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積極的平和主義
積極的平和主義について質問です 積極的平和主義なのに武器を使うのは何でですか? 平和主義とは、虫も殺す事の出来ないような人に対して使う言葉だったと思う 何をされても攻撃だけはしない戦いを兎に角避けたがる戦いだけはするのいやな人を指して平和主義者と言ってる でも今使ってる平和主義とは「けんかする気か?おう、やる気なら乗ってやる」見たいな好戦的な性格に見えます イメージの平和主義者とは逆の感じ イメージでは図体でかいのに殴られると逃げ出すのが平和主義者で その逆に見えます
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- koiprin
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人としての平和主義者と国家としての平和主義の違いです。 人として平和主義者であれば、図体はでかいのに殴られると逃げ出すで問題ないですが、国家は、前提として国民の生命財産を守るという機能を有しなければなりません。それができなければ、国家ではありませんので、議論にすらできません。 国家が平和を維持するということは、国民の生命財産を他国に脅かされないようにするということですから、侵略者に対する備えが必要となります。 現在は爆撃機やミサイルがある以上は、迎撃できなければ国民の安全は守れないので、武器の所持が必然となります。これには、消極的も積極的も関係ありません。消極的平和主義でも国家に武器は必要となります。 リスク管理の甘い、国民を考えない国家や、国の経済力が弱く、取られるものがほとんどありませんという国であれば、武器の所持をしないという判断をする首長もいるかもしれませんが、日本は経済力がついていて、略奪する価値のあるものが多いので、そうもいきません。 ただ、大掛かりな武器持つかどうかは、日本のように、強大な軍事力を持つ国の属国となるという選択でかろうじて避けることもできます。
- xx x(@hateha2_goo)
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自然を尊重することにより、自然を創造した父なるエロヒムを敬うことにもなる。決して動物に苦しみを与えてはならない。肉を食用とするために動物を殺すことは許されるが、殺すときに苦しみを与えないことである。 死は何でもないことだが、苦しみは忌むべきことである。人に対してと同様に、動物に対しても苦しみを与えないよう努めなければならない。 とはいっても、肉はあまりたくさん食べてはならない。そうすると体の具合もよいものである。 土地に産出するものは、何を食べてもよい。特別な食事にこだわる必要はない。肉でも野菜でも、果物でも、植物でも動物でも食べなさい。 他の生物の肉を食べて生きるのがいやだといって菜食主義を守ることも馬鹿げている。植物とても生きているのであって、私たちと同じように苦しむのである。食べることはかまわないが、苦しめてはいけない。 ラエル著 社会と政府 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 過去に 悪魔の飽食 なる執筆も存在しましたが、己らの私利私欲の飽食に凶器武器を使用したものが、現在および歴史にて悲鳴騒ぎとなり戦争騒ぎ犯罪騒ぎとなっている事例ではないでしょうか。 生活生存のため動物を家畜とすることは致し方ないとしても、悪魔のように人を飽食する体制は、その悪その非道弊害は近隣諸国そして電波に乗って世界の不況となる。 好戦的な凶器武器、それらからの被害は世界至るところで耳にされる。 それらの非道愚能は、世界にて厳重管理され適正なる人道管理とされることではないでしょうか。
- hekiyu
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”積極的平和主義なのに武器を使うのは何でですか?” ↑ 積極的平和主義には色々ありますが、自民党が提唱する 積極的平和主義のことですね。 これには二種類あります。 甲:紛争が生じたら、武器を使用してでも平定して 紛争を収める、という意味の積極的平和主義。 乙:戦争にならないように、軍備を増強したり 集団的自衛権を締結して、戦争になるのを防ぐ という積極的平和主義。 軍事力の不均衡があると戦争になりやすいから ということです。 甲乙どちらにしても、武器は必要になり、甲なら平和の為に 積極的に武器を使用することもある、ということになります。 ”今使ってる平和主義とは「けんかする気か?おう、やる気なら乗ってやる」 見たいな好戦的な性格に見えます” ↑ 平和主義者とはガンジーのように、非暴力、非軍事力 平和を実現していこう、とする人達ですね。 要は現実の世界で、それが通るのか、それで本当に 平和が実現出来るのか、ということでしょう。 それじゃ一方的な侵略、虐殺になるだけだ、と考える ひとは、そうならない為には武器が必要だ、とする 訳です。
