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回転運動の謎 基準はどこに? 相対性はどうなる?
運動しているかしていないかは、どこを基準に取るかで変わります。 視点がどこにあるかで変わります。 それゆえに、運動は相対的なものであると考えられているようです。 並進運動の場合、静止している物体Aから見て速度vで運動している物体をBとすると、 物体Bから見れば、自分は静止していて、物体AがAから見えるBの運動方向とは逆方向に速度vで運動しているように観測されます。 これは、基準点をどこに取るかで、運動速度が反対向きに見えたり、止まっているか動いているかの立場が変わってしまうことからですね。 しかし、どちらの視点を採用するにしても、相手が等速直線運動をしていることには変わりません。 ところが、回転運動のような加速度を伴った運動の場合はどうなのでしょう? 回転する円盤Cと同じ回転軸上で、同一平面上に、もう一つの円盤Dがあるとします。 両者の間には摩擦力や風圧などは一切作用しないものとします。 今、円盤Dは静止していて、円盤Cが角速度ωで回転している場合を考えます。 それぞれの円盤に人が乗っている(互いにぶつかったり、他の円盤の影響を受けないとして)場合、円盤Cに乗っている人は、遠心力を感じ、円盤の外側へ向けて弾き飛ばされるような力を受けます。 しかし、円盤Dに乗っている人は、何の力も感じません。 ここでとても不思議に思うのですが、回転している円盤C上の人から見れば、円盤Dが角速度ωで回転しているように見えるはずです。 ならば、円盤Dに乗っている人が遠心力で弾き飛ばされそうになっているのを観測できそうに思うのですが、実際にはそうはなりません。 これはなぜなのでしょう? 今まで、他の質問サイトなどでも質問したのですが、遠心力は本当の力ではなく、慣性力だから問題ないなどといった回答しか得られず、全く納得できませんでした。 そもそも、回転運動の基準とは、どこにあるのでしょう? 本当に円盤Dが静止してい基準になるのでしょうか? 静止しているように見えて、実は宇宙のどこかの星の周りを回っている中で、たまたまある星と回転軸を同じくして回っている可能性だってあるでしょう。 宇宙にはこれだけたくさんの星があるのだから、そのうちのたったひとつと一緒に回っていても不思議はありません。 並進運動の場合は、単純に立場が変われば、お互い反対方向に動いているように見えるだけで、その他は何も変わりませんでした。 しかし、回転運動の場合は、一方だけが遠心力を感じ、他方は感じなかったりします。 回転運動も、相対的なものではないのでしょうか? 円盤Cと円盤Dの関係は、相対的な物ではないのでしょうか? 更に要約すると、何を以って、回転しているか回転していないかを判断すればよいのでしょう? 宇宙のどこかに絶対的な基準点が存在するのでしょうか? それゆえに、自分が回って、自分以外の宇宙全体は静止している場合と、自分だけが静止していて、自分以外の宇宙だけが自分を中心に回転している場合は、何が違うのだろうかといつも悩むのです? 実際に自分が回転すれば自分だけが遠心力を感じ、自分以外の宇宙が自分を中心に中心から遠ざかる方向に飛ばされていくようなことにはなっていませんが、これはなぜなんでしょう? それとも、回転運動を相対的なものだと考えること自体が間違っているのでしょうか? ならば、どこが間違っているのでしょう?
