※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:対案のない批判がなぜ多い?)
対案のない批判が多い理由とは?
悩んでいるわけではなくふと疑問に思いました。
政治でもネットでも世間話でもどこでも、批判する人は多いですが、ほとんどの人は対案を示していないと思います。対案なしで批判しても無駄で、物事は良くならないと思うのですが、なぜそんな批判が多いのでしょうか?
例えば原発は危ない。でもないと困る。これはみんなわかっていると思うんです。
原発反対派は、電気代値上げや二酸化炭素増加、資源の枯渇についての対策を示せばよい。原発賛成派は、事故の防止策や対案策、放射性廃棄物の処理方法を示せばよい。どちらも示せないなら勉強したらよい。なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか?
また、例えば国会で、対案を示せなければ発言できないようにルール化したら良いと思うのですが、そうしない理由は何でしょうかね? どんな方針も必ずデメリットがあります。「あなたの方針はこんなデメリットがある。私のやり方ならこう解決できる」「いやいやそれだとこんなデメリットがあるじゃないか。それなら私の方針の方がよい」
こんなふうに、デメリットによって犠牲になるのが誰なのか何なのか、明らかにしながら論争すれば、国民から見て方針の是非を判断しやすいと思うのですが…
お礼
あーそうですね。ただのつぶし合いになる可能性はありますね。これまた無駄ですもんね。 以下は国会について 「悪法に対する対案が示せないから悪法が通ってしまう・・・」→悪法なら対案を示せるのではないですか?示せないなら通ってよいと思いますが。 対案っていうのは、「あなたの考える課題は杞憂です。悪法など作らなくて大丈夫今のままでいいんです」でもいいんですよ? デメリットを示せということに賛成していただいて嬉しいです。ただ、回答者様のおっしゃるとおり、政治家にとってそれは難しい…というか多分無理なんです。犠牲になる人間がわかった時点で票を失いますからね。そこでやはり「対案」を出し合えばいいと思うんです。犠牲になるのが誰なのか、言いたくなくても、ごまかそうとしても相手があぶり出しに来ます。批判にもいくらか意味がでると思います。 「アメで喜んでもらって気持ちよく気付かれないまま損をしてもらう・・・というのも、場合によっては必要な手段かもしれません。」→あー…言われて初めていくつか具体例を思いつきました。確かにあるかもしれません。 「そればかりというのは気に入りませんけどね。やっぱり。こっちも気付くためのアンテナを張っておかないといけないかも知れませんね。」→今はそればっかりですからね(笑)アンテナは張っておかないと犠牲者にされてしまいますね。気をつけます。 回答いただきありがとうございました。
補足
回答いただいた皆様ありがとうございました。 回答いただきながら、対案を出さない理由はいろいろあっても、やはり批判するには対案をつけるべきだと思いました。 また、回答していただいた方が全員?ほとんど?男性のように思いました。これもまた興味深かったです。 とにかく、ありがとうございました。