- 締切済み
相手に対する投影ですか?
目の前にいる相手を苦しめたり蹴落とすために 自分で自分を苦しめることはありますか? 蹴落とせば自分の地位を上げることができますが その分自分を苦しめることが苦しい この考え方は防衛機制の投影でしょうか? ちなみにこれは直接会った誰に対してもできます
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- sakudrada31
- ベストアンサー率21% (63/287)
単なる支配欲ではないのか? 誰かに対して影響力を持ててること、コントロールが可能である事を自覚する事への快楽 それを実行して、、自分が苦しいのであれば、自傷行為であり、拡大解釈のもとではリストカット、あるいは癖の概念。(唇や爪の皮は取ろうとしたり) 一日どれくらいの食事を食べてたかにもよると思う。多くのエネルギーを得てたら発散しきれない。 細胞、生理的に脳的に、誤作動する傾向が強いのだったら、余分エネルギーが無意味に方向で消費されることはあるかもしれない。 成功者等は生き方が合理的に見えるけれど、多くの人は何らかの自身の不合理な部分と共存してるはずで、自身で納得できない理由も抱ええる。、大小のレベルの違い。 質問者さんは、全体的枠の中で、大小のレベルの中で、大に偏ってるのかもしれない。 人口1億人もいたら、確率的な必然性はありそう。 私は対人恐怖(外食もままならない。店員と対話するの無理)ですが、偶然的に人と話してれば無かったかの様に全快する。でも、数時間~1日間を置くと、元の不安症に戻る。唇の皮をはがす。 これら一連の行為も支配欲で説明できるかもしれない。自分の範囲は自分でコントロールできるからと思うと、安心できる。安心したところで、自制が緩み脳が勝手に自由に動ける範囲を自由に動く。その結果、非合理な癖が再現される。 貴方の場合もそうなら、症状が出る際は、「緊張感の無いとき」に限定されるのではないかと思う。
- cch2o
- ベストアンサー率25% (7/28)
防衛機制の投影ですか・・・ そう考えてる人には難しいが 「良心の呵責」の方が正しい