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- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
>しているように見えるはずです しているように見える=実はしていない、が事実、「している」が事実なら、「ように見える」は不要。 等速で併進の時も同じでしょう。、こちらが速度変化した時、相手が速度変化したようにも感じます、でも相手はそれによる加速度で安定を失う様子は見られません。 そうです、相手は加速度を受けていません、「ように見える」だけです。
- 中村 拓男(@tknakamuri)
- ベストアンサー率35% (674/1896)
〉私が自分を中心に回転する場合と、 〉静止している私以外の全宇宙が 〉私を中心に回転する場合は、 〉明らかに違うようだということは、 〉私たちは経験的には知っています。 余談ですが、知ってないと思いますよ。 実験なんてできないし・・・ 全宇宙を基準にすれば回転だって相対的では? という説を唱えた エルンスト マッハ という科学者がいます。傾聴に値する 考え方だと思います。
お礼
ありがとうございました。
補足
そうですね。 厳密には知っていませんね。 ただ、何となくそうなんだろうということはわかっているのではないでしょうか? でも、ではなぜそうなのか? ということについては、うまく説明できません。 同じ回転中心をもつ2つの回転体の間には、当然相対的な回転速度が観測されますが、それは何を意味するのでしょう? 一方が角速度ωでもう一方が-ωだと、互いに相手が角速度2ωで回っている(見る側によって向きは逆になります)ですが、一方が2ωで、他方が0の場合でも、互いに相手が角速度2ωで回っているように見えますね。 しかし、これら2つのケースは全く別物なんですよね? 何か不思議だと思いませんか? 結局、どこを基準に取っているかということと関係してきませんか?
- hitokotonusi
- ベストアンサー率52% (571/1086)
>円盤Cに乗っている人は、遠心力を感じ、円盤の外側へ向けて弾き飛ばされるような力を受けます。 これはですね、働いてるのが遠心力だけではなくコリオリの力も働いているからです。 円板Cから見ると遠心力は確かに働いているように見えて円板の外側に飛んでいくはずですが、 同時にコリオリの力も働いていてこれが内向きでちょうど遠心力の2倍。 結果、遠心力とコリオリの力の差し引きで円運動をするのに必要な向心力になります。 同じことなので二枚の円板ではなく回転する円板Cの外側の地面に人を立たせます。 地面から見るとこの人は止まっていますが、円板から見ると円板と逆方向に円運動します。 円板は角速度ωで左回り、人は回転中心からrの距離にいるとすると、 遠心力 mrω^2 外向き 円板から見てこの人は右回りに角速度ωで回転して見え、 コリオリの力は回転軸周りで速度に垂直右向きに働くので方向は内向き。 大きさは2mωvで円運動ならv=rωだから コリオリの力 2mω(rω)=2mrω^2 内向き したがって合力は内向きを正として 合力 -mrω^2 + 2mrω^2 = mrω^2 (向心力) で、ちょうど半径r、角速度ωの円運動をするのに必要な見かけの力になります。 ということで、円板の外で止まっている人が円板から見て遠心力で外に飛んでいくことはないわけです。
お礼
ありがとうございました。
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コリオリの力は、その物体が回転運動しているという前提で初めて現れる力ですね。 それでは、自分だけが回転しているのであって、宇宙全体が自分を中心に回転し、自分は回転していない場合とのそもそもの違いは何なのでしょうか? この違いこそが、コリオリの力を生み出すかそうでないかの境目になると思うのですが、その正体は何でしょう?
