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友人からの言葉に傷ついてしまった私の気持ち
- 友人との関係が長くなっても、実際に会う機会は減ってしまった。会うたびに料理を作っておもてなししたいと思っていた私に対して、友人は「可哀想」と言った。
- 友人は料理を作っている私を見て「可哀想」と感じていたのかもしれない。私は友人のことをどう思っているのか考えてしまい、来週の会うのが嫌になってしまった。
- 私は繊細で他人の言葉を気にしすぎる性格なので、友人の言葉に傷ついてしまったかもしれない。しかし、自分の性格を受け入れて前向きに考えられるようになってきた。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 推測ですが、御友人は、よくいえば情にあつく姉ご肌、悪くいうと親切が裏目に出て人を遠ざけてしまうタイプではないですか。 と申しますのは、ふつう、きにしいな相手には、繊細さをほめることはあっても、そのきにしいな部分をどんぴしゃで指摘はしないからです。また、そのほかの御友人の言動をきいていても、距離感が近すぎて、それはやさしくて思いやり深いともとれますが、友達とは言え他人にいうべきこと・やるべきことの境目がすこし、いわゆる不器用なひとのすることだろうと思うからです。 今回の、可哀そう発言もおなじです。気にするな、との意見が散見されますが、だれだって、ひごろてみやげもなしに訪れてくるひとにたいして、それでも手料理を用意し続けたのに、いくらそれは喜んでしてこととはいえ、今回は用意できないとつげただけなのに、可哀そう、は、台詞としてあんまりだと思いますよ。 ただ、悪気はない、というのは、そのとおりだと思います。ひとというのは、もともとひととの距離感を近くもつひとだったり、情がふかかったり、そしてとくに相手への気持ちがつよいときや、相手への複雑な思いをかかえている際に、相手を必要以上に、守るべき存在のようにあつかってしまう場合があります。わたしはよくこの行動を、5歳児変換、とよびますが、、、 たとえば、いま、わたしは職場で上司と2人部屋なので、互いの考えがよくわかるのですが、台風のときや重い荷物をもって、わたしが外出するとか、すこしでも体調を悪く休んだりすると、上司は異様にわたしを心配します。また、うちの職場は取材が多いのですが、語気荒い記者が訪問する際は、上司は必ずじぶんの部屋ではなく、べつの会議室を予約します、理由がわたしが「記者の毒気にあたってはいけない」からだそうです。 たとえが長くなりましたが、御友人も、おなじように、質問主さんを守ろうとしているのでしょう。守られることに耐えらないひともいますので、無理はされる必要はないですが、そう考えるとすこし楽になりませんか。 ただ、ひとつ思うことがあるのが、うえのほうに、相手への複雑な思い、と書きましたけれども、御友人はもしかして、料理を含む家事がそれほど得意でなかったり、またなにかの点で、質問主さんにひごろから、かなわない、とお感じなのではないですか。つまりは、コンプレックスを刺激しているのだとしたら、それはもう仕方ないことですが、大事で長く続けたい御友人であれば、刺激しない方法を今後考えるほうが、結果的に互いに気持ちよく長く続けていけるかな、と思います。
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- LOTUS18
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「思っててもなかなか態度や言葉に出せないのは 不便だろうな」 という意味かなあと思いました。 お友達もdarian_may 様も せっかく縁あってお友達関係なのに 相手の表面とか言葉の上の方だけみて そのほかのニュアンスとか本心とか あまりみていないようです。 お友達は日本語の使い方が下手なんですよ。 そしてdarian_may 様は 傷つきたくない一方で 自ら進んで傷つくように アンテナが向いているのではないでしょうか。 他人は自分を傷つけるものだ という意識がないですか。 数少ない友達にもそのように思ってしまうのであれば >今は自分の性格を受け入れて、 無理をしないようにしようと 前向きに考えられるようになって来ました。 これは一時的な解決法でしかない、ということです。 苦手で避けているからいつまでも 人間関係が苦しいもの、苦手なもの というところから抜けられないのです。 お若い時に色々動いていると 人間関係が苦手、だけどその場での自分の立ち回り方 っていうのが身に付きます。 人間関係は一生続くので 自分なりの ストレスの少ない処世術を身に着けておくと 将来の自分が少し楽になります。 自己申告しないと 人見知りや人付き合い苦手ってわからないものです。 