• 締切済み

教える側の気持ち

ふと、昔に疑問に思っていたことを質問します。 学習塾などの講師って実績により給与や受け持つ講座が決まるじゃないですか。 やっぱり合格した子と不合格だった子とでは、見る目が変わりますか? 子どもをビジネスの材料にしているわけですが。 例えば、すごく可愛がっていた子が不合格で、普通の子が合格した場合、不合格の子より普通の子に気持ちが傾きますか? そこはビジネス抜きにして考えられるものですか?

みんなの回答

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.2

元塾講師です。 放牧している牛と同じです。少人数ならばともかく、たくさんいる教室担当だと、塾でも分別しますよ。 他人にまで害を及ぼす生徒もいますから。

igachan-lover
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 しかし、質問内容に対する回答が得られず、残念でした。

  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.1

観念で考えるよりも、想像してみるのはどうでしょう? そうですね・・・。 例えば、学芸会とかでお芝居をすることになったとします。 舞台に立つまでは、色んな人に評価され、緊張しながら演技を学びます。 本番で失敗しないように祈りつつ、日々練習をします。 一般の人や父兄が見に来ることになりました。 この人達の評判が良ければ、次回はもっと良い役を与えられそうです。 ビジネスではないですが、 観客がお客さんであると捉えると、 そこでの評判が次に繋がると言うのは似ていますよね? そんなふうに想像を膨らましていきます。 そういえば、似たような話で思い当たるのが、 学会発表や仕事での講演発表をしたことがあります。 このとき、 見に来た人に教える役を演じるわけですが、 堂々として、専門家らしく自信に満ちて見えるように、 必死に練習して演技をしました。 あなたが同じ様な立場になったとき、どんな気持ちになるでしょうか? 例えば、 「私なんかに出来ない」 「それでも上手くやりたい」 「多くの人が良い評価をしてくれたらいいな」 とか思ってのぞむはずですよね? こんな心理のとき、 観客の誰が可愛いか?とか、思いますでしょうか。 そんな余裕はないはずですよ。 講演発表のとき、見に来た人に質問されたのですが、 シドロモドロに成らない様に、必死でした。 相手がどんな人であるかよりも、 「この答え(応え)方で皆が分かるだろうか?」 でしたよ。 観客から見ると、私は一人なのですが、 私から見ると、全員に見られているわけです。 「皆さん、これでどうでしょう?」 「質問した人を思いやっているように、見えたでしょうか?」 「あなた方に見られているので緊張しているんですが、  リラックスして質問に答えているように演技をしています。  自然に見えていますか?」 誰でもこういう心理になりますよね? 多くの人を前にして、普段どおりの気持ちで接するのは無理でしょう。 模範的な振るまいを模索して、評判を高めようと必死になるはず。 もしこれが仕事になれば、 いまの失敗を忘れ、いまの成功に酔い、次の準備を始めます。 そんなことに慣れたとします。 そしてあるとき、 A「わたしはあなたの講演を見に行って、それが後で役に立ちました。  講演のときはうっかり寝てしまい、あなたに睨まれましたよ。  それでもちゃんと成果を残したんです」 B「わたしはあなたの講演を見に行って、大きくうなづいていまいした。  あなたとも目があったんです。覚えていませんか?。  ただ、あなたの講演を役立てられず、失敗しました。申し訳ないです」 と言う見知らぬ二人がきたとします。 AとB「わたしたちどちらに気持ちが傾きますか?」 こう二人に質問されるのです。 B「あなたに可愛がられていた私ですか? 最後に成果を残した彼ですか?」 本音で言えば、 私(誰? 次の仕事で忙しいのだけど。   まてまて、下手に応えれば評判が落ちるかもしれない。   講師としてどう応えると模範的なんだろうか。   これは講演より難しい。   ふふ。しかしこんなこともあるんだな。   面白い人がいたと、後であいつに話そう。) 私「そうですね。人にはそのときそのときの運があります。   大事なのは私の講演を聴きにきて、それを覚えていると言う、   あなたたち二人の記憶です。   例え出会いは一瞬でも、記憶は一生残るんですよ。   これは何度でも活かす事ができます。   まだまだ人生は続きます。   成果を残したように見えて、そのあとで効果が無くなれば、失敗と同じ。   その逆もあります。   結果が出たように思わずに、未だに途中だと思うのがよいでしょう。   そんな皆さんを等しく(観客として)大事に思います」 とか答えますね。 