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原子量に単位を付けない理由とは?
- 原子量では相対質量という考え方を採っており、単位は不要とされています。
- ただし、他の物理量では単位が付けられていることが多いため疑問が生じます。
- 原子量には以前には単位が付けられていた時期もありましたが、現在は付けられていません。
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■おわびと訂正 #13の回答文中に間違いがありましたので訂正します。ごめんなさい。 誤 (モル質量)=(質量)×(物質量) 正 (モル質量)=(質量)/(物質量) 誤 (分子量)=(グラム数)×(モル数) 正 (分子量)=(グラム数)/(モル数) 誤 フッ素には安定核種がひとつしかない。フッ素には安定同位体がない。 正 フッ素には安定核種がひとつしかない。フッ素19には安定同位体がない。 ■マクロな量とミクロな量 「アセトン0.50molの質量を求めよ」という問題を解くとします。この問題が解ける人は、自覚があるかどうかは別として、次のような手順で解きます。 (1) マクロ→ミクロの変換 (2) ミクロな量の計算 (3) ミクロ→マクロの変換 (4) マクロな量の計算 頭の中で行われていることは大差なく、答えも当然同じになるのですけど、この手順を具体的に表現するとき、以下の三つの表現が考えられます。 [A] 単位に気を遣った表現 (1) アセトンの構造式 O=C(CH3)2 を思い出す。 (2) 構造式と原子の平均質量から、分子の平均質量 28u+15u*2=58u を求める。 (3) 分子の平均質量から、モル質量 58g/mol を求める。 (4) 物質量とモル質量から、質量 0.50mol×58g/mol=29gを得る。 [B] 教科書的な表現 (1) [A]と同じ。 (2) 構造式と原子量から、分子量 28+15*2=58 を求める。 (3) 分子量から、モル質量 58g/mol を求める。 (4) [A]と同じ。 [C] 昔風の表現 (1) [B]と同じ。 (2) [B]と同じ。 (3) 分子量はミクロな量であり、同時にマクロな量でもある。 (4) モル数と分子量から、グラム数 0.50×58=29を得る。 「uを付けない値である原子量はやめにして、uを付けた値の原子量を使う」というのは[A]と[B]を折衷した表現になると思います。つまり、 “教科書的表現[B]では、原子量も分子量もミクロな量だが、初学者にはこれらがミクロな量であることが分かりにくい。単位を明示することで これらがミクロな量であることを強調するなら、現状では[A]のような表現になってしまう。しかし、「原子の平均質量」や「分子の平均質量」という用語は、日常的に使うには長すぎて不便である。だから[A]と[B]の折衷案として、「原子の平均質量」を原子量と呼び、「分子の平均質量」を分子量と呼ぶことにしよう。” という方針ですよね。だとしたら、それでいいんじゃないかなと私は思います。そうじゃないんだけどな、ということでしたらコメントを下さい。 ただ、くどいようですが、原子量や分子量をマクロな量とみなしている人々が少なくないことは、知っておいてください。 #3「wikiでは、原子量に単位をつけていますね」 #6「原子量には『モル質量を g/mol で割ったもの』という隠れた意味がある」 #11「『原子量は原子1molの質量である』で事足りると思っています」 #15「モル質量と原子量、または分子量という明らかに単位の異なるものを同一視しているという例がいまだに見られる」 モル質量という用語が広まりつつあるとはいっても、昔風の「分子量はミクロな量であり、同時にマクロな量でもある」という考え方は根強く残っています。マクロな量としての分子量は、モル質量に置き換えられて単位付きの量になりましたけど、ミクロな量としての分子量は、現状では単位なしのままです。昔風の表現[C]では、物理量が全て相対量として表されている{注1}ので、逆にすっきりしていて分かり易いと思うのですけど、現状の[B]は、単位ありの量と単位なしの量が混在しているので、どうも中途半端だよなあと思ってしまいます。#13に書いた、昔のお仲間云々は、グラム数もモル数も相対量から単位付きの量になったのに、原子量が単位付きの量にならずに相対量のままなのはなぜなんだろう、という意味でした。分かりにくくてごめんなさい。 {注1}原子量を、炭素12の質量を12とする相対質量、と定義するのと同じように グラム数は、国際キログラム原器の質量を1000とする相対質量、 モル数は、12gの炭素12の粒子数を1とする相対粒子数、とそれぞれ定義できます。
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- 101325
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#24を読み返すと、ちょっと悲観的な書き方になっていますね。すみません。 まずは、u を使った授業を実践してみて、同僚の化学の先生を巻き込んで、さらに「化学と教育」誌などで世に問うて、と段階を踏んでいけば、高校化学の教科書に u が載るくらいのところまではいけるような気もします。 がんばって下さい。
お礼
これまで数多くの返信を頂きありがとうございました。私の小うるさい議論に親切丁寧に対応していただきました。おかげさまで私は自分の疑問についての理解を深めることができました。授業の進め方についても、この議論を踏まえて、一定のまとまりのある案を作れそうです。これまでの無償のご労苦が生きるような取り組みができたらと思っています。 これでこの質問を締めます。本当にありがとうございました。
- 101325