- nnn27
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あなたのイメージは間違ってはいませんが、思考停止して続きをイメージしていません。 逃げたらその戦闘は終わるでしょうが、相手が戦争をやめる理由にはなりません。 侵略戦争がまさに起きているのに平和、平和主義とはこれいかに。 これは平和主義の根本的な問題で「いかなる場合も非暴力・非軍事力という手段による解決をめざす思想」と定義はされていても具体的な解決手法を持ち合わせていません。 「何食べたい?」に対して「あれはいや」「これはいや」。なのに「じゃあ何食べたい」に対しては「何でも良い」と答えているようなものです。 これでは夢想主義といわれても仕方がありません。 極左的な非武装主義実現には双方の同時武装解除が必要であり、日本の場合は中朝韓にそれを採り付けられなかったのでアウトです。日本単独でやっても意味がないのは歴史が証明しています。 日本は敗戦後70年間、平和主義の答えを見つけることが出来ませんでした。中国の台頭により時間切れです。 さて安倍内閣の「積極的平和主義」は「現実的平和主義」「平和維持軍参加主義」などのほうが的確でしょうがスローガンとしてぼかそうとした結果、専門用語とかぶってしまいました。 軍事均衡やPKFは平和主義では認めていない手法ですが現実には今の平和はこれらの元に維持されています。 惜しむらくは小泉政権がイラク進攻に賛同したことが今でも傷になってこの主義をくすませてしまっています。 結局のところ平和主義は平和な時にしか出来ません。「じゃあ戦争だ」と言われた時点でその無能さを認識すべきです。 しかし帝国主義時代から見れば格下国相手にも話し合いをする現在の世界は非常に平和主義的です。
補足
イメージ、平和な時には平和主義かどうかは分からないけれど、戦争になった時も頑なに戦いを拒むのが平和主義者ではないかと思う 主義はその人個人の信条、個人の自己主張 平和主義は平和の主義なのでどんな時になっても争いをしない信条 積極的平和主義は積極的にそれをする信条 になる気します だから平和主義は感覚では争いになった時にする自分はやらないと言う自己主張の事だと思う だから平和主義といってるのに争う意思を持ってると言葉的に矛盾する気します
- angkor_h
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貴方の解釈は正しい。国民の多くがその考えです。 武力による戦いではなく話し合いによって国際紛争の解決を図る、9条はそれを意味した「戦力の放棄」なのです。 貴方が危惧しているのは「某安倍総理」の個人的な考えです。 「積極的」とは「先に手を出すこと」を言っています。 「平和主義」とは、相手より大きな武力を備えていじめられないこと、つまりこれが平和だ、と言う認識なのです。 これを実現すべき行動が「集団的自衛権の行使」(先制攻撃権)や「武器の国産化と海外販売の推進等」につながる閣議決定(政府の身内で勝手に決定)なのです。 国会周辺の、自民党某女性議員に「うるさくて仕事にならない」と言わしめる人々は、貴方と同じ危惧を抱いた人々の集まりが発する声なのです。 与党の面々は、「某安倍総理」の暴走には就いていけない、と言うのが本音だと思います。 しかし、逆らうとその党から追い出されて政治生命を失います。ならば、支持率が高く失脚の可能性が(今のところ)無いその氏に就いているのがわが身を守る最善策なのです。 現代の政治家とはその子孫までにも継がせたいほどにウマイ商売なのでしょう。 なんか、某北挑戦の狩猟様とその取り巻き連中、と言う構図に似てきた様に思いませんか? 某安倍総理はその狩猟様が目標なのかもしれません。
補足
平和主義者とは争いごとの嫌いな人で、戦う意欲を持ってる人は平和主義者ではない気します 積極的平和主義者は争いごとの無いように日ごろからみんなの中を取りもとうとする人 威嚇するのに平和主義者おかしいです
補足
主義とは辞書で持ちつづけている考え・方針・態度とかかれてました 主義は心情の事ですよね 菜食主義とか、野菜しか食べない意思表示に見えます 何かを実現するかどうかはさて置き自分の行動に制限をかける事だと思うけど 殺さずの誓いを立てた人が、普段何も無い時だけ拙者は人を殺さないでござるとかいってて敵が来た時は平気で人殺したら 全然殺さずの誓いを立てた事になってない 戦うのをやめると誓ったんだからその範囲で出来る事しか出来ないのが主義者では? そう考えたらおかしいと思います 平和主義といってるのに状況しだいでは戦争もするのは