このたとえ話でわかりましたでしょうか? お客さんに対して、 「自分を思いやっている」 と感じてもらえるように、サービスをするのが普通でしょう。 「ビジネスライクに振舞っている」 と感じさせると、後で揉めます。 そこで防衛的に、相手の個人情報や特徴を少しばかり頭に残し、 あるとき突然、 「私を覚えていますか?」 とか言われたとき、パニックを起こさないように未来に向けて記憶に刻む。 それをしているだけであり、その観客の人をどうこう思っていません。 つまり、 合格・不合格は関係なく、 ビジネスを抜きにして気持ちが傾くことはないはずです。 観念で利害を検討すると、是非を判断できない命題が生まれます。 しかし、 実際にその立場になると、 「まずそんなこと考える余裕がないから」 と言うこともしばしば。 わからないときは、自分にもあてはまる似たような状況を想像し、 そのときの自分に質問をしてみると、 なるほどと納得できることがあります。 自分だけが、「自分以外をその他大勢」と考えているわけではないですよね。 しかし、 「相手を個人として大事に思っている」 と言う芝居は世の中では必須です。 例えば多くの上司が部下に対して接するとき、 (ここは何か言うべきだろうか? 否定することになるが・・・  何も言わないのか? と言う目でこっちを見てる奴がいるなあ。  どうするのか? と言う顔で同僚がにやけているなあ。  よし、ここはしっかりと言おう) とか毎回考えています。 ところが部下にとってはオオゴト。 ですので、 「上司との関係がうまくいってないんです。  たぶん、飲み会のとき、うっかりと機嫌を損ねたせいです。  飲み会の無礼講とは信じちゃいけないものですか?」 とか疑問に思って質問する人もいるでしょう。 実際は、誰がどんな失敗をしたのかすら覚えていません。 接する人と接する問題の数が多すぎるからです。 そのため、メモをつくり、細やかに記録を残し、後で思い出して評価するように 人事の人にシツコク指導されるわけです。 「え、こんなことがあったっけ。」 とか、驚くことが多いですよ。 なので面談の前には、それらを思い出して、如何にもずっとそのことを考えていた ような演技をします。 そうしないと、相手に失礼ですからね。 営業の人は外のお客さんに対して、同じ様なメモを作ります。 また、相手にとってはxx社という捉え方ですから、 xx社として別の人が接しても、同じような態度をとらないといけません。 ですので、xx社が一つの人格に見えるように、細やかに情報を共有します。 ときどき、記憶が混乱して、相手を間違えることもあります。 このくらい、心が傾かないものです。 公務を為す人と、公務を為されている人では、立場が違うため見え方が違います。 多くのお客様に対して評判のよい営業マンがいたとします。 ところがこの人でも「上司との関係がうまくいかない」と悩むわけです。 お客に接している自分の心理を思い出せば、 上司も同じことをしているだけであると思い当たるはず。 うまくいかないどころか、名前を間違えられるくらい、 覚えてもらっていないのがデフォルトです。 全ての人は、自分以外の全ての人にとって、その他大勢に見えています。 これは仕方がないですね。 ですが、この発想を根底において、色々と物事を考えるようにすれば、 悩みも減ります。 逆に、 「どんなことをする人に心が傾きますか?」 と自分に質問をして見ましょう。 これは応用です。 質問者さんが今でも心に残している以上、 「自分に対して何かを教えてくれる人」 に人は心を傾けます。 わたしの感覚では、それ以外の人は記憶から薄れていっているようです。 だとしたら、他の人も同じでしょう。 そこでこう考えます。 「あいつは30分程度教えた。だから一生俺を覚えている。  俺の感覚以上に親しげに接してくるはず」 これで大体あっています。 つまり、 その他大勢に見られないためには、何かを教える立場にならないといけません。 主観と客観がこれほど違うという事。 学校に合格する、不合格する。 そういうものが相手の心理を動かすと思い込んでいると失敗します。 先生に対して、なにかを教えていたら、 その先生はいつまでも、その生徒を覚えているでしょう。 何かを教えてくれた人を一生記憶に残す。 これが人のメカニズムであり、 親切にするとか、尽くすとか、成果を残すとか、 まったく関係ありません。 これを知っていれば悩みも減り、いまある時間を上手につかえると思います。 以上、ご参考に成れば。

igachan-lover
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なかなかボリューミーな回答で‥‥。 結論といたしましては、見方は変わらないということですね。 ありがとうございました。

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