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> GoldBookでは分子量を分子1個の質量と明記している 明記していないです。あくまでも u との比です。 > 相対モル質量を説明もなしに分子量と同一視している 分子容、原子容という言葉は使われなくなりました。今はどちらもモル体積と呼ばれています。 分子熱、原子熱という言葉は使われなくなりました。今はどちらもモル熱容量と呼ばれています。モル比熱という残念な言葉も使われてはいますけど。 分子量、原子量という言葉も使われなくなったらいいのに。どちらもモル質量と呼べばいいのに。というのが私の願いです。 分子何々とか原子何々とかいう言葉がマクロな量を表す言葉として使われてきた歴史を振り返れば、分子量=相対モル質量、となるのも仕方ないのでは、と思います。 分子量、原子量という言葉を使うなら、u という単位を付けてミクロな量であることが誰にでも分かるようにしておく、という質問者さんの考えには同意できます。かなり激しく同意できます。同意できるんですけども、今現在のこれらの言葉の使われ方を見ると、ちょっとやそっとのことではそういう流れにはならないだろうな、とも思います。
- 101325
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> 分子量と、モル質量を g/mol で割ったもの、は結果的に同じものになるとはしても、上のあなたの表現は正確ではありません。 そうですか?分子量のときは原子量のときとは違って、Gold Book 的には正確な表現になってしまうのだ私は解釈しましたけど。 「モル質量を g/mol で割ったもの」は正式には相対モル質量と呼ばれるものです。 http://dx.doi.org/10.1351/goldbook.R05270 そして、分子量も相対モル質量も相対分子質量の別名です。 http://dx.doi.org/10.1351/goldbook.R05271 #12で紹介したグリーンブックの57ページの注(8)も参考になると思います。こちらを見ると、原子の場合でも、モル質量で原子量を定義できるようにも読めます。 まあ正確でも不正確でも、これらに関しては、どっちでもいいです。原子量(や分子量)に「モル質量を g/mol で割ったもの」という隠れた意味がある、というのは、#6に書いたように、あくまでも私の個人的な考えですので。 その回答で私が、分子量はモル質量を g/mol で割ったものとして定義される、と説明しているのは、それが初学者向けの説明だからです。仮に、分子量が原子量だったとしても、そのような説明をしたと思います。じっさい、「モル質量はモル当たりの質量」は不正確な表現ですけど、このQ&Aの#6に書いた正確な表現、モル質量は単位物質量当たりの質量、よりもずっと分かり易い表現だと思うので、そこで使っています。分かり易さのために、正確性を犠牲にしています。 > 「分子量Muの分子を1モル集めると、その質量はMgになる」、ということは、重要なことだと思います。 そうですね。私もそう思います。私なら「質量 M u の分子」と表現しますけど、どちらにしたって、このような大切な関係を簡潔に表現して分かり易く説明するには、uという単位は不可欠だと思います。
お礼
お忙しいと思いますのに、返信いただき恐縮です。 > 「そうですか? 分子量のときは原子量のときとは違って、Gold Book 的には正確な表現になってしまうのだ私は解釈しましたけど。 「モル質量を g/mol で割ったもの」は正式には相対モル質量と呼ばれるものです。そして、分子量も相対モル質量も相対分子質量の別名です。 」 大変失礼しました。相対モル質量なる術語があることを私は初めて知りました。確かにGoldBookでは、分子量も相対モル質量も相対分子質量も同じ意味を表す言葉だとしています。それを十分知りもせずに、大変失礼な言い方をしてしましました。申し訳ありませんでした。 しかし、私見では 相対モル質量と分子1個の質量とはその出所が異なるものと思います。私は次のように考えました。分子量に対する以前の考え方は次の式に基づいていると、私は自分なりに整理しました。 (分子量)=12×(その分子の集団の質量)/(その分子集団内の分子の個数と同じ個数の12C原子の集団の質量) ただし、その集団内の個数はいくらでもよい。 上式右辺において、集団の個数をそれぞれアボガドロ数個と1個とすると (分子1モルの質量)/(1g)=(分子1個の質量)/(1u)――(1)式 の関係が成り立つことが導けます。分子1個の質量を分子量と書き直すと、 (分子1モルの質量)/(1g)=(分子量)/(1u) ゆえに、 (分子量)={(1u)/(1g)}×(分子1モルの質量) (分子1モルの質量)=(モル質量)×1mol を上式に代入して (分子量)=(1u)×(モル質量)/{ (1g)/(1mol)} このように、uを使えば、分子量はモル質量を g/mol で割ったものに等しい、ことが簡単に導けます。 相対モル質量(モル質量を(1g)/(1mol)で割ったもの)と分子量(分子1個の質量)とは元々は別のものであるが、それは常に等しいことが証明できる。このことを踏まえて、GoldBookではその2つを同じ意味を表す言葉だとしているのだろう――これが私の推測です。証明できることを証明なしに同じものとするところに、分かりにくさの源があると私は思います。高校生なら相対モル質量(モル質量を(1g/1mol)で割ったもの)と分子量(分子1個の質量)が同じだと、言われても、すぐには決して理解できないでしょう。少なくとも私は上の証明をたどらないと理解できません。GoldBookでは分子量を分子1個の質量と明記している所は一歩前進した所だと思いますが、相対モル質量を説明もなしに分子量と同一視している所は以前の分かりにくさをまだ引きずっている所である。これが私の見方です。
- 101325
