グリム童話についてのレポート
緊急です!!!!!論文についてアドバイスをください!!かなり長文です。すみません。
6月12日の夜には論文のテーマ、構成を決定しなければなりません!(ドイツに関するもの)
授業の課題で最終的に3000字の論文を書く授業があります。そこで、私はドイツのグリム童話について研究したいと思い、グリム童話の「子ども観」について書こうと考えています。しかし、問題提起や構成が思いつかず、3000字を書けるか不安です。どのような構成にしたらいいか、どのように進めていけばいいのか、なにか問題提起と具体的な流れのアドバイスをいただければと思います。
ちなみに私が考えたやつです。
問題提起→「グリム童話における子供とはどのような存在か」
グリム童話ができた当時、ヨーロッパでの「子ども観」が変わってきて、「子供は小さな大人であり、大人の所有物である」という考え方から「子どもは純粋で大人よりも自然に近い存在である」という考え方に変わってきました。(悪い見方から良い見方へ変わった)この子供観の変遷がどのようにグリム童話に反映されているのかを社会情勢や他のグリム童話から調べたいと思っています。
構成→序論では社会の子ども観の変遷を述べ、グリム童話ではどのように反映されているのかいう問いを立てます。本論ではいくつかグリム童話を取上げ、それについて考察します。例えば、「赤ずきん」では赤ずきんちゃんはお母さんのいいつけを守らず、狼に襲われたが、それをきっかけに物語の最後には「これからはお母さんがしてはいけないと言ったとき、1人で道を出て、森へ走っていかないわ」と言いました。ここでは赤ずきんちゃんはお母さんの言いつけを守る礼儀正しい子だということが分かります。また、「ヘンゼルとグレーテル」では子供は親に捨てられ、森に迷ってしまいます。しかし、子供は自分たちだけでも何とか生き延び、魔女を殺して無事に父と再会します。この物語では子供は自立して成長していく生き物だということがわかります。実際に書く場合は、グリム童話の子ども観が見られる場面を引用または要約して書こうと思います。「ヘンゼルとグレーテル」のお話で一つだけ付け加えるか迷っている部分があり、それは、子供が親に捨てられる場面です。この場面では、子どもは親の所有物で、捨ててもいいような存在だと感じられます。「シンデレラ」にも同じような場面があります。これは子ども観ができる前の考え方が反映されていると思うのですが、どうにかして上手く加えることができないかと思っています。この点についてもアドバイスをお願いします。
これらグリム童話の子供の書かれ方から子供は自由で、大人とは違う存在であるということが分かる。(もっと分かることがあるが、省略します)しかし、ヨーロッパの子ども観が全て反映されているわけではなく、多少の差異があるのではないかと思っています。なぜなら、「聖母マリアの子供」では子供は嘘をつき、反省せず嘘を重ねる場面があり、子供は親の言うことを聞かない嘘つきものだという子ども観が見て取れます。また、「かえるの王さま、あるいは鉄のハインリヒ」ではカエルに恩があるのに見た目でカエルを嫌い、壁に投げつけます。ここでは子供は生き物を大切にせず、わがままで嘘つきだという子ども観が現れています。このような点で現実の子ども観と差異があると思っています。
結論→ヨーロッパの子ども観とグリム童話の子ども観は似ているが、〜の点で異なっている。ヨーロッパでは〜だが、グリム童話の子供は〜という存在である。
私はこのような構成で書きたいと思っています。
先週先生に論文のテーマについて相談しに行き、その時は子ども観について書くことと、その例として「赤ずきん」を出しました。先生にはこんな感じで伝えました。「テーマは子ども観にします。当時のヨーロッパでは子ども観の変わってきて、それがグリム童話に反映されていると思ったからです。例えば、赤ずきんでは子供は言いつけを守る礼儀正しい子どもということが分かります。そして、....」とそこで言葉に詰まってしまい、その後を考えていなかったので答えられませんでした。ここまでしか考えていなかったので、これを先生に言ったら、それは「具体性がなくて、どういう構成にしていくのか分からない」言われました。私自身この後の続きが全く浮かんできません。調べたいことはあるが、行き着く先がどこなのか、子ども観が分かったから何なのか、2週間ほどずっと考えていましたが、さすがに限界が来てしまいました。少しでもアドバイスを頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。