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愛すること信じること
愛されたかったり 不安で信用できなかったりする時に 愛は与えれば返ってくる 信じれば裏切られない とよく聞きます。 確かに納得できますが もし仮に浮気をされて 信用できなくなって不安になって それでも好きだから信じて愛して それで何も起きなきゃ ハッピーエンドですけど もしまた浮気されたら また裏切られたら 都合のいい女にされたら 悲しすぎませんか? しかも 信じたのが悪い 別れなかったのが悪い 見極められなかったのが悪いって 結局自分が悪いんですよね。 愛は与えれば返ってくる 信じれば裏切られない 本当にそうなのでしょうか。 それとも裏切られてもいい 都合のいい女になってもいい それが本当に好き ということなのでしょうか? でも一部の人は それは依存だとか言いますよね。 そんな風に考えてたら 愛することも信じることも よく分からなくなってしまいました。 皆さんはどう思いますか?
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- makaay10
- ベストアンサー率26% (249/953)
「努力は裏切らない」という言葉もありますが(正しい方向性で努力すればね)という注意書きが括弧であります。「信じれば裏切られない」という言葉にも(信じるに値する人を)括弧があると回答者は思います。括弧まで書くとロマンが皆無になりますけどね 「人を信じるという事は、その人に向ける疑いを信用や信頼で上回る事である」と回答者の考えを格言チックにまとめてみました。人を疑わない人はよく痛い目にあうでしょう。善人の人を見る目は当てにならないとも思います。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
信じるのはただの依存。 好きなのもただの依存。 愛を返してほしいのもただの依存。 愛は理解と許し。 自分が慈しみたいと思うものを慈しめばいい。 あなたのはただの依存。
- akamegane332
- ベストアンサー率8% (55/677)
女性には大きく別けて2パターンあります。 それは浮気をされる女性と浮気をされない女性です。 違いは 浮気をされる女性の特徴 (1)男性を見る目がない 優しい言葉、甘い言葉、外見に騙されて、誠実さを見ていない。 言葉ではなく、優しい行動や本当の愛情を見抜けない。 (2)精神に余裕が無く、病的に束縛、疑いをかける。 前彼に浮気をされたか知らないが、最初から疑ってかかり、携帯を平気で覗く。 浮気をされない女性は、それをしません。
- miru328
- ベストアンサー率30% (34/110)
愛する事と愛される事と愛し合うことは違うものだと思います。 しかも愛には深さや大きさや形があり お互いが似た形、大きさ深さを持っていると、それはとても幸せな二人になれるでしょうが、そうでなければお互いがどんなに愛を与え合っても上手くいかない事も多いと思います。 一度の浮気であれば、相手がそれによって大切な事に気付きもう二度としない可能性がないとは言い切れないので、信じたいなら信じてみては。もしそれで裏切られて別れたとしても、時間の無駄だったと思わない相手なら。 ただ、たった一度の裏切りでも それを心から納得し許せないでいるのなら それに対する不安不満は長い間、消える事はないでしょう。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
「愛は与えれば返ってくる 信じれば裏切られない とよく聞きます」 →どこでそんな話をきいたのでしょうか。 そんなことあるはずがないでしょう。 聖書にも書いてあることは、お互いに愛し合い、信じあってる二人の場合です。 プレイボーイやプレイガールなどが相手の場合にはまったく当てはまらないのは当然でしょ。
- kazupannmann
- ベストアンサー率29% (68/234)
信頼って根拠があった上で初めて成り立つもの。根拠もないのに、手放しで人を信じなくてもいい。裏切られてもなおも無償の愛を注ぐような、そんな神様みたいなことしなくていい。 そして、信頼関係っていうのは決して一方通行でもだめ。お互いが信頼関係を築く努力をしなくちゃ成り立たない。信頼がないのに、愛を育むのは困難。相手が浮気をする(=裏切る)ということは、つまり相手はあなたと信頼関係を築く意思がないということ。 相手を信じる事も確かに大事な事だけど、自分を大切にするだけの冷静さも時には必要だと思う。 自分を傷つける人と一緒にいない、という決断をする勇気を持ってほしい。それは自分を大切にするということにつながると思う。相手の身勝手な行動や気持ちの変化はあなたにはコントロールではないことだけど、でも自分が誰と人生を歩むのかは、あなたが決められる。
- playmate2
- ベストアンサー率8% (2/23)
- mym39
- ベストアンサー率0% (0/0)
私は学生でまだまだ未熟モノですが。 浮気をしてしまった ( 流れに逆らえなかった) 浮気相手になった ( 彼女がいたことを後から知った) 浮気のようなことをされた ことがあります。 浮気のラインは人にもよりますが どちらかに下心があれば 浮気なんて簡単に起きると思います。 ですがやはり、気の迷いだと感じます。 さみしいや不満などなにか足りないときに起きるような気がします。 一概には言えませんが 本当に愛せるのは一人じゃないでしょうか? 同時に同じくらい愛するって難しくないですか? きっと考えすぎは良くないと思います。 愛は与えすぎず、信じすぎず。 愛してるなっておもうことと 愛されてると感じることがあれば それでいいのだと思います。 尽くしてすがって追いかけて、 わたしもよくしそうになります。 だけどとっても辛いです。 愛されてるのに気づけなかったり、 問い詰めて傷つけたこともあります。 浮気をしたならどうしてそんなことしたのか聞いたらいいんじゃないですか。 何か理由があるかもしれないじゃないですか。 気持ちが自分になくなったなら別れる以外の道はありません。謝ってやり直したいといってきたなら 自分で決めたらいいのだと思います 好きだけど別れるなんて人きっとたくさんいますよね 本当は離れるの辛いし、なんだか悔しいのに わかれる道を選んだり、それなのに彼は新しい人と幸せになったり。 時間が経つといろんなものが変わっていきますよね 気持ちもそうですよね 愛から情にかわるかもしれません それでもまた愛に戻ることもあるのだと私は思います
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
非常に無粋なたとえ、だと理解した上で、あえて申し上げます。 「お金を貸すときは、返ってこないものだと思い、あげるつもりで貸しましょう」 これと同じことが、愛とか情とかにも成り立つのです。 「情けは人のためならず、(まわって自分にも情けをかけてもらえる日が来るさ)」 というような、「信頼」があってこそ一方向の愛や情を注ぐことに「報酬」「見返り」を求めないで生きられるのです。 「信頼」がないほど、すぐに形式的なあからさまなものでも「愛みたいなもの」「情みたいなもの」を返してもらわないと不安になるし、そもそも返ってきたものが愛でも情でもなんでもない空虚なものだったりするのです。 「信頼」を無くしたなら、早々に縁を切ればいいのです。「愛みたいなもの」「情みたいなもの」を返してもらうことに執着することが「依存」なのですから。