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■マクロな量とミクロな量 > 大川氏の提案では分子量と言う言葉がないわけですから、ここの説明には分子1個の質量と言う言葉を繰り返すことになるでしょう。 いいえ。繰り返しはないです。例文のひとつめの分子量は“モル体積”に、ふたつめの分子量は“分子の質量”に置き換わります。 例文は、「分子量はマクロな量であり、かつミクロな量でもある」ことを表している文ですよね。これを マクロな量すなわちモル質量と沸点、 ミクロな量すなわち分子の質量と分子間力、 の二つに明確に分けることで、マクロに現れる現象にはミクロな理由がある{注1}、ということを分かり易く説明できるのではないかと思うのですけどいかがでしょうか。「原子の世界で起こっていることと、私たちが目で見る化学現象とは区別して考えることは大切」とお考えであれば、同意していただけると思うのですが。 注1:分子の質量と分子間力の間には、相関関係はあっても因果関係はありません。ですので、「分子の質量」という言葉を使わない、という選択もあることにはあります。ですけど、原子の持つ電子数とか分子の表面積とかの話をいきなり始めるよりも、「分子の質量」あるいは「分子量」という言葉でワンクッション置いてからミクロの話に入る方が、初学者には分かり易いかと思います。 ■変換係数としてのモル質量 化学では、マクロな物質の量を表すとき、質量か体積か物質量のいずれかを使うことが多いです。また、しばしばこれらの量を互いに変換する計算が必要になります。質量と体積の間の変換には、物質の密度が使われます。それと同じように、質量と物質量の間の変換には、物質のモル質量が使われます。体積と物質量の間の変換には、モル体積が使われます。 > 高校生が扱う問題は、原子や分子の1モルが何gであるかがわかっていれば、すべて解ける問題になっている、というのは受験に偏重した化学観と言うべきでしょう。 「原子を基にした物質観を生徒に身に付けさせることが、一般国民教養としての高校化学教育の目的であるべき」なら、 質量や体積と同じように物質量でも物質の量を表すことができること、 密度と同じようにモル質量が物質に固有の(示強的な)性質であること、 の二つを教えるのは、決して無駄なことではないと思うのですけどいかがでしょうか。 マクロな物質の体積を物質量に変換するとき、1分子あたりの体積は不要です。それと同じように、マクロな物質の質量を物質量に変換するときは、相対質量で定義されたものであろうとuを単位に表したものであろうと、分子量は不要です。 質量を物質量に変換する式 n=w/M についての私の考えは http://okwave.jp/qa/q8243407.html の#2に書きました。よろしければご覧ください。大川氏の記事から20年経った今でも、モル質量という用語が十分には浸透していないこと、つまり分子量がマクロな量として扱われていること、を示す一例です。
お礼
コメントいただきまして、ありがとうございます。 > 「■マクロな量とミクロな量」 あなたのおっしゃる通りだと思います。確かに分子間力は分子間の電気的引力から発生するわけですから、分子間力の強さと分子の質量との関係は必然的なものではありませんね。 > 「■変換係数としてのモル質量」 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8243407.html 読みました。「物質量=質量/分子量」 は、あなたのおっしゃるように、明らかに間違いですし、現在ではどんな高校化学の教科書にも出ていない式だと思います。正しい式「物質量=質量/モル質量」は、それが成り立つことを証明したうえで、何度か練習して、その内容を会得するべきですが、化学が苦手な生徒はその努力をしないで試験問題を解ける力をすぐにつけようという、短絡的な無理なやり方に陥ってしまうので、「物質量=質量/分子量」 と覚えれば問題が解けるのだ、というまとめ方をしてしまうのでしょう。 私だったらその生徒に次のように言うでしょう。分子量(分子1個の質量)がMuの分子を1モル集めると、その質量はMgになることを理解したうえで、その分子mgの物質量が m/M molになることに理解を進める、という、結論に至るまで少し長い道のりを自分でたどる以外に、分かる方法はないと。ちょっと大げさな言い方ですが、「学問に王道なし」です。 しかし、上にように書くと、結論の「分子mgの物質量nが n=m/M mol」という式は「物質量=質量/分子量」 を表すように見えてしまいますね。これは、分子量がMuの分子のモル質量がM g/mol である、ために分子量もモル質量も数値だけみれば同じMになっていることに原因があります。その分かりにくさを避けるには次の表現法が考えられます。 分子量が Xu ならモル質量は X g/mol モル質量が M g/mol なら 、m gの物質量n molは n=m/M これなら生徒は n=m/M のMは モル質量だと思うでしょう。 > 「 質量や体積と同じように物質量でも物質の量を表すことができること、密度と同じようにモル質量が物質に固有の(示強的な)性質であること、この二つを教えるのは、決して無駄なことではないと思うのですけどいかがでしょうか。」 質量と物質量とでは、次の違いがあると思います。与えられた物質の質量は天秤ですぐ測れるのに対して、物質量はすぐには測れない、、質量の測定値とモル質量の測定値とから計算によって出てくるということです。水1,8リットル・水1.8kgは身近な言葉ですが、水100モルは日常生活では使わない理由がそこにあると思います。ですが、化学教育では上におっしゃることを教えるのは必要でしょうね。私は、モル質量が 密度と同じような 物質に固有の性質とまでは意識していませんでした。水銀の密度は圧力の値の単位変換に出てくるので覚えているほどですが、水銀のモル質量は覚えていません。それはその量に触れる機会の頻度の違いの問題なのかもしれませんね。 > 「 マクロな物質の体積を物質量に変換するとき、1分子あたりの体積は不要です。それと同じように、マクロな物質の質量を物質量に変換するときは、相対質量で定義されたものであろうとuを単位に表したものであろうと、分子量は不要です。 」 もちろんそうですね。 しかし、「分子1個の質量(分子量)、分子1モルの定義、分子1モルの質量、分子 m g の物質量」という諸概念の間に成り立つ関係を考える時には、「分子量Muの分子を1モル集めると、その質量はMgになる」、ということは、重要なことだと思います。 まだしばらく開けておきますので、何かありましたらよろしくお願いします。
