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自分の価値観、性格が分からない
- 自分が頑固で協調性がないことを自覚していたので、人の話をまず受け入れよう、自分の意見を押し付けないようにしようと意識していたら、人に流される性格になっていました。
- 最近、度重なる友人の仲違いや、上司が他の部下への人格否定や、自分はこんなに頑張ってるのにとの発言から、すべてを受け入れるのは難しいと思うようになりました。
- 自分が怒られてるような、なにか罪悪感を感じることがあり、それが嫌でなるべく1人の時間を大事にしようと、作曲を習い始めましたが、変な恐怖感があります。
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質問者が選んだベストアンサー
あなたができたこと 自分の性格を見直せた 自分を変わろうとして実行した 変わろうとして反省をしたり出来ないことがわかった 作曲が好きなんだとわかった 作曲の趣味をこれから楽しもうと思った これらのあなたのやってきた事は評価に値があるので、あなたがあなた自身を一度誉めてあげましょう。 そして、大人になって立派に物事を考えられるあなたにたいして、過去の母親、上司、また同僚は評価するに値しませんのでどう思われたとしてもあなたは価値を下げないで下さい 過去の母親とどう向き合うかですが極端に言うと言われたことに執着せずに忘れてあげましょう あなたにも過去の母親のためでもあります。 母親は完璧な人格者で母親になるのではありません。欠点を持ち合わせながら親になります。あなたの自尊心を深く傷つけた母親よりも、もっと違う良かった母親を、イメージに残した方が毎日は楽しく居られます。 そして、人の心は光よりも速く変われます。あなたがあなたらしく過ごせるよう楽しく過ごせるよう変われる方法を探してみてください 上記の事をやれたあなたにはきっと出来るはずです。作曲を楽しんでいる姿をイメージしながら終えたいと思います。
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- a_hona
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十分、今のままでいい人のような気がしますが、。 価値観なんて揺れ動いてゆくものですし、性格も歳を経て変わってゆきます。 一定不変の自分自身というもの自体が幻想のような気がしますが。
お礼
回答ありがとうございます。 変化が怖いと感じていました。 でも、いろいろな経験をして変わっていくものですよね。 変化を恐れず、前に進んでいけるようになりたいと思います。
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
シンフォニー等を作曲したいのでしょうか。 そうではなくて多種多様な曲作りをしたいのであれば、 たとえば、お母さまに作詞をお願いして、被災地の皆さんを 励ます曲や商店街・大規模商業施設のBGMなども 手がけてみませんか。福祉施設や病院の待合室で コンサートを開くのなども、おススメです。 音楽性に自信があるのでしたら、 アレコレ考えないことです。 作曲家は、自身の曲で、世界の人々と交流すれば 宜しいのではないでしょうか。 いまは、ハミングを曲にしてくれる ソフトがありますので、文明の利器を 活用して、曲作りに専心しませんか。 構えず、飾らず、 あるがままを、あるがままに。 Good Luck!
