく伝統は残っているのでしょうか?また香道との違いを茶道素人の私にご教授ください。
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1。茶道においてお香をたくという伝統はいつぐらいから始まったのでしょうか? 15世紀でしょう。 志野流(下記)は香道と茶道の家元です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E9%87%8E%E6%B5%81 2。現在でも茶の湯の席においてお香をたく伝統は残っているのでしょうか? はい、 3。また香道との違いを茶道素人の私にご教授ください。 香道は、聞香(香りを鑑賞すること)と組香(香りを当てること)がシュです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E9%81%93 茶道は、ご存知の通りです。
お礼
SPS700さん 早速のご回答ありがとうございます。 私の知識がひとつ増えました。 しかし、室町時代の志野流香道は、侘びさびの、茶の湯の祖といわれる、村田珠光の前にすでに確立していて、その頃は茶の湯が闘茶としての遊びであった時代であったと思います。 侘びさびとしての茶の湯として、お香が使われたのは、すでに村田珠光の時代からでしょうか? ベストアンサー出でもいいのですが、もう少し、投稿を開けておきます。
補足
SPS700さん こんばんは。 朝のあわただしい時間にお礼を書いてしまったので、村田珠光の生きた時代を100年間違えてました。村田珠光の時代と志野香道の時代は合って、村田珠光が茶の湯にお香を取り入れたのかもしれません。ところで、茶道におけるお香はお清めのためでしょうか?以前、NHKで裏千家の千玄室大宗匠の茶の湯の番組がありましたが、バチカンにおいて、献茶をしたそうですが、カトリックのミサと茶の湯は、例えばカトリックでは、お清めのため復活際やクリスマスのミサでお香もたきますし、聖杯のワインを飲みまわすのは、それは茶道のおける濃茶と同じであり、まったく洋の東西を問わず違和感がなく、日本の茶道は世界に通じる文化とおっしゃてました。そのような茶道精神を含め、もう少し回答があればと思いますので、投稿を開けておきます。