とりあえず笑顔でいよう、とだけきめて いろんな場所に出かけて行ってみてはいかがでしょうか。 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるのです。 老若男女問わず、波長の合う人と出会えば 自分を苦しめる先入観をとりはらうことができるかもしれません。 おこさんがいらっしゃるかどうかわかりませんが こどもがらみで知り合う他人は選べないので なんかもう信じられない人がいますよ(;^ω^) 私は人間関係苦手で、今も苦手に変わりはないんですが 面白がる余裕ができたおかげで超客観的に他人をみるようになり 大切な人との時間を確保するために 大切じゃない人との関係は最低限にする 効率を身に着けました(笑)
お礼
回答ありがとうございます。お返事が遅くなってしまってすみません。 〉他人は自分を傷つけるものだ という言葉にとてもハッとしました。ここ数年、そう思っていたからです。 若い頃(10代の頃)は、友達も多く行動的だったんです。 きっかけは不妊でした。なかなか子供が出来なく治療をしていた頃、「子供作った方がいいよ」「子供はいた方が楽しいよ」「なんで子供作らないの?」ってよく言われました。状況を知らない方は仕方ないにしても、状況を知っている方にも「まだ出来ないの?」「良いお母さんになれるのにね」って度々言われる事に疲れてしまって、それ以来些細な言葉にも反応するようになってしまい、人を避けるようになってしまいました。 結局子宝には恵まれず、「諦める」を受け入れたら、少し心が楽にはなったのですが、まだまだ人と関わるのが怖いって思ってるだなあって、回答者様の文章を読んで思いました。 でも避けていたらいつまでも変わらないですよね。 上手く回避する方法や聞き流す術を身につけないと、自分の身が持たないし、やっぱり楽しくないですよね。
今の「君の気持ち」を、「言葉」にしてその友人に伝える事が、実際はとても難しいように、人の気持ちが言葉となって、正確に自分に伝わる事も、同じように難しいものだ。 >「親しくない友達ならちゃんと作ってもいいけど、仲良いんだから適当でいいと思うよ。ちゃんと作るのって良くないと思う。今までずっと可哀想って思ってた」 確かに「可哀想」と言う言葉だけを切り取って考えれば、「ん?」と首をかしげたくなる気持ちも分かるが、どうせ切り取るのなら、その前の「仲良いんだから」と言う部分も、一緒に切り取って考えた方が良かったのではないか?(笑 「人の気持ちが分からない」のは、「自分の気持ちを変えようとしないから」だよ。 それは、君にも、その友人にも言える事だね。 「誤解」とか「勘違い」って、いつもそういう時に起こるものなんだよ。 きっと、その友人は、自分の目線から、ずっと君の立場や行動を考えていたのだろう。 「自分だったら、わざわざ手作りなんて大変だ。面倒だ。」 「でも、それをいつもやってるって事は、それだけ人に気を使ってるって事でしょ」 まぁ、ほぼ「思い込み」に近い考えだとは言え、仲が良いと思っていた自分にさえ、「君が気を使ってくれている」事が分かってて、あえて自分から「気を使わなくていい」とは、なかなか言えなかったんだろうね(笑 だから今回、君の方からそれを切り出してくれた事で、今まで友人が考えていた「君の苦労」が、「可哀想」と言う言葉になって表現されたのだと思う。 まぁ、逆に考えれば、今まで「気を使っていたのは友人の方だった」と言う事が言えるのかも知れないね。 「すぐ傷付く」事が分かってて、気を使わない人間はいないって思わない? それでも、ずっと一緒に付き合ってくれるって、すごい事だと思うよ。 大げさな言い方かも知れないが、その友人にして見れば、いつも必死に手作りしている君が「惣菜でいい?」って言ってくれた事が、「自分には心を許してくれた」「自分にだけは気を使わないでくれた」と言う風に感じて、嬉しかったのかも知れないね。 人は、誰かに傷付けられているようで、知らない内に他の誰かを傷付けているもんだし、自分を必死に守っているようで、知らない内に他を攻撃しているような時が多々あるんだよ。 >それにそう思っていたのなら、我が家に来たいなんて言わなきゃいいのに。とか、お昼(いつも11時くらい)に来ないで、お茶だけしにくればいのにって思ってしまいました。 ね? 「これくらい」の事で、簡単に切り捨ててしまえるのなら、その友人の方が「可哀想」だと思わない? それと、これは勝手な想像なんだけど、その友人は、君と違って、思った事は割とすぐ口にして、あまり溜めこまないタイプの人じゃない? そういう人が、人に気を使ったり、何かを溜めこんでたりする時って、けっこう誤解や勘違いされやすかったりするんだよね(笑 普段やり慣れてない事をするからかな。 自分を相手に理解してもらう事も大切だけど、自分が相手を理解する事も、人付き合いでは必要な事だよ。 最後に、自分は、自宅に遊びに来る友人に、自分の作った手料理でおもてなしをする事が好きだから、もし同じような事を言われたら、「私はこういうのが好きだから、気にするな」と相手に伝えると思うよ。 君はどうなの? もし、そうでもないのなら、友人の言った事は、それほど間違いでもないと思うけどね。 仲の良い友達なんだから、一回の事だけで完結しないで、そこからまたお互いの理解を深める繋がりが出来ればいいね。 以上、参考程度まで。
