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「ボカサ皇帝」の“承認”について
以下の質問について確かな知識をお持ちの方のみ、お答えください(推測の混じった回答はご遠慮願います)。 よく次のような事が言われます。 中央アフリカのボカサ氏が「皇帝」を名乗った時、日本は「中央アフリカ帝国」という国号だけは認めたが、ボカサ氏を「皇帝」とは認めなかった、と。 私はこれに疑問を持ちました。 まず、ボカサ氏は「国軍参謀総長→大統領→(終身大統領→)皇帝」とその立場を変えていますが、このうち武力クーデターの類を用いたのは「国軍参謀総長→大統領」の時だけで、他は、その時のクーデターで誕生したボカサ政権によって平和裏に立場の変更が行われています。そして日本は、「国軍参謀総長→大統領」を承認していた、言い換えれば、ボカサ政権を「中央アフリカの政府」として認めていたのですよね?これは「中央アフリカの国内法を定める権利を持つのはボカサ政権である」と認めたという事です。つまり日本は、「ボカサ政権が定めた国内法によって“中央アフリカ皇帝”とされる人物」がいた場合、特に断りを入れてない限り、自動的にその人物を「中央アフリカ皇帝」と認めたことになるのではありませんか?そして日本は、ボカサ皇帝戴冠の際、「認めないからな」と断りを入れるどころか、昭和天皇の名で祝電まで送っているそうです。これはもう、「皇帝と認めた」としか言えないのではないですか? まあ、実はその祝電こそが「国号だけ認めた」派の根拠らしいのですが、「祝電」なのに「お前を皇帝と認めない」と書かれてるなんて事、ありえるのでしょうか? もしかしたら彼らは「いや、“認める”とも書いてないから認めてないのだ」などと反論をするのかもしれませんが、上に書いた通り、日本が「国軍参謀総長→大統領」を既に認めてしまっている以上、そんな反論には全く説得力が無いのですが。 そもそも、こういう時の祝電って普通、「相手国の国家元首本人に宛てて」送られるものですよね?で、国家元首に呼びかけるなら、当然「肩書き」や「敬称」を付けたはずです。「日本のあまりの無礼さにボカサ氏がブチ切れた」なんて話は、どれだけ調べても全く出てきませんから、用いた肩書き・敬称は、ボカサ氏を怒らせないものだったのでしょう。そうなると「Empereur」とか 「Votre Majesté Impériale」ぐらいしか思いつかないのですが。 以上が私の疑念です。 いかがでしょうか?確かな知識をお持ちの方(「国際政治・外交儀礼などに詳しく、なおかつ、昭和天皇の名で送られた祝電の文面をご存知の方」が理想です)、お答えいただけませんでしょうか?
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- wiz0621
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そもそも国家承認ってなんじゃい?という話から。 国家承認を定義した1933年のモンテビデオ条約によれば 国家承認とは他国の法人格を認めることを言うに過ぎないとされています。 では、国家の法人格ってなあに?というとこれもまた定義があって、 a 永久的住民 b 明確な領域 c 政府 d 他国と関係を取り結ぶ能力 の4つがあることをいいます。 つまり、日本国が『中央アフリカ』という国家を 国家承認をした時点でいったい何を認めているかというと 『中央アフリカには人が住んでいて、国境はここからあそこまでで、 政府があるので、日本国の交渉相手となりますよ。』 ということなんです。 言い換えれば、その地域に皇帝を名乗る人がが存在しているよね、 ということを認めてその皇帝を治める国家と交渉してもいいですよ、 ということを認めるのが国家承認なんです。 と、いうわけで。 もしかすると『皇帝を認めた』ということの意味を別のものと 考えておられるのかもしれませんが、 現代においての承認は、地位の保証や、 中世の冊封体制下のような王の承認とは本質的に意味が違っていて、 『その政府は日本国の交渉相手になりうる』 ことを認めたに過ぎないんです。ですから、呼びかけの敬称が 『皇帝』であっても、それも問題ありません。 もし、中世以前の伝統的な基準で裕仁帝が地位を『認めた』 というのであれば、冊封の考え方では裕仁帝の方が地位を与える上位者に なってしまいますし、同格として招聘したボカサ帝も そんなことは望んでいないんじゃないでしょうか。 まあ、どっちになったとしても国際法的にも儀礼的にも 常識外れの事態ですので、だからこそ電報で済ませたのでしょうね。 なお、モンテビデオ条約では一度なされた承認は取り消せないとあるので、 一度ボカサ政権を承認している以上、おっしゃるとおりその承認は取り消せません。 そもそも、だからこそ電報を送っているわけです。 存在することを認めているので、これ自体が承認とみなされるのです。 (これを黙示的承認といいます。) 余談ではありますが、日本国は2013年以降のクーデター政権を 承認していないので、誤認させないように公的には一切の接触を断っている というわけです。
お礼
回答ありがとうごさいます。 結論としては、「“日本は国号だけ認めた”というのは間違いである」「日本は、ボカサ氏が皇帝を名乗ることを、“現在、日本以外の国々が、明仁氏が天皇を名乗ることを認めている”のと同じ意味で“認め”ていた」「“認める”とは、冊封の意味ではない」といったところでしょうか。 私の理解力が足りなくて申し訳ないのですが、「まあ、どっちになったとしても国際法的にも儀礼的にも常識外れの事態ですので、だからこそ電報で済ませたのでしょうね。」という部分がよく分かりませんでした。「どっちになったとしても」というのは、「裕仁氏がボカサ氏を“冊封”したとしても、また、裕仁氏が戴冠式に出席したとしても」という意味でしょうか?前者が「国際法的にも儀礼的にも常識外れの事態」だというのは分かるのですが、裕仁氏がボカサ帝の戴冠式に出席することが「国際法的にも儀礼的にも常識外れの事態」とは思えないのですが。天皇の「即位の礼」にも、外国の元首が普通に来るそうですし。それとも、「どっちになったとしても」というのは他の意味ですか?