補足
下のお礼を書いた後で、気になる記述に気づきました。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8243407.html のあなたの回答中の次の文です。 「 分子量は、モル質量を g/mol で割ったもの、として定義されます。 」 現在のIUPACの定義はそうではありませんね。IUPACを引用すると、 「 relative molecular mass 」とは 「 Ratio of the mass of a molecule to the unified atomic mass unit. Sometimes called the molecular weight or relative molar mass. 」です。 分子量と、モル質量を g/mol で割ったもの、は結果的に同じものになるとはしても、上のあなたの表現は正確ではありません。特に私が強調したいのは、IUPACの定義中のthe mass of a molecule の、分子「1個」と言う言葉です。頭書の文におけるあなたの分子量の考え方は (分子量)=12×(その分子の集団の質量)/(その分子集団内の分子の個数と同じ個数の12C原子の集団の質量) ただし、その集団内の個数はいくらでもよい。 に基づくものではないでしょうか。これは現在のIUPACの分子量の定義以前の古い考え方です。現在のIUPACの分子量の定義では、集団内の個数は1個と限定していることにご注意ください。
- 101325
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> 原子量は原子1個あたりの質量とすることは、譲れません。 はい。それもいいと思いますよ。 > 問題を解く際に原子1個からモルのオーダーへの変換が何度も出てきて煩雑だから、というのが、上の提案の理由でしょうが 違うと思いますよ。大川氏の記事は、「原子量等を『相対質量』で表す必然性が理解しにくいためなのではないだろうか」で始まって、「『相対質量』で定義される原子量、分子量、式量は不用」で締めています(強調はどちらも引用者による)。氏のスタート地点は、「初学者に原子1個の質量を学ばせる高校化学の導入部分で、『相対質量』などという、分かりにくい言い方に固執していること」に疑問を持っている質問者さんのそれと、それほど遠くはないんじゃないでしょうか。方向性がお二人で全く違うので、真逆の地点に到着しているわけですけれども、 相対質量はもう止めようぜ! という結論は同じですよね。
お礼
わざわざ私と同じような論客を紹介していただき、ありがとうございます。 しかし大川氏と私は、考え方が似ているようにみえますが、実は違います。 大川氏 「 単に原子・分子の絶対質量が非常に小さくその扱いが不便だという理由から、原子・分子の質量は相対質量で表すといわれても、そこには相対質量で表さなければならない必然性はない。原子・分子の絶対質量が非常に小さいという事実と、原子・分子の質量を相対質量で表すことの論理的なつながりはない。原子・分子の質量を非常に小さい絶対質量で表すことは何の問題もなく可能なのである。」 「 現在では、原子・分子の1個の質量の絶対値を質量分析器を用いて測定することができる。質量分析器という道具を持っている現在の化学者にとって、原子・分子の質量を相対質量で表す必然性は、極めて希薄である。 」 上の文章からわかることは、大川氏は、現在化学で使われている「相対質量」は、質量の相対値だと受け取っています。私は現在化学で使われている「相対質量」は、単位をuにして表した原子1個や分子1個の質量の値なので、特別に相対値などと呼ぶ必要がない、普通に質量と呼べばよい、と考えています。大川氏はグラムとuには絶対質量と相対質量の違いがあると考えていますが、私はグラムもuも同じ質量の単位であり、例えば長さの単位にメートルやインチがあるのと同じようなものだと考えているのです。ここに現行の化学の説明についての彼と私の受け止め方の違いがあります 私の主張は、何度も言いますが、(原子量)=(原子1個当たりの平均質量を単位をuにして表したもの)、(分子量)=(分子1個当たりの平均質量を単位をuにして表したもの) とすると、言うことです。そのポイントは2つあり、一つは原子量・分子量は原子1個や分子1個の質量を表す(相対質量ではなく質量を表す)こと、もう一つは原子量・分子量はその質量の値をuを単位に用いて表すことです。 大川氏の提案では、原子量・分子量という言葉は追い出されています。 しかしそれではたとえば次の例では困るでしょう。 14族元素の水素化合物の沸点は、その分子量が増えるととともに、増加します。15族や16族や17属の元素の水素化合物についても極性の強いNH3,HF,H2Oを除き、同じ傾向があります。これは構造の似た分子たちでは、分子量が大きい方が分子間力が強くなることを、説明する例として挙げられますが、大川氏の提案では分子量と言う言葉がないわけですから、ここの説明には分子1個の質量と言う言葉を繰り返すことになるでしょう。それより分子量の方が簡明でよいと思います。 大川氏 「 この作業の中で、分子量がMの物質のモル質量はM g/mol なので、と言い換えなければならない煩雑さは、すべて分子量が相対質量で定義されているからなのである。また、原子が対象の場合には、原子量を原子のモル質量に言い換えることになる。 」 分子量を、分子1個当たりの平均質量を単位をuにして表したものと、定義し直しても、その煩雑さは変わりません。しかし、分子量がMuの物質のモル質量はM g/mol という文には明瞭な意味があります。それは分子1個から分子1モルに個数が増えると、その質量がMuからMgに増えるということですから。それを煩雑とは私は思いません。
- 101325
