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消えたいです。
最近よく消えたいと思うようになりました。 わりと誰にでもよくあることだということはわかっています。 今年で二十歳になり、友達にも恵まれており楽しく過ごしている方だと思います。 しかし、自分が嫌いで自分の行動などを思い返して自己嫌悪に陥ります。 自分を好いてくれる家族や友人はいますが、どうしてもその好意に心から喜べなかったり、自分のどこがいいんだろうと思ってその人の気持ちを否定するようなことを考えてしまいます。 自分の良いところをいってくれても、その言葉をそのまま受けとれず、「この人は自分のことをよく知らないから誤解している」と思ってしまいます。後ろめたさまで感じます。 自分が傷つくのが怖くて自分に対する必要以上の好意や誉め言葉を否定してしまうのだと思います。一種の自己防衛です。自分を嫌いと否定しておきながら、結局は完全には嫌ってないのだと思います。 他人なら悪く思わないことでも、自分のこととなるとどうしても自分のことに対して否定的になってしまうのです。 このことをカウンセリングで話したところ「あなたは自分に対して少し厳しすぎる」と言われましたが、別にシビアだとは思っていません。 カウンセリングを受けている癖に他人の意見を 聞き入れようとしてないなんて救いようがないのは自覚しているつもりなのですが、どうしても自分にとって良いように解釈できる言葉を受け入れられないのです。とても視野の狭い人間だと思います。 自分が死ぬと残された家族や友人を悲しませたり迷惑をかけるので自殺しないようにしようとは思っていますが、存在をなかったことにしたいという気持ちが強くなりました。 ここ数年は無意識に「死にたい」「消えたい」「(私なんか)死ねばいいのに」というような独り言が口をついて出てしまうようになりました。他人といるときに思わず口走って変な人だとかメンヘラだとか思われるのではないかとヒヤヒヤします。(今のところは家にいるときだけなので聞かれる心配はほとんどありませんが) 物理的に不可能なのはわかっていますが、自分の中で突然込み上げてくる虚無感や罪悪感が辛いです。 でもこういうのって甘えなんですよね。 無駄につらつら書いてすみません。 皆さんはこんな人どのように思われますか? 今回こそはどのようなご意見も受け止めるつもりで質問しました。 よろしくお願いします。
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- line59sn
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※読み返したらかなり自分語り入ってました。 適当に読み飛ばしてください。 それとかなりの駄文・長文です。注意してください。 あまりに私とそっくりなので、 思わず質問したかなと思ってしまいました。 「この人は自分のことをよく知らないから誤解している」 とか思うところが特に。 かくいう私もそれを経験しました。 しました、というのは今は考えが軟化したためです。 私も自分に自信が持てず、"自分という存在を無かったことにしたい"と 考えておりました。 ただまぁ、現実世界じゃそんなことは無理なんですけどね。 それがこじれてか分かりませんが、自殺しかけてやめました。 死ぬことに対して恐怖は感じていませんでしたが、 苦しいこと、痛いことは我慢できませんでした。 その結果、親に相談せざるを得なくなり、 しばらくの間、病院に入院していました。 私は真面目な性格ゆえ、 「自分に対してシビア」というところは受け入れられました。 ですが、それと、自分を認めることはまた別です。 真面目な性格ゆえに、他の性格を許せないのです。 そのわだかまりは退院して定期的に通院する今でも、 消えることはありません。 私も、甘えだと、こんな考えに至ってしまうのは、 自分がどうしようもなく人に甘えているからだと、 そう思っていました。 でも、そうじゃない気がするんです。 いや、それだけじゃない、というべきか。 もちろん、人に甘えてしまっている部分もあるのだと思います。 けれど、それ以上に、私は自分を信用できず、また、 人のことも信用できていないのだと、そう思いました。 自分が自分を自分として認められていないから。 だから今私はこうして足踏みを続けているのだと思います。 欠点も性格も、みんな含めて自分であると、 分かっていても、それらとうまく付き合うことができない。 自己分析はもう嫌というほどしました。 今も2週に一度の診察のために、自己分析は欠かせません。 心療内科の先生には、 「考え方が凝り固まっているので、 色々なことに対する考え方を一新してはいかがでしょう」 と言われました。 ご存知かと思いますが、こういう場において専門家の方は、 強要するということはしません。提案するだけ、です。 たぶん、人の意見を受け入れがたい節がある、と 思われたのではないか、と思います。 事実、私は人に相談するということを自発的にした試しがありません。 