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プロ野球ドラフト 豊作不作
2014年のドラフトは「不作の年」と呼ばれていますが、 本当にそうなのでしょうか? 前評判が悪くても活躍した選手はたくさんいますし、 逆に鳴り物入りで入団したのに全然活躍していない選手もいます。 つまり、今年のドラフトは前評判で「不作の年」と言われているだけで、 5年後10年後には「豊作」とまではいかないものの良かった年になるかもしれません。 そこでみなさんにお聞きしたいのは、ドラフト後から考える(上記のような意味での) ・「不作の年」 ・「豊作の年」 はそれぞれいつの年だったと思いますか?
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- MONKEYMONKEY
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68年と89年は定説です。68年は、巨人=田淵の相思相愛をクジ引き3順目を引いた阪神が破り、阪神約束の富田が玉突きで南海に。「田淵の次は星野」の約束を忘れたのか、星野が巨人に振られるなどの波乱がウンチク。 89年は本来88年の選手がオリンピックで指名凍結で2年分の選手層というのが基本。元木を裏切り巨人が大森を指名。元木はダイエーを拒否し、翌年巨人へ。が、ウンチク。です。 不作はその89年の翌年に野茂と同じ8チーム競合をした小池の年はどうでしょう?。小池が取り合いになるくらいの不作。野茂がこの年なら「12球団」指名でしょう。 68年は「指名順のクジ引き」89年は「指名後クジ引き」。それぞれの形ならではのドラマ。
- jyunkyuu
- ベストアンサー率40% (54/133)
no.1さんの指摘するとおり、豊作の年と言ったら1968年に尽きますね、何回の藤原満もお忘れなく! まあ、すごい年でしたねえ・・・・
お礼
ありがとうございます!
- masuda-show
- ベストアンサー率30% (3/10)
一野球ファンの俺が記憶している豊作の年は1968年と1989年。 1968年度 第4回プロ野球ドラフト会議は、法政大学の田淵幸一を筆頭に、田淵と共に法政三羽ガラスと呼ばれた山本浩司と富田勝、明治大学の星野仙一、近畿大学の有藤通世、のちに名球会会員となる大島康徳、山田久志、加藤秀司、福本豊、東尾修もこの年にプロ入りしている。 後の阪急ブレーブスの黄金時代の屋台骨となった山田・加藤・福本の活躍は言うまでもないでしょう。この年は、プロ野球の歴史に名前を残す名選手が数多く指名され入団を果たした事から、「空前絶後の大豊作の年」と呼ばれている。 1989年度 第25回プロ野球ドラフト会議は、言わずと知れた野茂英雄を筆頭に、佐々木主浩(大洋)、佐々岡真司(広島)、小宮山悟(ロッテ)、潮崎哲也(西武)、2位以下でも古田敦也(ヤクルト2位)、岩本勉(日本ハム2位)、石井浩郎(近鉄3位)、前田智徳(広島4位)、新庄剛志(阪神5位)など好成績を残した選手を多数輩出し、大豊作のドラフトと評価されている。 なお私は不作の年については分かりません。ご了承ください。
お礼
回答ありがとうございます!! 確かに1968年はやばいですね。。 1989年も負けじと。。。 二つとも自分の生まれる前の事なので知りませんでした。
お礼
ありがとうございます!