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■「原子量の単位をめぐって」について 本文を読んでみると、原子量がミクロな量なのかマクロな量なのかについては、三氏の意見は一致しているようですね。 http://ci.nii.ac.jp/naid/110001824350 織田:原子量は正しくは原子質量の相対値であって、一般に原子集団の質量の比といえる。もちろん1個の原子について比較してもよいが、何個の原子でもよいので、同数の原子について比較すれば、同じ数値の原子量が得られる。 内海:m No = M (mは原子の質量(g)、Noはアボガドロ数、Mは原子量(と私は考える))...《中略》...ここでMの数値は1モルの原子集団の質量をグラム単位で表した数値であると同時に、原子1個の質量を原子質量単位で表した数値なのである。 白井:化学で原子量を使うときは1moleの質量として使っている。 三氏とも「分子量はミクロな量であり、同時にマクロな量でもある」と考えていることが分かります。今から50年も前の討論ですから、当たり前のことですけど、昔風の考え方です。 > 内海氏の意見が私と同じもののようです。 そうでしょうか。内海氏は (1個の原子のグラム数)×(アボガドロ数)=(単位なしの原子量) (単位なしの原子量)=(原子1モル当たりのグラム数)=(原子1個の質量/u) という主張をされています。下の式は、原子量に単位を付けない根拠として、#6で私が書いた式と同じですよね。また、この討論の中で氏がMを原子量と呼んでいる箇所はあっても、mを原子量と呼んでいる箇所はないことにもご注意ください。 ■20年前のひとつの試案 モルがSI単位になる前の議論というのは、現代からみるとやはり少し古いかなと思います。こちらは20年前の「化学と教育」誌の記事ですけど、私が読んだ限りでは、現在でもそのまま通用する内容だと思います。質問者さんの授業の参考になれば幸いです。 大川 忠「原子・分子の質量の表し方についての試案」化学と教育 43(6) 403-404, (1995). http://ci.nii.ac.jp/naid/110001828762/ http://www.questions.gr.jp/chem/mass.htm 以下は、私が読んで気になったところと、それに対する私のコメントです。 「原子量の概念を導入することによって、《中略》、原子という粒子が実体をともなった粒子であることが示された」 コメント:“示された”は少し言いすぎと思う。 「高校生が原子量・分子量を使うのはどんなときであろうか。それは、 物質の量が質量で与えられていて、それから物質量を求めるとき、およびその逆の、与えられた物質量から物質の質量を求めるときであろう」 コメント:分子の構造式から分子量を求めるときに原子量を使っているはず。 「そうすると、相対質量として表される原子量や分子量は、物理量ではないことになる」 コメント:これは間違い。単位が1だから省略しているだけ。屈折率が物理量なのと同じで、相対質量も立派な物理量。 「その単位はg/molとする以外にはない」 コメント:高校化学ではこれでOK。だけどSI準拠ならkg/mol。 「少なくとも高校の化学の学習においては、相対質量で定義される原子量、分子量、式量は不用であり、すべてモル質量で統一した方がよいと思われるが、どうであろうか」 コメント:いいと思いますよ。構造式から分子量を求めるときは、形式的には、構造式を分子式に変換させればいいだけのことですし。でも便利なものって、なかなかなくならないんですよね。
お礼
何度も親切丁寧なフォローをしていただき、ありがとうございます。 > 「 本文を読んでみると、原子量がミクロな量なのかマクロな量なのかについては、三氏の意見は一致しているようですね。」 本文を教えていただきありがとうございます。本文へのアクセス法を知らず、摘要だけから判断したので、私は思い違いをしていました。 > 大川氏の意見 「少なくとも高校の化学の学習においては、相対質量で定義される原子量、分子量、式量は不用であり、すべてモル質量で統一した方がよいと思われるが、どうであろうか」 私は反対です。原子量は原子1個あたりの質量とすることは、譲れません。問題を解く際に原子1個からモルのオーダーへの変換が何度も出てきて煩雑だから、というのが、上の提案の理由でしょうが、原子の世界で起こっていることと、私たちが目で見る化学現象とは区別して考えることは大切なことであると思います。高校生が扱う問題は、原子や分子の1モルが何gであるかがわかっていれば、すべて解ける問題になっている、というのは受験に偏重した化学観と言うべきでしょう。 #5では、現場でもモル質量さえわかれば立ち行くというご意見でした。#11ではややこしいことは省略した方がよいというご意見でした。しかし、私は高校では原子を基にした物質観を生徒に身に付けさせることが、一般国民教養としての高校化学教育の目的であるべきだと思います。原子1個から原子1モルを導き出したり、原子1モルから原子1個に戻して考えたりすることは、原子を基にした物質観の基本であると考えるからです。もちろん受験で得点するためにはそんな考えは何の足しにもならないとか、現場で化学の仕事を進めるのにそんな考えは何にも役立たないとかは、言えることかもしれません。それでも私は高校生がそれを考えることは意味あることであると思います。 「原子量はマクロな量でもあり、ミクロな量でもある」 この考えは化学の世界に特有の事かと思っていましたが、インターネットを調べると物理でもあちこちに残っているらしいことを知りました。そこで改めて私はこの文の意味を考え直し、やっと了解できました。 2種類の原子Aの集団と原子Bの集団とがある場合、その各集団の原子数が同じなら、そのA集団とB集団の質量の比は、集団内の原子数がいくらであっても、変わらず一定である。例えば、集団内の原子数が1個の場合でも、アボガドロ数個の場合でも、その質量の比は同じになる。この事を踏まえて、与えられた原子の原子量とは、その原子の集団と同じ個数の12C原子の集団の質量を12とした時の、与えられた原子の集団の質量である、と定義する。―― 以前はおそらく多くの人が原子量の定義をこのように受け止めていたのでしょう。その定義を式で表すと、 (元素の原子量)=12×(その元素の原子の集団の質量)/(その集団内の原子数と同じ個数の12C原子の集団の質量) ただし、その集団内の個数はいくらでもよい。 