- teppou
- ベストアンサー率46% (356/766)
すべての運動が「相対的」ではなく、等速直線運動が「相対的」なのです。 これは自分の系が、「停止」しているのか「等速直線運動」をしているのかを実験・観測により判断する方法がないということです。「停止」と「等速直線運動」の間には違いがないということです。 しかし、回転運動はそうではありません。自分の系が回転していることを、系内の実験・観測により、知ることができます。 「フーコーの振り子」をご存じだと思いますが、これは地球が自転していることを、一般の人にも納得してもらう意図で行われているデモンストレーションです。 その後同様の目的で「ジャイロスコープ」が作られました。「ジャイロスコープ」を使うと地軸の方向を知ることもできます。 二つの円盤上の人の運動が「相対的」に観測されないことを不思議と思うのが変です。 >自分が回って、自分以外の宇宙全体は静止している場合と、自分だけが静止していて、自分以外の宇宙だけが自分を中心に回転している場合は、何が違うのだろうかといつも悩むのです? 悩む必要はありません。どちらが回転しているのかを知る方法はあります。 むろん、非常にゆっくりした回転を観測するのは容易ではありません。しかし、重要なのは理論的に可能だということです。 「停止」と「等速直線運動」は理論的に判別する方法がないということです。
お礼
ありがとうございました。
補足
向心力(遠心力)、フーコーの振り子、コリオリの力 そんなものが観測されたら、単純に自分が回転していると考えればいいのでしょうか? 何か腑に落ちない気もするのですが。
- rabbit_cat
- ベストアンサー率40% (829/2062)
ニュートン力学の世界で考えるなら、♯5さんの言われるとおり、「その座標系で止まっている粒子には一切の外力が働かない」という条件を満たす特別な座標系(慣性系)が「基準」です。 どのような座標系がそのような条件を満たすのか?、あるいは、あなたが今いる座標系は条件を満たすのか?、もっと言えば、そのような条件を満たす座標系がこの世界にただ一つでも存在するのか? といった疑問には、ニュートン物理学は全く答えてくれません。 「とにかく、もし、そういう座標系が存在したと『仮定』すれば、その座標系を基準として観測するとニュートンの運動方程式が成り立つ」というだけです。 ※実は、有名なアインシュタインの一般相対性理論では、もう少し宇宙の理解が進んで、「慣性系」とかいう特別な(ある意味、恣意的な)座標系の存在を仮定する必要がなくなります。 興味があれば勉強されたらどうでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
補足
>「その座標系で止まっている粒子には一切の外力が働かない」という条件を満たす特別な座標系 そうですね。 そんな座標系が適用できるのは、等速直線運動の場合だけですね。 回転運動では、常に向心力が働いているので、相対的な運動とは言えないということなのでしょうか?
#3です。 >・・・では、この両者を数学的に表現した時、その違いはどのように表現されるのでしょうか? 同じ表現になる筈がないと私は思っていますが、いかがですか? 位置,速度,加速度いずれに対しても、それらだけなら数学的表現は全く同じです。回転中心をずらすだけなので。あなたも既にやっています。 >今、円盤Dは静止していて、円盤Cが角速度ωで回転している場合を考えます。 それぞれの円盤に人が乗っている(互いにぶつかったり、他の円盤の影響を受けないとして)場合、円盤Cに乗っている人は、遠心力を感じ、円盤の外側へ向けて弾き飛ばされるような力を受けます。 しかし、円盤Dに乗っている人は、何の力も感じません。 >ここでとても不思議に思うのですが、回転している円盤C上の人から見れば、円盤Dが角速度ωで回転しているように見えるはずです。 なので問題は、上記のようにして得られた加速度を運動方程式に結び付け、F=maという力が存在するとするかどうかの「判断」にあります。観測された加速度を、「真の加速度とみなすかどうか」、「運動方程式に結び付けるかどうか」の判断です。それは論理と数学によっては行えません。行えないからこそ、そこに物理があります。 けっきょく運動方程式が、そのままの形で成り立つ「基準系」が必要になります。それが「慣性系」です。慣性系とは、力がいっさい働いていない系(観測者)の事です。そういう訳で、 >私たちは、いったい何に対して回転した時に遠心力を感じるのでしょう? と問われれば、自分の応えは「慣性系に対して回転した時」になりますが、「慣性系」って何なんでしょうねぇ~(^^;)。 現代物理における「慣性系」の正式な定義は、次のようになります。 (1)粒子(質点)が自由である(質点に力が働かない)とは、それが慣性系において等速直線運動する事である。 (2)慣性系とは、自由粒子が等速直線運動する系(系とは観測者のいる地点)の事である。 論理的に考えると(1)と(2)は、論理が循環してますから、具体的には何物をも指定していません。現実との接点がありません。なので実は、この論理風情を気取った面の裏側には、論理的には外付けで追加された暗黙の前提、それも泥臭い前提があるんですよ。 ・(1)と(2)を満たす、地球という近似的な慣性系がある!。文句あっかぁ~っ!。 って訳です(^^;)。そして慣性系が近似的に一個でも見つかれば、それに対して等速直線運動している全ての地点は論理的に、全て慣性系です。ニュートン力学を信じる限り、慣性系基準系はそこら中にある訳です。だから宇宙のどこにいようと、自分が回転してるのか、宇宙全部が回転してるのかは、遠心力の有る無しによって判断できると「信じます」。 この論理的な精密さと、素朴な泥臭さ(経験科学)というところが、本当は物理の本質なんだと思います。
お礼
ありがとうございました。
補足
向心力(遠心力)を生じるかどうかでしか、自分が回転しているかいないかを判断する術はないということでしょうか?