お礼
作りたい曲は、どちらかというとポピュラーの歌曲です。 どうしても音楽から離れることができず、もんもん過ごしていました。 仕事をしつつ、音楽で人と交流できるように、ちょっと頑張ってみようと思います。 回答ありがとうございました。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
自分を自分の子供だと思って責任もって愛することです。 あなたは自分の子供をダメだしばかりして育てるのですか。 10回褒めて1回ダメだしくらいでいいんじゃないですか。 褒め上手になって自分のいいとこ探しをしたらいいと思います。 周りや、母親が、あなたの子供にダメだししたらあなたはそれに迎合して自分の子供にダメだしするのですか。 いつまでも誰かの子供の下っ端の気分でいないで、自分の子供を自分で守る気になって自分を褒めて育ててやればいいと思います。 誰か他人に褒めてもらおうとするのではなくて。
お礼
とても違う視点で物を考えさせられました。 確かに、自分の子供にこんなことはできないです。 自分を見守る気を持って、気長に自分と付き合おうと思います。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
この世における法律、倫理、道徳など、「これはやってよい」「あれはやったらダメだよ。やっちゃうと罰を与えるよ!」っていう価値判断がありますね。 これらの価値判断は、「善悪の判断」があるわけです。 そして、こういった判断は、旧約聖書のモーゼの十戒にあるように、神、宗教からきたものなんです。 つまり、すべての価値判断の基本は宗教なんですね。 実際、昔は、巫女、シャーマンなど、神の声を聞く能力を持った人が、神の代理人として善悪の最終判定をしていたと思います。 とはいえ、神の声を聞ける人は極めて少数です。その能力がある選ばれた人は、イスラム教の教祖になったりできるくらいですからね。 また、世の中の人間どうしのトラブルって、些細なもの、ありがちな争い、神に尋ねるまでもなく、常識人なら善悪が判るレベルのものもあります。 ですので、全てを神の判断に頼ることなく、神の代理人としての裁判官などが、善悪を決めるように現在はなってきています。 そして、神の代理人である人間が善悪を決めるようになったとき、国家レベルでいえば、ドイツのヒットラーみたいな独裁者、企業レベルでいえば、ブラック企業の経営者、学校なら自己保身第一の校長や教頭先生が、自分勝手な善悪判断をすることが可能となります。 そういう人たちが支配する環境に生きるとき、質問者さんのように自己の価値観がしっかりしてないと、ワタミのような企業で社畜となって働かされることに疑問を持たず、最後は過労死をすることになります。 ですので、私たちは、そんな環境でトップが勝手に決めたルールが正しいものかどうか?を見極める価値観、価値基準を持っておくことが絶対に必要なんです。 例えば、海外に行くと「あなたの宗教は?」と聞かれることがあるといいます。このとき、「無宗教です」と答えると、「この人は価値基準を持たない人間だな。利益誘導により、何でもやっちゃう危ない・怖い人だ」と見られることがあるといいます。 ということで、自分の価値観、価値基準を持つことは、とても大切なことであり、その価値基準は宗教からくるものですので、適切な宗教の教えを学ぶのが良いと思います。 まあ、偉そうにこんなことを書いている私も、30代ころまでは、質問者さんと同様に自分の価値観、価値基準なんてものは持ってなくて、いつも「周囲の人から怒られないように言動に注意しよう」という生き方をしていたものです。 でも、幸福の科学の会員となり、大川隆法総裁の多数の書籍を読んだり、講演会で御法話を拝聴することで、自分の価値基準を持つことが可能になり、自信と余裕を持って生きることができるようになれたと感じています。
お礼
価値観を持つことは大切だと、私も感じるようになりました。 確かに、意思を何が何でもつらぬくのはわがままになってしまいますが、 信念はなんなのか、もう少し考えてみようと思います。
- 160160ssj
- ベストアンサー率0% (0/1)