と言うことです。こう考えると、集団内の個数はいくらでもよいのですから、それを1個とすると、原子量は原子1個の質量の相対値と言えますが、集団内の個数をアボガドロ数個とすると、原子量は1モルの質量をグラム単位で表した値とも言えるわけです。従って、原子量はミクロな量でもあるし、マクロな量でもあるわけです。 htms42様はおそらくそのような考えの上に立ち、原子量はマクロな量である、とおっしゃったのでしょう。私は ドルトンの時代から(原子量)=(原子1個当たりの相対質量) と、考えてきたものとしか、考えられませんでした。浅はかでした。そうではないことを、改めて私は認識しました。htms42様には言い過ぎたことをここでお詫びいたします。 しかし、上の原子量の定義は分りにくいです。一度その考え方を身に付けて慣れてしまえば、何でもないことになるのでしょうが、初学者には理解の壁になります。その分かりにくさの原因は、上の定義がまだ十分に分析された表現になっていないからです。ですから、時代の進行とともにその定義がさらに分析され、より分かりやすい方向に進んでいると思います。現在のIUPACの原子量「relative atomic mass (atomic weight) 」の定義は、「 The ratio of the average mass of the atom to the unified atomic mass unit. 」であり、原子の個数をはっきりと 1個あたり に限定しています。 私はもう一歩進めてほしいと思っていますが、これでも以前に比べると、改善されたのでしょう。 16日まで開けておきますので、まだご意見のある方は、お願いします。
- htms42
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>存在比を知るには、1つの元素に属する同位体原子を、百個や千個ではなく、おそらく1兆個以上は分析しているのではないでしょうか(私の推測なので不確かですが)。 なぜこんなに小さい数字が出てくるのでしょう。 物質の中の元素や反応で組み合わせの変更が起こる元素の原子の数はアボガドロ数のレベルなのですから桁が違いすぎます。1兆分の1モルでも10^16個あります。10^8個という数字は化学の発想ではありません。物質科学の発想でもありません。質量分析器という道具のマジックに引っかかっているのです。どうしても原子から導かないと気が済まないようですね。 気体の圧力が気体分子の衝突による力積の総和で記述できるという話を聞いた学生が「原子一個の圧力」という言葉を使ってしまって咎められることがあるという例を思い出しました。「1個でだめなら100個だといいのか、1兆個だといいのか」と問い直すという場面を考えるとなんだか似ているように感じました。 必要な同位体の存在比というのは自然界に存在する物質の中に含まれる元素についてのものです。酸素の同位体であれば単体としての酸素の中での存在比が一番対象になりやすいですが酸素を含む化合物すべてが対象になります。単体の酸素の中の同位体比と化合物の中での酸素の同位体比が同じであるという保証はありません。当然ある範囲内で変動するという幅が想定されるのです。質量分析機で同位体比が調べられるとしてもそのサンプルについてのものです。ボンベで酸素を買って調べたといってもその酸素がどこで詰められたものか、その酸素の材料は何なのか、・・・問題になります。空気中の酸素であっても場所によって存在比は異なります。 ※重水素の発見でノーベル賞をもらったR.ユーリーは氷河期の海水温の推定も行っています。水に溶け込んでいる酸素の同位体比が温度によって異なるので貝殻の中の酸素の同位体比も異なってくる。化石の中の同位体比の変動を測定することによって温度変化を推定しているのです(wikipediaを調べましたが見つかりませんでした。地球科学の本には載っていると思います)。 以前は水素の原子量の値として1.008という値が載っていました。これ以上細かい数字を出しても原子量としては意味を持たないだろうという数字です。これに対して原子質量単位と存在比の値を表で調べて、もっと細かい数値が得られるはずなのにという質問を出している人がいました。 新しい理科年表に載っている数字は[1.00784;1.00811]となっています。普通に起こりうる変動幅を表に出して細かい数字は意味がない、使うときには注意が必要だとしているものです。 理科年表には「この幅の中にすべてのサンプルでの値が入るとは言えない」という註も添えられています。それにさらに「この表の値と原子量とは必ずしも整合しない」という註が原子質量単位での質量と存在比の表の載っている別の章に書かれています。・・・これが具体的にどういう場面のことを言っているのかは今の私にはわかりません。
お礼
ご意見ありがとうございます。 > 「空気中の酸素であっても場所によって存在比は異なります。」 同一元素に属する諸同位体の存在比は、地球上ではほぼ一定である、とは言いますが、細かく見れば、場所によって異なることも多い、ことは容易に推測できます。むしろ、地球上でほぼ一定という方が私には驚きでした。おおざっぱに言って、有効数字3~4桁くらいでは存在比はほぼ一定だが、それ以上の桁まで測定すると、元素の採取場所による違いが現れる、みたいですね。しかし、その事情は、元素の原子量を、その元素に属する同位体原子1個当たりの平均質量とする定義に、影響を与えるものではないと私は思います。
補足
◎#17のお礼に書きました、「原子量はマクロな量である」についての私の感想に何かコメントがありましたら、お願いします。 ◎#15のお礼の最後に私が書いたことについても、もし、コメントがありましたら、お願いします。 上2つのお願いは、もし時間的余裕がありましたら、そして書いてやろうというお気持ちがありましたら、ということですので、聞き流していただいてももちろんかまいません。 締め切りは9月15日まで延ばさせていただきます。
- 101325