- ORUKA1951
- ベストアンサー率45% (5062/11036)
単純に・・ 並列運動の相対性は、見逃されているようですが等速直線運動ですね。 もし一方が加速度運動のときは、そのままでは成り立ちません。 走っている列車ですれ違いながら、それぞれに乗っている人がボールを離すと、 A列車--(ジャズの名曲ではない)とB列車が共に等速直線運動しているときは Aは自身のボールは足元に垂直に、Bのボールは放物線を描いている用に見える。 Bは自身のボールは足元に垂直に、Aのボールは放物線を描いている用に見える。 A列車は等速直線運動だけど、B列車は等加速度運動しているときは Aは自身のボールは足元に垂直に、Bのボールは放物線を描いている用に見える。 Bは自身のボールは足元に(ただし床は傾いている)、Aのボールは直線的に後に >並進運動の場合は、単純に立場が変われば、お互い反対方向に動いているように見えるだけで、その他は何も変わりませんでした。 それは等加速度運動のときだけで、何れかが加速度運動しているときはそうはなりません。 円運動も一種の等加速度運動でしたね。加速方向が運動方向に対して直角 また、遠心力も加速度で感じる力も、物理的にはまったく同質のものです。 >更に要約すると、何を以って、回転しているか回転していないかを判断すればよいのでしょう? >回転運動を相対的なものだと考えること自体が間違っているのでしょうか? 相対的ではなくなるのです。その証拠に円運動をしている座標系では、コリオリの力が観察されるはずです。
お礼
ありがとうございました。 回転運動の場合は、相対的ではないという結論になりますかね。
補足
コリオリの力が生ずるのも、向心力が働いているからということですかね。
回転運動は自然に加速度運動になりますが、直線運動の方にも例えば等加速度直線運動がありますので、並進運動で等加速度直線運動などを取り上げないと、不公平(?)な気がします(^^;)。 慣性系に対して等加速度直線運動する系には、慣性力が働き、これは遠心力と本質的に同じものです。なので慣性系においても等加速度直線運動系においても、相対速度は同じ(向きは逆)ですが、等加速度直線運動系から見た慣性系の人には、慣性力が働かないので、黙って立ってられます。 いずれにしろニュートンの運動方程式は、加速度系において不変ではありません。位置や速度は相対的だが、「慣性力を見る事によって力のある無しは経験的に判定できるから、加速度は絶対的だ」、がニュートン力学の大前提でしょう。 上記の例外は重力作用ですが、それは「重力質量と慣性質量がたまたま同じだった」という「偶然」によるものだという解釈が、まぁ~普通の落ちだと思います。 >実際には不可能なことですが、まっすぐ立った状態の私の体に糸でビー玉をぶら下げてぶらぶらさせた状態で、私を除く全宇宙を私を中心に回転させたらどうなるでしょう? 果たして、ビー玉は私の体から遠ざかる方向に引っ張られ、回転速度が上がるにつれて、糸と私の体のなす角度が徐々に90°に近付いていくのでしょうか? マッハは実際そう言って、当時のニュートン力学信望者達を批判した訳です。現状では、マッハの視点は非常に優れたものであり論理的には論破できないものと認められていますが、物理的現実を見る限り、「やり過ぎだったのでは?」という意見が主流だと思います。
お礼
ありがとうございました。 今後も、よろしくお願いいたします。
補足
私が自分を中心に回転する場合と、静止している私以外の全宇宙が私を中心に回転する場合は、明らかに違うようだということは、私たちは経験的には知っています。 では、この両者を数学的に表現した時、その違いはどのように表現されるのでしょうか? 同じ表現になる筈がないと私は思っていますが、いかがですか? 全宇宙を回転させることは、数学的にはどのように表現できるのでしょう? 私たちは、いったい何に対して回転した時に遠心力を感じるのでしょう? その何、つまり大宇宙の基準になるものを知りたいです。
