囲碁と将棋の違い(囲碁の魅力について)
囲碁と将棋のどっちが面白いかとかどっちが奥が深いかいう質問はなんどかされていますが、各回答者が自分が好きなほうを勝手に正当化するような回答も多く、読んでいて面白くありません。
そこで、ちょっと自分で気がついたこともあり、別の角度から似たような質問をしてみます。
私は囲碁も将棋もまあまあ程度やるのですが、結局、自分にとっては将棋のほうが面白く、結局囲碁をほとんどやらなくなってしまいました。それでなぜかと考えていて、ふと気がついたことがあるんです。
それは、将棋だと私のレベルでもいま優勢とか劣勢とかある程度わかるし、特に終盤はこの一手で勝てるとか自分なりに確信を持って指すことができるので、まあ、たとえているなら、駒音たかく、これでどうだと、びしっ!!と指すことができるわけです。ところが、囲碁の場合、私のレベルだと、まあ、おおきく石を取られたとかいう場合ならわかりますが、結果的に、5目程度しか違わないような差だとか、ましてプロ同士のように、1目とか2目の差なんていうレベルだと、勝負が終わって陣地を数えなおして、初めて、ああ勝ってたんだ、とか、負けてたんだとかわかるんです。だから囲碁を打ってる途中では、せいぜい(勝ってるといいな)という感覚で石を置いている感じで、これで勝つ、びしっ!というような感覚をもてないんです。
そこのしびれる感覚が自分のレベルだともてないのが、私が囲碁になじめなくなった一要因だと思うようになりました。
そこで質問は、囲碁はどの程度強くなると、打っている最中に、このままいくと5目差とか1目差で勝つとかいうことがわかるようになるんでしょうか?で、そういうことがわかるようになるレベルまで達すると、やはり打っている最中からしびれるような感覚を味わえるようになって、それまでとは違った感覚になるんでしょうか?あるいは、そういうレベルにまで達していない場合、ふたを開けてみるまで結果がわからないことについて、どういう印象をもたれているのでしょうか?ということについて、囲碁がお好きな方に(できれば将棋も好きで両方の魅力がわかる方に)意見を聞かせていただければと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 その相手が必ず言うのが「じゃ証明して」と言います。碁会所で席主がいれば口添えお願い出来ますが、いないときが困ります。あまり言い争いはしたくないしー―。