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1973年のドラフト
1973年のドラフトで巨人は7人の選手を指名しましたが、そのうち1,2,3,5位の選手は入団していません。V9時代で巨人が華やかな時代でありながら4人も入団を拒否しているのは気になります。それぞれの選手で拒否の理由も異なるのかもしれません。プロでやっていく自信がないなどの理由も考えられます。 ちょっと古い話ですが、理由についてご存知の方いましたらよろしくお願いします。なお、4人のうちわかる範囲でも構いません。 http://pospelove.com/h48-giants.htm
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各選手個別の事情もあったようですが、それに加えて湯口敏彦投手の件で、巨人の新人育成に関してダークなイメージが強烈な時期だったことも影響しているようです。 事件の内容については、どれが事実なのか不確定な部分も多いので、私の方からは参考URL等は提示しないことにしますm(_ _)m
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- GIZO13
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かなりマニアックな質問ですね。 巨人ファンでもあり、結構好きです、この手の質問。 かなり薄っすらした記憶ですが・・・。 1位:小林秀一(愛知学院大) もともと肩痛があり、入団拒否。その後実業団熊谷組に入社するが、公式戦での登板記録はない。 熊谷組退社後、母校の愛知学院大の教授になる。 2位:黒坂幸夫(糸魚川商工高) 当時、作新学院に江川卓(怪物)がおり、プロでやっていく自信がなし。 しかし実業団鷺宮製作所を経て、3年後にヤクルトにドラフト4位指名でで入団。 6年在籍、通算成績(一軍)0勝1敗。 3位:中村裕二(住友金属) プロの世界より、確実な社会人の道を選択。 5位:尾西和夫(新日鉄堺) 詳細不明。
お礼
ご回答ありがとうございます。過去のドラフトについて見ているうちに、天下の巨人で入団拒否があるとはあまり考えられず、しかも4人も、ということで質問させていただきました。もし、これが現代であれば、スポーツニュースやワイドショー番組等で連日大騒ぎで扱われそうな感じがします。当時は社会的に大きな話題となったのでしょうか。 でも、それぞれの選手とも、ONが中心で動いた時代に、巨人というブランドに決して惑わされることなく、自分の実力と将来をしっかり見据えた選択をされたのではないかと思いますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。湯口敏彦投手という名前は聞いたことはありますが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%8F%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 によると、本人だけでなく、川上監督や巨人のさまざまな事件、体質などが絡んでいるようです。週刊誌等で時々、川上やONを含め巨人を中心とした人脈図などを見ることがありますが、その背景を知り、少しつながってきた感じです。リアルタイムでは川上監督、長嶋現役の終盤しか知らないのですが、長嶋引退試合の最後に1塁コーチャーボックスに立つ川上監督の微笑ましい姿には、子供時代は憧れもありましたが、少々裏切られた感じがしますね。私の質問とは少しそれましたが、入団拒否には、いろいろな思惑があるようです。