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ペローとグリムは自分で物語を作っていないのか
アンデルセンは、 自分で御話を作ったが、 ペローとグリムは、 御話を集めたのであって、 自分で御話を作っていないと、 聞きました。 ではペローとグリムは、 自作の御話は一作も存在しないのですか?
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グリム兄弟は「ドイツの民間に伝わる童話(メルヒェン、メルヘン)を集めて出版した兄弟」です。 日本に例えれば、桃太郎とかこぶとり爺さんとか舌切り雀とかさるかに合戦とか、そういうのを集めて本にした、と言う感じです。 民間伝承は、伝える人が居なくなると失われてしまいます。なので「民間から聞き回って、集めて本にする」ってのは、とっても重要で、簡単には出来ない事です。 ペローも同じです。 貴方は「自作じゃないから、ペローやグリムは偉くない」と勘違いしていませんか? もし、彼らが「本として残して居なかった」としたら、童話、民話の大部分は「語り手が正確に覚えていないせいで、話の内容が変わってしまう」とか「語り手が居なくなり、話そのものが消滅してしまう」と言う状態になっていた筈です。 >自作の御話は一作も存在しないのですか? もし、彼らの自作や創作が混じっていたりしたら、民話、童話の研究者は、とても困ります。民間伝承なのか創作なのか、判らなくなってしまいます。 ペローの著書は、読者に読みやすくなるよう、当時の風俗を取り入れるなど、若干の脚色が入っていて、読みやすい物語となっていますが、昔話収集としては余分なものが入る結果となってしまっています。 研究者にとっては「余計な事はしないで、民間に伝わっているのを、そのまま書いた方が価値が高い」のです。自作や創作を混ぜられてしまうと「大迷惑」なのです。 「自作絶対主義」「創作した人が一番偉い」とか思っていると恥をかくので、ご注意を。
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- tzd78886
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似たような伝承はいくつもありますから、それらを自分なりに書き直した可能性は否定できません。それを自作と言っていいかは見解が分かれるでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 そういうのは、あるみたいですね。
収集して編纂してる段階で自作や続きを混ぜた可能性は あるとは思いますが 現在のところ、グリム作ぺロー作と確定したって話は 聞かないと思います。 証明する手段がないのかも。
お礼
ありがとうございます。 脚色などは、おそらくあるようですが、 完全な自作は、ないみたいですね。
お礼
ありがとうございます。 誤解です。 自作じゃないから価値が低いなんて、全く思っていません。 自作の話は、あるのかどうかを、確認したかっただけです。 ペロー童話や、グリム童話は、自作じゃなく、御話を収集したそうですが、 全部の作品が、そうなのか、自作の物語は、ゼロなのか、疑問だったんです。 おかげで疑問が完全に解けました。 ありがとうございます。