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#17に間違いがありました。間違いが多くてごめんなさい。 誤:原子量を、炭素12の質量を12とする相対質量、と定義するのと同じように 正:原子量を、炭素12の原子の質量を12とする相対質量、と定義するのと同じように 他にも間違いがありましたら教えてください。
お礼
いつも細かいところまで気を配っていただきありがとうございます。
補足
私の専門は物理ですが、今年は化学も教えています。本日、私の高校の化学専門の先生に、ここの質問で述べた私の考えを話しました。その先生曰く「あなたはそれで自己満足されてよいかもしれぬが、その後に来年その生徒に引き続き化学を教える私たちの立場から言うと、本校の化学教育に混乱をもたらすものだ。原子量や分子量についての教え方が違うと、生徒は戸惑う。そこをよく考えてもらいたい」という趣旨のご意見をいただきました。 私の悩みごとがさらに増えました。
- htms42
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#15です。 すみません。 「理化学辞典」はすべて「理科年表(2014年)」の誤りです。
お礼
訂正のご連絡、ありがとうございます。
補足
#19にもミスがあるようです。 1兆=10^12です。 アボガドロ数を約10^24とすると、 1兆分の1モルは10^12=1兆個です。
- htms42
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#8です。 もう閉められるということなので一言。 >原子量の決定法には、化学的測定法が物理的測定法に先行しています。質量分析器は1919年アストンが製作しました。これにより既知元素のほとんどすべてについて、その同位体を知ることができ、その存在比と質量が測定できるようになったのでした。そのことで原子量に関する人類の知識は格段に深化したのです。 「質量分析器によって原子量の測定は化学的な測定法から物理的な測定法に変わった。原子量はマクロな量からミクロな量となった」ということのようですが、同位体の存在比による平均操作が入っている限りマクロな量です。同位体の存在比は変動します。炭素で計算しておられる式の中の13Cの存在比を理化学辞典で調べると1.07(8)%であるとなっています。後ろの8は変動幅です。原子量の値は12.0096~12.0116となっています。 水素についての値を見ると2Hの存在比として0.0115(70)%という数字が載っています。「市販水素ガスの2Hの存在度:0.0032~0.0184%」という数字もあります。 この章(物理106)の冒頭の文の中には「この表の値と原子量とは必ずしも整合しない。という文章もあります。 なぜ同位体の存在比による平均操作が入ってくるのかというところには原子量のもともとの意味が生きています。反応の量関係に必要な量なのです。 >(原子量)=(原子1個の質量をuを単位にして表したもの)/u 平均操作が入ってきているということを承知していながら「原子一個の質量」という言葉を使っているのには疑問を感じます。「一個当たりの質量」と「一個の質量」とは意味が異なります。 理化学辞典(2014年)は「原子量は12C=12とした時の元素の相対質量と定義される」としてIUPACの勧告(2013年)による数値を載せています。「いくつかの元素については原子量を単一の数値ではなく、変動範囲で示すことになった」のは2009年からのことのようです。 uをつけるか、つけないかというようなことをうるさく言うつもりはありません。 モル質量と原子量、または分子量という明らかに単位の異なるものを同一視しているという例がいまだに見られるということの方が問題が大きいと思っています。それもトップクラスの物理学者によってです(大学の講義用テキストなどの中では普通に使われている可能性があります)。原子の原子量、同位体の原子量という言葉も、書かれている本を目にするとうんざりします。
お礼
再度投稿いただきまして、ありがとうございます。あなたの文章には、これまで化学に関する多くの問題を考えてこられた奥の深さ・経験の豊かさが感じられて、注目させられます。101325様とともに、考えさせられることの多い文章です。ありがとうございます。 > 「原子量は、同位体の存在比による平均操作が入っている限り、マクロな量です。」 考えてみればそうですね。存在比を知るには、1つの元素に属する同位体原子を、百個や千個ではなく、おそらく1兆個以上は分析しているのではないでしょうか(私の推測なので不確かですが)。だからマクロな測定量から求められた値と言う意味を持っていることになりますね。 しかし、元素の原子量はその元素に属する同位体原子1個当たりの平均の質量である、という意味では、原子量はドルトンの時代からミクロな量であります。ですから、原子量はマクロな量である、などという言い方は語弊があると思います。私はこの言葉を読んだ時に、原子量はミクロな量であることはきっとご存知のはずだのに、なぜ敢えてそれに逆らうような言い方をされるのか??、と訝ったものでした。 きっとそれは、私の最初の質問文にあるキャッチフレーズ「少しレベルの高い質問です。」と同じ働きをしているのかな、と思いました。 > 「「原子一個当たりの質量」と「原子一個の質量」とは意味が異なります。」 仰るとおりです。私は後者の言葉を前者の意味で使いました。省略したわけです。私が強調したいのは別の所にあったからです。ですが、そこは省略しない方がよかったですね。申し訳ありませんでした。 > 「モル質量と原子量、または分子量という明らかに単位の異なるものを同一視しているという例がいまだに見られるということの方が問題が大きいと思っています。それもトップクラスの物理学者によってです。原子の原子量、同位体の原子量という言葉も、書かれている本を目にするとうんざりします。」 モル質量と 原子量または分子量とを 同じものと見なすのは、初歩的な誤りですね。前者はマクロな量なのに対して、後者はミクロな量ですから。 原子の原子量、同位体の原子量という言葉も、不適切ですね。 私も気を付けたいと思います。 > 「uをつけるか、つけないかというようなことをうるさく言うつもりはありません。」 これはほんの些細なことです。もちろん専門家の方はどっちでも大差ないでしょう。 しかし高校生に初めて原子の質量を教える時には、きっちりしておくべき大切なことなのです。原子量・分子量にuを付けることは、原子量・分子量からモル質量を導く時の導出過程の明確さを保証します。次をご覧ください。 アボガドロ数の定義を、12C原子12g中に含まれる原子の個数とし、同一粒子がアボガドロ数個だけ集まった集団の物質量を1モルと呼ぶことにします。 アボガドロ数をNとすれば、 1u×N=1g は簡単に証明できます。 ここで原子量とは原子1個が持つ平均質量をuを単位にして表したものとします。 原子量がM〔u〕の原子1モルの質量は、 (原子1個の平均質量)×(1モル中の原子の個数)= M〔u〕×N ですが、 ここで M〔u〕=M×1u と書き直せば、 M〔u〕×N = M×1u×N = M×1g = M〔g〕 となり、原子量がM〔u〕の原子1モルの質量はM〔g〕であることが、簡単に導けます。 私は、この議論は高校生にとって分かりやすいはずである、と思っているのです。 もし、原子1個の平均質量を、12C=12とした時の相対質量で表して、M(単位なし)とすると、上の議論ができなくなってしまいます。実際高校化学の教科書にはたとえばこういう説明になっています。 「12C原子だけを多数集めて、その質量が正確に12g(端数なし)になる集団を考え、その中に含まれる12Cの原子の個数を測定した。そして、その数(N個)を1つの集団(単位)として扱うようになった。そうすると、原子・分子・イオンなどの粒子1個の平均の相対質量が原子量・分子量・式量であるから、それらをN個集めた集団の質量は、原子量・分子量・式量にgを付けたものと等しくなる。」 別の教科書 「12C原子は相対質量12であり、アボガドロ数個(=1mol)で12gになる。つまり、12Cの相対質量にg/molを付けた12g/molがモル質量になる。同様に原子量・分子量・式量に単位g/molを付けると、原子・分子・イオンなどのモル質量になる。」 上の教科書の2例でお分かりの通り、原子量がMの原子1モルの質量はM〔g〕であることが、証明なしに突然出てきます。上の教科書の説明と、さらにその上の私の作った説明とを比べて、どちらの方が高校生に分かりやすいと思われますか?? 原子量や同位体原子1個の質量にuを付けるというだけで、叙述が非常に明瞭になると、私は思っています。それが私がここで主張したかったことです。
お礼
私が主張したいことを明確な形にまとめていただきました。感謝いたします。 >「”教科書的表現[B]では、原子量も分子量もミクロな量だが、初学者にはこれらがミクロな量であることが分かりにくい。単位を明示することで これらがミクロな量であることを強調するなら、現状では[A]のような表現になってしまう。しかし、「原子の平均質量」や「分子の平均質量」という用語は、日常的に使うには長すぎて不便である。だから[A]と[B]の折衷案として、「原子の平均質量」を原子量と呼び、「分子の平均質量」を分子量と呼ぶことにしよう。” という方針ですよね。」 その通りです。私の思いを明瞭な形に表現していただきました。 ありがとうございます。 > 「モル質量という用語が広まりつつあるとはいっても、昔風の「分子量はミクロな量であり、同時にマクロな量でもある」という考え方は根強く残っています。」 そのことは全く知りませんでした。分子量というひとつの単語に2つの意味を含ませると、分子量という言葉の意味が曖昧になります。専門家の方はその使い分けに慣れているでしょうが、初めて化学を学ぶ高校生には混乱をもたらす原因になると思います。その混乱を避けるには、1語には一つだけの意味を持たせる、のが良いと思います。私は原子量・分子量は、原子1個(1個当たり)、分子1個(1個当たり)の質量という意味しか持っていないと思ってきました。htms42様の「原子量はマクロな量である」という言葉は、原子量の値は、マクロな量の測定から推測により得られている、という意味である、と受け止めました。そうではなく、原子量の言葉に、モル質量という意味も含ませている、から、原子量はマクロな量であると言えるのだ、と、考えておられるとしたら、私はそんやややこしい原子量の言葉の使い方はしないでほしいと心の中でつぶやきたいです。 ご教示いただき、ありがとうございました。
補足
インターネット検索で次の文献を見つけました。雑誌「化学と教育」に私がここで問題にしているテーマが取り上げられている論文があるようです。1964年の論文なので今から50年前のものです。3人の方の意見が紹介されているようであり、そのうち内海氏の意見が私と同じもののようです。 アクセション番号 0000005917 資料種別 論文 論文標題 原子量の単位をめぐって 著者名 織田三郎,内海誓一郎,白井俊明 著者所属機関名 東京女子医科大学,お茶の水女子大学,東京理科大学 掲載雑誌巻 「科学と教育」12巻 掲載雑誌号 3 掲載雑誌ページ 360 掲載雑誌出版年 1964 論文の概要 ⇒ 「原子量の単位をめぐる織田,内海,白井の三氏の意見を掲載。織田は,原子量は単位のない数値と主張。原子量は原子質量の相対値であり,原子集団の質量の比。原子量について重要なことは,その基準をどう決めるかである。内海は,原子量のジメンションは質量で,その単位は原子質量単位であるとの立場。名数・無名数という論議はまとはずれで,本質的な議論は原子量のジメンションは質量か,ジメンションのない数かという点にあると主張。原子量が変遷したのは原子質量単位が変遷したからであり,アボガドロ数が変わったからである。そのことは,原子量はジメンションのない数であるということの論拠にはならない。白井は,原子量表の数値Aは無名数であるが,原子1個の質量はAu g(uは統一原子量単位)で,1moleの元素の質量はA gであると主張。」 その他にこのOKWAVEでも私と同じような疑問を提出しておられる方がいました。 http://okwave.jp/qa/q1428384.html 心強いものを見つけました。