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相撲:昔の前相撲で勝てずに廃業してた割合は?

今は前相撲で1番でも相撲をとれば全敗だろうが、翌場所はほぼ100%序の口に出世できますけど 昔(1970年ごろまで?戦前の話?)は前相撲で2連勝を4回しないと出世できなくて 後の横綱でも、1年以上(年2場所だけど)も前相撲をしていた力士もいたとか 出世できず番付にも載らずに廃業した力士もいたそうですけど 入門した力士はどれくらいの割合で序の口に出世できたのでしょう? 2連勝4回ってかなり狭き門の感じがするのですが

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  • uniquepro
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回答No.2

入門して前相撲しか取れずに力士を辞めた場合(ここがミソ)、はたして日本相撲協会が記録として残しているかどうか、疑問です。 上記のミソとは、あくまでも廃業は「日本相撲協会に所属した力士」を辞めた場合です。所属とは何かと言われれば、前相撲を経て番付表に名前が載る、つまり序の口として格を得てから初めて協会員・力士として認められます。序の口から前相撲に落ちた力士なら記録は残るでしょうが、前相撲のみ(いわば練習生)を勝敗記録などを残すかどうか。特に昔は今と違って記録として残すコストもバカに出来ないわけで。そもそもが風潮として前相撲の段階で力士などとは認められていませんでしたから。それを逐一記録しているかどうかは分かりません。 日本相撲協会のDBにも、残る限り昔から各力士の記録は残っていますし閲覧も可能ですが、前相撲のみの(力士?)の記録は検索出来ません。 現在も別に前相撲さえこなせば序の口に、が100%というわけではなく、毎場所必ず離脱者は出ます。昔と違って自己理由、というやつですが。ほとんどは体格の不利を悟って自ら去るケースです。これは体格で劣る希望者にも門戸を開く第二次審査の弊害でしょうが。やはり小柄な新弟子が前相撲段階で体格豊かな同じ新弟子にぶっ飛ばされれば、やる気もなくすというものです。それでも1回だけでも名前をと序の口に上がり、翌場所大負け扱いて前相撲落ち→廃業、という力士も多い。むしろこういう理由で新序出世を果たす力士は不純そのものだと思いますが。 そういうことですので、前相撲のみで角界を去る割合というのは、正確な数字は出ないのでは?と思います。 (この辺りは競技は違いますがアメリカMLBなどは、コミッションであるMLBより個人愛好家の方がはるかに正確で長期のデータを残しています(イチローの数々の記録もほとんどが個人愛好家の記録から発掘されたもの)。日本の好角家にもそういうデータベースを作ってるような筋金入りがいればいいのですが、性格上無理でしょうか。ただ不思議と「歴史的資料」として江戸相撲・上方相撲の記録を残している歴史研究家はいます。将来現在の大相撲がそういう資料になるくらい発展すればいいのですが)

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質問者

お礼

>入門して前相撲しか取れずに力士を辞めた場合(ここがミソ)、はたして日本相撲協会が記録として残しているかどうか まさしくそこが知りたいんですよねぇ~ 私も過去の相撲の記録などを少し調べて、前相撲だけで廃業(この場合は廃業とは言わなそうですね)した力士の記録は残って無いんだろうなぁ~と思って、質問させてもらったわけです

その他の回答 (1)

回答No.1

ご質問の直接の回答にはなりませんが、参考情報ということでお許し下さい。 私は1977年6月発行の、ベースボールマガジン社『別冊 相撲 夏季号』を持っています。 輪島と北の湖が横綱だった時代です。 この雑誌の「相撲部屋講話」の一つとして「番付」についての解説が載っています。 その中に、番付外の説明の部分もありますので、引用してみます。 『番付の左下隅、年寄の名がある左端に〝此外中前相撲東西ニ御座候〟と書かれているが、 これは、「このほか(番付外)に、本中と前相撲があります」という意味である。 本中、前相撲は番付に載らない新弟子の取組の事で、以前「飛びつき」と言った。 土俵下に並んだ新弟子が、呼び出しの声に土俵へ上り、 手をポンポンと二回叩いて飛びついて行くので、この名称があった。 飛びつきで二番勝つと、はじめて白星が一つになり、この星二つで本中に進むのである。 本中は、仕切り直し一回で取り組み、これも二番連続して勝つと白星一つになり、 二つの星で、一番出世として披露されるのだ。』 もう一つ、TBSブリタニカ『昭和の大相撲』(1989年11月発行)の資料篇の中に、 相撲用語・隠語事典の項目がありますが、    そこでの前相撲の説明では、 『序ノ口、または本中の下の地位。成績がよければすぐに新序となり、 出世披露をうけて翌場所の番付に載る』 との記載になっていました。 これらの資料から推定できるのは、1970年代までは、 前相撲・本中で計2連勝4回しないと序ノ口の番付には載らなかったものと思います。 しかし昭和が終焉を迎えた前後あたりには、現在と変わらない状況に変化していたのでしょう。 以前の出世割合のデータまでは分かりませんが、 日本相撲協会に問い合わせれば、あるいは記録が残っているのかも知れません。 公益法人になったようですから。

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