お礼
回答ありがとうございます。 今までも「毎回作らなくていよ」とか「気を使わなくていいよ」って言われてきていましたが、私は料理を作るのが好きなので「自分が好きでしているから」と言っていたんです。 料理を作ってもてなすことが逆に気を使わせていたのかなって、回答者様の文章を読んで思いました。 友人は料理があまり好きではないので、私が料理を作っていたことにとても窮屈に思っていたのかもしれません。 自分の考えを通し過ぎていたのかもと反省しました。 お互い楽しくおしゃべりができるのが一番なので、友人が楽に思えるような環境作りをしようと心がけようと思います。
darian_mayさん、はじめまして、こんにちは。 人付き合いは、難しいですよね。私も日々、様々な方と対話をして痛感いたしてます。 さて、「可哀想」と言われたことに傷ついてる御様子ですが、もう一度、darian_mayさんの本心とじっくりと対話なさってはいかがでしょうか? と、申しますのは、 >数少ない友人に言われた言葉に必要以上に反応してしまっただけかもしれません。 「可哀想」と言われたことではなく、darian_mayさん御自身が自分のことを、以前からほんのわずかでも「私って可哀想」と思っていたからこそ、「可哀想」という言葉に反応したか、はたまた他者を見るときに見下す傾向があると「可哀想」という言葉に反応します。 自分にぶれない軸を持っていたら、いかに親しい人であったとしても、「可哀想」と言われて、どこにも自分に当てはまらなかったら、相手にたいして「何故、可哀想と思うの?」としっかりと追及できるからです。 それが聞けない。 怖いのではないですか? 友達に嫌われたり、捨てられたりすることが。 だから媚びてしまう。 >何で「可哀想」って思われるのか分からないし、それにそう思っていたのなら、 >我が家に来たいなんて言わなきゃいいのに。とか、お昼(いつも11時くらい)に来ないで、お茶だけしにくればいのにって思ってしまいました。 何故、darian_mayさんのお家なのかは、薄々気づいてますよね。 darian_mayさん御自身は、嫌われたくないから、手料理を振る舞って、好きになってもらいたいのと、「ありがとう、ごちそうさま」の言葉が欲しいだけです。 お知り合いの方は、もっとシンプルですよ。経済的に安上がりだし、貴方の家の様子をくまなく見たいからです。 >「可哀想」って言ったのも、もしかしたらそこまで深い意味がないのかもしれないですが、 もっと御自身のほんとうに怖いと思っていることに目を向けたほうが、よいですよ。また、無かったことにしようと御自身の本音から逃げてませんか? >今まで友人あ私のこと、どう思っていながら友達を続けていたのかなって色々と考えてしまって、来週会うのがちょっと嫌になってしまいました。 気が乗らないならやめたらいいのに、止められない。ひとりぼっちになるのが恐いからですか?嫌われたくないからですか? 結局、貴方の心にも嘘つきですね。 >追伸ですが、私はその友人から「繊細でいつも色々と考えすぎ。なんでそんなことで傷つくの?って思うことで傷つくよね」ってよく言われています。 デリカシーがない言葉を投げてくる方に限って、こんな言葉を言いますよね。その実、そういうことをいう人のほうが、ネチネチしてたりします。 >結婚してからは私の家で会うことが多くなりました。お昼を食べながらたわいもない話をするのがお決まりな感じです。 昨日、友人から電話があって来週会うことになりました。いつも会う時はお昼を作っているのですが、来週はちょっと忙しくて「お昼作れないから、スーパーの出来合いのになってしうかも」って言ったんです。 「そんな気を使わなくていいよ。惣菜で全然いいって」 お知り合いの方は、貴女にたいして、惣菜でもよいから買っておけという指示ですかね。 何も用意もせず待ったら、お話が弾みますかね。 今こそ貴方の本心と向き合う時がきたのだと、私は思います。
お礼