自己肯定感が低いのかな、と思いました。調べてみるとわかると思います。 自分のことが好きになれなくて自信がないんですね。 私も作曲ではないですが、自分一人だけの作品を作ってます。作品に評価はつきものです。未熟と言う点以外でのただの批判なんて気にしなくていいんです。そう言う人は「作曲がしたい」とか特別な何かがないのかもしれません。 出来るのにやらないのは、どこかで自分なんかって自分を否定してるんじゃないかと思います。 人よりも根拠のない自信のなさがあるんじゃないかな、と思います。 実は私もそうでした。日本人にはすごく多いらしいです。これは育った環境が大きいんです。 私も24才から自分のやりたかった事をやりはじめてます。それは24でやるには遅いスタートのものでした。批判や文句や笑われるのは凄く怖いです。自分より若くて腕が良い人ばかりです。でも、やらなかったら絶対に後悔すると思ってやっています。どんな酷い事を言われてもやりつづけて成長して、良い作品でなくても自分にしか出来ない物がいつか出来るようになりたいと思ってます。何か目標を持つと、人を批判する無駄な時間や労力はありません。だから、そう言う事を言う人は悲しい人なんだな。と思うようになりました。気にしなくていいんです。 他人の言う事を気にして自分を押さえるよりも、他人の言う嫌な事なんて無視して自分を貫く方が自分の為です。私はそれで少し強くなれたと思ってます。 頑固も協調性がないのも流されやすいのも自分に自信がないのも性格だし個性です。完璧なんて無いです。完璧なんて逆に無難でおもしろくないと思います。作曲もそうだと思います。応援してます
お礼
私も根拠のない自信のなさがあるかもしれないです。 今は表面的に批判する人はいないのに、頭の中の誰かに、お前は駄目だと言われてるようで。 作曲はずっとやりたくて、でも逃げてきたものでもあります。 ちょっと焦ってたのかもしれません。 一歩止まって自分のペースで頑張りたいと思います。
- pyonki2
- ベストアンサー率0% (0/3)
自分に自信が持てず、自分が好きではないけど、その分他人が自分よりも優れているだとか、劣等感から自己嫌悪に陥ってしまっているような印象を受けました。 僕も似たような考えをした時があったのですが、中々周りに理解されにくいし、辛いですよね。 だけど、他人は他人で、自分は自分です。 無理に全て合わせる必要はないし、時には合わせて、時には自分の考えも伝えて、時には適当でもいいと思います。 他人に自分の意見を押し付けるつもりではないと伝えたい時は、僕は『ただ、自分のはあくまで一つの意見に過ぎないから』という風に一言添えたり、こうしろ、ああしろではなく、『こういうやり方、選択肢もあると思う』という風に伝えるだけでも、相手に対する印象は違ってくるはずですよ(^-^)v
お礼
回答ありがとうございます。 そうなんですよね、自分の意見を言う時、そういう風に伝えることができたら空気も悪くなりませんよね。 私の場合、こうしたらっていうのはおこがましいと思って溜まりに溜めたあげく、 自分がストレスをためて怒りっぽくなってしまいます。 上司の愚痴を辞めたほうがいいとはいえないので、自分が感情に流されないよう、 冷静でいれるよう気をつけたいと思います。
- kosakatoshiko
- ベストアンサー率15% (26/168)
こんばんは。寒いですね。 あなたは自分の価値を「他人の評価」で定める傾向が強すぎるのではないですか。 それが、あなたの「生き辛さ」の原因ではないでしょうか。 生育環境が関係しているのだと思います。親御さんはあなたに習い事で上達させたい。それは可愛い娘に強い子に育って欲しいという愛情の表現ですが、あなたは親御さんの期待に応え続けることに疲れたのではないでしょうか。 親の期待に応えることの快感、喜びも知っているのと同時に、疲れを感じていると思います。 「頑固」、「協調性がない」という悪い面を直そうとしたら、今度は逆に流される性格になった・・・・ここがまずいのではないでしょうか。両極端すぎるのです。「頑固さ」もほどほどに残しておかないと人生の荒波は乗り越えられません。 せっかく始めたお楽しみの「作曲」でもあなたは自分を苦しめています。楽しいことというのは、他人がどう言おうと、そんなことには関係なく、無条件で楽しいのです。「作曲」はあなたを楽しませてはいない。 結論を申し上げれば、一日も早く、本当に自分が好きなものを見つけることです。 他人の意見や評価など気にせず好きなことをやることです。 「ほめられたい」というあなたの傾向を早く修正して下さい。
お礼
楽しいことは無条件で楽しい。 私はある程度自分が納得できる技術が身につくまで、 楽しむという余裕がありません。 今はそのある程度を目指して、四苦八苦してます。 正直ほめられたら嬉しいとは思いますが、自分に自分が納得してないとやっぱり嬉しくないなと思いました。 飽きっぽい私が作曲を楽しめるようになって周りを気にしない自分になっていけたらと思います。 回答ありがとうございました。