- kattun175
- ベストアンサー率56% (39/69)
いやあ、同じような疑問を持つ人がいるなあと思ってうれしくなりました。 高校のころ、静止衛星がなぜ落ちてこないかについて、同級生や物理の先生などに質問しまくっても、回転運動の非相対性について、納得のいく説明は得られなくてずいぶん憤慨したものです。 他にも、こまはなぜ倒れないかとか、回転している女の子のスカートがなぜ広がるかについても、回転運動の非相対性を前提にしないと説明はできません。 回転運動は、方向の変わる運動なわけです。ある瞬間にはAの方向を向いていますが、次の瞬間には別の方向を向いています。ニュートン力学の範囲でも、等速直線運動の相対性(運動物体と静止物体をで座標系を入れ替えても、力学法則は成立)は成立しますが、方向には相対性が成立しません。方向の固定と、方向の変化は区別があるのです。位置の特定はできませんが、方向の特定はできるといってもいいかもしれません。 なぜそうなのかについては、No1さんが書かれている通り、質量と重量が常に比例しているとかと一緒で「なんど実験してもそうなってる」としか言いようがないでしょうね。
お礼
ありがとうございました。
補足
宇宙における回転の基準は、どこにあるんでしょうね。 本当に、そこだけなんですけどね。 しかし、その基準点をどこに取るかでこんなに変わってしまうんですね。 回転しているかどうかは、向心力を受けているか受けていないかですか?
- rabbit_cat
- ベストアンサー率40% (829/2062)
とりあえず、一般相対性理論(慣性力と重力の等価性)に立ち入らないで、ニュートン力学の範囲は話します。 なぜ、並進運動では相対的な見方ができるのに、回転運動では相対的な見方ができないか。 結論から言えば、理由は単純で、すべての運動の基本であるニュートンの運動方程式の式の形が、たまたま、並進運動(ガリレオ変換)に対しては不変な一方で、回転運動(極座標変換)に対しては不変ではない、からです。 つまり、 なぜ回転運動に対して相対的な見方ができないのか? という疑問は、 なぜこの世界はニュートンの運動方程式が成り立つんだろう? という疑問と全く同じです。 そして、物理学は「なぜニュートンの運動方程式が成り立つのか」という疑問については全く答えてくれません。「なんど実験しても、そうなってる」というだけです。
お礼
ありがとうございます。
補足
実際には不可能なことですが、まっすぐ立った状態の私の体に糸でビー玉をぶら下げてぶらぶらさせた状態で、私を除く全宇宙を私を中心に回転させたらどうなるでしょう? 果たして、ビー玉は私の体から遠ざかる方向に引っ張られ、回転速度が上がるにつれて、糸と私の体のなす角度が徐々に90°に近付いていくのでしょうか? もちろん、私が回転すればそうなるのは、当たり前のことですよね。 ニュートンの運動方程式が、回転運動の場合は不変ではないとは、どういうことなのでしょう?
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お礼
ありがとうございました。
補足
同じ回転中心をもつ2つの回転体の間には、当然相対的な回転速度が観測されますが、それは何を意味するのでしょう? 一方が角速度ωでもう一方が-ωだと、互いに相手が角速度2ωで回っている(見る側によって向きは逆になります)ですが、一方が2ωで、他方が0の場合でも、互いに相手が角速度2ωで回っているように見えますね。 しかし、これら2つのケースは全く別物なんですよね? 何か不思議だと思いませんか? 結局、どこを基準に取っているかということと関係してきませんか?