回答ありがとうございます。 自分にぶれない軸を持っている人なんて少ないと思います。 自分に自信が持てなかったり、嫌われないようにしようと思うことは普通のことだと思いますし、嫌われないようにする=媚びるということでもないと思います。 >気が乗らないならやめたらいいのに、止められない。ひとりぼっちになるのが恐いからですか?嫌われたくないからですか? とのことですが、10代からの友人です。気がのらないからやめるとか、そんなドライに割り切れません。それにひとりぼっちになるのが怖いとか嫌われたくないとか、今回の件に関してはそんな気持ちはありません。 ただ、思い返せば、友人は手土産の1つも持って来てくれたことはありません。 もしかしたら手土産を持っていくことは「友人として壁がある」とか「逆に気を使わせる」と思っているのかもしれないし、違うかもしれません。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2731/12290)
ちょっとした表現力の乏しさから来た言葉の可能性もありますが、可哀相という表現は自分の状況を基準に発せられたと思います。 自分が友達と会うなら、ランチに出かける、出前を取る………。いずれにせよ、お昼に会って一緒に食事するに手料理なんて、という気持ちなんだと思います。 発言内容からその手間隙を私との時間(or自分の時間)に当てて、という感じに思いますが、あなたが感じた思いは伝えた方がいいと思いますよ。 表現力の乏しさなら、もう少し表現力をつけてもらわないとふとした発言にまた落ち込まされないとも限らないので。
お礼
回答ありがとうございます。 友人に何って言って自分の想いを伝えていいかわかりません。 もしかしたら傷つけてしまうのではと不安になってしまいます。
- sayapama
- ベストアンサー率37% (3925/10438)
友人と貴女の会話とその時の状況を考慮してみると、今回のケースでは、友人が使用した「可哀想」の言葉の意味合いには、貴女を卑下する気持ちは含まれていません。 友人が言いたかったことは 「私がお宅の家にお邪魔しているのに、わざわざ手間をかけて手作りの料理を作ってくれなくても、カップ麺や出来合いのお惣菜で良いのにな。 それでは、貴女ばかりに負担がかかっているので何だか申し訳ないな!」 との意味合いです。 これらの意味合いの気持ちを「可哀想」との言葉に込めてしまったのでしょう。 ご友人が仰る通り、少し人の言動を気にし過ぎなところがあるようですね。 その言葉一つを掘り下げて考えるのではなくて、置かれている状況や前後の会話の内容などを総合的に考えるようにしないと、いくらでもネガティブループに入ってしまいますよ。 自分自身の弱いところや悪いところなどを指摘してくれる友人は貴重ですよ。 来週合った際には、あえて全品お惣菜でそろえて、「思いきっきり手を抜いちゃった!」とニッコリとして言ってみましょう。 きっとご友人は 「いやいや、これでも十分にご馳走だよ!」 って言ってくれますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 本当に気にし過ぎな性格で、自分自身に嫌になってしまいます。 来週は惣菜や、友人に買って来てもらったりしてみようかと思います。 気持ちが楽になりました。ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 友人は姉御肌では無いような気がします。自分から進んで何かをするようなタイプでは無く、かなりの受け身タイプで妹的な性格かなと思っています。 それと料理を含む家事があまり好きなタイプでは無いと思います。特に料理が得意では無いから誰かに手料理を振る舞うのは嫌だと言っています。友人の手料理を食べたことは無く、今でも友人のお母様の手料理をいただくような感じです。 結婚するまで私はあまり家事をしていませんでした。恥ずかしいですが結婚してからちゃんとするようになったんです。もしかしたら友人は「本当は家事があまり好きでは無いのに無理してやっているんじゃないか」って勘違いしているのかもしれません。 どんなに私が「家事が好きだ」と言っても、結婚前までやっていなかったから信じることが出来ないのかもしれない。「無理している=可哀想」という連想をしているのかもしれない。 回答者様の文章を読んで、ふと思ったのですが、友人は私にコンプレックスを抱いているのかもしれません。 うまく言えないのですが、私より友人の方が秀でていること、友人より私の方が秀でていることって30年以上生きていればあると思うんです。(秀でているという文章が正しい使い方でなかったらすみません) 友人より私の方が秀でていることに「羨ましい」とか「かなわない」と言う時がたまにあるんです。 秀でている所があるのって当たり前って思っていたので、私は気にしていなかったし、友人に「羨ましい」と言われても気にしていなかったのですが、友人は「私の方が秀でいる」ことに関して本当に羨ましいとか、言い方悪いのですが妬ましいとかと思っているのかもしれないなって考えてしまいました。 特に結婚してからよく言われるようになった気がします。 もしそうだとしたら、私は友人を刺激しているのかもしれません。