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メメント・モリ
私は、時々、この言葉をわすれている自分に気づきます。皆さまはどうでしょうか。教えて下さい。
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memento mori 良い言葉ですね。 修道院では日々の挨拶で使われてます。 明日は誰にも分かりません。 私に後どれぐらい残されているのかと日々思っています。 10年か5年か3年か1年かと。 精一杯十分に生きて来たので、いつ死が訪れようとかまわないのですが。 良い死を迎えたいものです。 良き生有りて良き死有り。
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noname#203300
回答No.2
還暦過ぎのオジサンです。 9月に心筋梗塞で心臓のバイパス手術を受けて、執刀医から「心臓は部品を交換しましたから20年は保証します」と言われ、自分の死に方を考えるようになってしまいました。 友人や知人は「それは目出度い!」なんて言ってくれますが、本人としては「肺がやられた。でも心臓だけ動いてる。」なんて真っ平御免です。 なんか、『死に時を逸した。』って思いもあります。
質問者
お礼
『死時を逸した』というご心境は正直申し上げて、まだ理解できません。 どうかお元気でお過ごし下さい。
お礼
いつでも死を受け入れられる、と言える方はそう多くないと思われます。尊敬します。 もうすこし頻繁にこの言葉を考えようと思います。