こんにちは。 ご自身の性格でお悩みのようですね。 文章を読みますと、初めは頑固で協調性がなく、 それを変えようとして自分を殺すようにしていたら、 今度は主体性のない八方美人な人間になってしまった。 概ねそういうことでよろしいでしょうか? 今の相談者さんは、自信がないと言うより、自我、つまり 自分自身が何者かということが確立していないように思えます。 自分なりに考えたんですが、初めに頑固で協調性がないと自覚 できたということは、質問者さんは自己分析能力が高い、つまり 客観的に自分を見れる方なのかなと。別の言い方をすれば、 他人が自分をどう見ているかがよく分かる。そういう性格が 現在につながっているんじゃないかと推測しました。 まず『自分の好きなことをやる』って言うのを大事にしてください。 そして『自分のやることは自分のためのもので他人のためじゃない』 という意識を持ってみてください。作曲をするのは、質問者さんが 楽しいからやるんですよね?それを人に聞かすのは、おまけみたいなもの そう思ってください。 質問者さんが人の目を気にするのは、人からみとめられたいという 『承認欲求』が強くなっているからだと思います。人間誰しも 褒められれば嬉しいものですが、そこに大きな価値はありません。 どんな素晴らしい人が作った曲でも、評価する人と批判する人がいます。 他人の批判で譜面は変わりません。評価や批判には何の力もありません。 質問者さんが曲を創り上げること自体に勝るものなどありません。 まずはそういう風に考えるようにして、自分自身の活動を楽しめるように なってください。私は自信は楽しむことから生まれると思っています。 自分の活動を楽しめるようになり自信がつけば、他人から何を言われようが 所詮何十億分の一人の意見に過ぎないと受け流せるようになると思います。 そして他人の意見が気にならなくなれば、嫌な感情を引きづらず他人に優しく 接することができるようになるのではないでしょうか。 自分は上記のように心掛けていますが、なかなか上手くいかないときもあり、 感情的になるときもあります。ただ、上記のように思うようになってからは それ以前より、自由で優しくなれたと思っております。 私の回答がどれほど役に立つか分かりませんが、質問者さんが、 今より自由で楽しく暮らせるヒントになりましたら幸いです。
お礼
自我が確立されていない。 これは以前から自分でも感じていました。 何かするにも誰かがどうみるかばかりを 気にしていました。 楽しい楽しくない、上手い上手くないでなく、 やりたいことをどんどんやろうと思います。 回答ありがとうございました。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
一言で言えば「自意識過剰」「自己中心的」でしょうか。 自分の考えが相手に大きな影響を与えると感じたり、相手が自分がどんな人間であるか興味を持っていると考え過ぎです。 大抵の人は、質問者様が何かを考えていたからといって特に何の影響も受けませんし、あなたの考えはどうでも良いと思っています。 普通は作曲をしたからといってそれが良いとか悪いとか以前にただ単に無視されるのが当たり前です。何かを失敗したからといって叱られるのはまだましなほうで、できないやつだなと心のなかで決めつけられて終わりです。 自分が何者かであるかのような意識は中学生や高校生くらいまでならば持って当然ですが、良い年になってそのように感じるということは、やはり自意識が過剰なのでしょう。 自分は世の中で何の影響も持ち得ないということを自覚し、ただのつまらない、特に興味を惹かれることのない存在であることを認識できれば、このような他人と自分の認識の乖離はさほどひどくなりませんよ。
お礼
確かに自意識過剰かもしれません。 一つ動くことに誰かに何か言われることがある時期があり そこから、私のやってることは変じゃないかなと気にするようになりました。 このあたりがやわらぐようになればなと思います。 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 読まさせていただいた後で、なぜか私も楽しんでいいんだなぁと感じました。 なぜか楽しむことに罪悪感があったので。 過去の母親とも、自分とも、向き合って、楽しめるよう、頑張りたいと思います。