つまり、自分を客観的に見たことはなく、 友人や家族が自分をどのように思っているかを知りませんし、 同様に弱音を吐いた覚えも、本音を伝えた覚えもありません。 そんなだから「この人は自分のことをよく知らないから誤解している」、 と、考えざるをえないのでしょうね。 もしかしたら、自分を信じるより先に、 人を信じて一度全部ぶちまけた方がいいのかもしれません。 親しい人でなくとも、カウンセラーのような第3者にでも。 それで、自分のよいところを挙げてもらうんです。 そこから、また議論すればいい。 私は自分のこういうところを欠点だと思うのですが、 あなたはこれについてどう思いますか?とか、 いや、あなたの言う私の長所を私は欠点だと考えているのですが、 それについてどう思いますか?とか。 きっと他の人と意見をすり合わせることで、 別の何かが見えてくるんじゃないでしょうか? 自分ひとりじゃ至らなかった考えに たどり着くことができるんじゃないでしょうか? 無理に考えを受け入れる必要は無いと思います。 違うと思うということはすなわち、自分が望む答えではないのですから。 たぶん、尋ね方、自分についての伝え方がちょっと違ったのだと思います。 カウンセリングは一度の話し合いで完結することはありません。 少しずつ、相手と意見のすりあわせをしていくことで、その真価を発揮するのですから。 やっぱり、こういう問題の根底には"考え方"が鎮座しているのだと思います。 それを丸ごと取り替えるんじゃなく、 削っては埋めて、切り取っては取り替えて、を 少しずつ繰り返していくことが今の私たちに必要なことなのではないかな、と思います。 追記 一度、心療内科へかかってみるのもよいかと思います。 先生から聞くところによると、最近ではそういったうつが原因で かかる患者さんも多いようですから、大丈夫です。 精神の病も早期発見のほうが早く直ります。 私のように自殺未遂をする前に、専門家にかかれれば、と思います。 また、蛇足かもしれませんが、 無料のカウンセラはアマチュアの方がしていることがほとんどですので、 思うような回答がもらえない場合は専門の機関にてかかるのがよいかと思います。
- pyonpyon_
- ベストアンサー率50% (1/2)
人から愛される価値がないのだと思い込んでおられるように感じます。 ご自分のどんな所が嫌いなのでしょう? そしてどうしてそう思われるようになったのか? その原因はあなた自身にないことかもしれないです。 ご両親が厳しく育てられた場合、そのようにご自分に対して厳しい評価になることがあるようです。 学生時代、テストで良い点数をとっても褒められないとか。ちょっとした事でよく叱られた、とか。 そういう事が積み重なっていくと自分に対してなかなか良い評価を与えなくなるそうです。 あくまでこれは一例なので質問者様にとって違っていたらすみません。 ただもし当てはまるのであれば、小さな事を成す度にご自分を褒めてあげる、という事をすると良いそうですよ。 人が落としたものを拾ってあげた、 お友達の悩みを聞いてあげた、 お家の家事を手伝った など、どんな小さなことでもいいので自分のした事を褒めてあげる感じです。 そうしている内に心が解放されていき自分の中での自分の評価が上がっていくそうです。 質問者様の心がキラキラ輝いて楽しい毎日を送れるようになることを心より願っています。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
いずれ誰でも消えていきまます。急ぐことはありません。
- Inunekopanda
- ベストアンサー率63% (7/11)
こんばんは。色々としっかりお考えで、どうすべきか、は答えを持っていると思いますので、どのように感じるか、だけ回答します。 単純にもったいないなと感じました。色々と良く言って貰えるのは、少しでもあなたにその要素があるからです。私だったら厚かましいくらいお世辞を額面通り受け取りますが…逆に褒めているのに勘繰られるとやりにくいなと思います。 色々考えたけど、シンプルな回答にしておきます。
お礼
率直なご意見ありがとうございます。 参考にさせていただきます。
補足
回答ありがとうございます。 自分のことは全てが嫌いといいますか、好きなところが思い当たらないという感じです。 失敗したこともたくさんありますし、自分のコンプレックスを馬鹿にされたこともあります。それで余計に嫌になったのだと思います。 最近では自分の言動の全てを後悔するようになりました。 親に厳しく育てられたことはないと思います。 怒られることはたくさんありますが、あまりこの事とは関係のないことだと思います。 何かできたら褒めてくれましたし、自分を否定されたことはありません。自分はとても愛されていると思います。 何か親切をしたときは自分のことを少し褒めたりもするのですが、それはその時だけで普段は暗いことばかり考えてしまいます。 今のところこうなったのはコンプレックスとそれによる自信のなさだと思います。。 自分は汚く醜い、自分には心から愛する資格も愛される資格もない、という考えが深く根付いているようです。