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あなたの死という考え方について

あなたの死という考え方について、哲学でも、直感的に思ったことや、体験から感じたことなど。 死ぬことに対する思いや、死そのもの見解、論文的なものでも何でもOKですので、死についてちょっと考えを教えて下さい。別に悲しい思いのものである必要はありません。 ちょっと今日一日で死という考え方がどれくらい集って自分の中で、どのくらい死について議論できるかかちょっと試したかっただけですので、何でもかまいません  ご協力お願いします

みんなの回答

noname#204018
noname#204018
回答No.11

>体験から感じたことなど。 今まで、死んだことがないので、正直わかりません。 いままでで、死にたいと思ったことは幾度かありました。 こいつが、俺の最良の伴侶だと思って結婚した相手と気持ちのすれ違いを繰り返し 諍いばかりの日々に倦んで、プラトニックな想いを寄せた相手との仲を嫉妬して 2年もの間妻が昔の恋人と不倫していたと知った時。 別れはしたけど、自分が20年築いてきたものが瓦解した気がして、自暴自棄の 果てに、刹那的な快楽を追う恋愛を繰り返し、どこまでもいっても満たされない心に むなしくて、列車に飛び込もうと思ったことが何度もあります。 3人の子供を大学を卒業させるために、多額の養育費を送っていましたから、自宅の 他に、賃貸マンションを買って、いつ死んでも団信でローンが消えたら家賃はまるまる 子供にいくように手配しておきました。 生命保険と言うのは誠に不思議なもので、例えば今私が死ねば自宅と賃貸あわせて 1億円以上の不動産が相続財産としてのこります。 このことは、かなり自殺の罪の意識を軽く感じさせてくれます。 普通まとまった金があれば自宅の住宅ローンの返済にあてますが、私はその金を 頭金に1LDKのマンションを買って人に貸しています。少しでも死んだときの 遺産の額を増やしたいと思ったからです。 かなり死を意識した生き方をしてきたと思います。 一方、もういつ死んでもいいと思うくらいの満足感を感じたのも離婚後の自堕落な 生活の中でも体験でした。 ネットで出会った女性とだけ書いておきましょう。会うまではまるで気が付かなかった のですが、 女優といってもおかしくない超美形。華奢で嫋やかな体つきで、頭と身体と肢体のバランスが とても美しい。 この美しい恋人との3か月あまりの日々は、濃密な官能の思い出でした。 正直、ここまで美形の女性と恋仲になれるなら、人生捨てたものじゃないと思った。 ただ、残念なことに他人の奥さんなので長くつきあっても仕方がない。そう思って いる矢先に今の再婚相手と知り会って本当の心の支えを得た次第。 養育費は世間並以上に払い、でも子供には何も満足なものを残せなかったと思うと ここで自殺して遺産を残してやるのも手かなと思ったりします。 そう思わないように、精神科医から薬をもらって飲んだりしていますが 困るのは再婚して12年。死んだら妻の生活が困る。賃貸マンションの家賃と遺族年金で 暮らせるはずが子供がもっていくとそうはいかない。 そうなれば、方法はひとつ。私が妻より長生きして、財産を子供に残すしかない。 死は私にとって極めて現実的で計算ずくのものであったりします。

myp0120
質問者

お礼

世の中の人が、死ぬのが怖いというのは、死ぬ事についての恐怖だけじゃないかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます 他人の私から言うのも余計ですが、自殺はなさらないように、健康でいてください

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.10

 とにかく生かされている。そして、辛い事などを多く経験し乗り越えて、神様なり仏様なりが「人生を学んだな。」という段階で死を迎えるのだとおもっています。  人は簡単に死ぬけど、また簡単に死にたいときには死ねないもんです。  私はやり残したこと、心残りのことがずっとあります。長生きしても解決できない程に。だから、いつでも死んでも良いと思って居ます。また気持ちを新たにして生まれ変わっても良いかもと。

myp0120
質問者

お礼

自分も、死にたいと思う時に死ねないのは、まだ生きられるという見込みがあるからでしょうか ご回答ありがとうございます

  • catra
  • ベストアンサー率23% (67/291)
回答No.9

この世で唯一、誰にでも平等に与えられるもの。 (その経緯などは別として) またそれとは別に、「死」によって与えられたものの経験談です。 私の父が存命の頃、私の家族は両親と父方の伯母、姉、私の5人家族でした。 子供の頃から、ご飯は5人揃って食べるのが「当たり前」で、食べる席も「当たり前」のように決まっていました。 その後伯母が認知症で寝たきりになって4人になり(現在はグループホームに入っています)、それでも両親は揃っているのが「当たり前」だと思っていました。 ですが一昨年父が脳梗塞で急逝し、家族は3人になりました。 残された私たち(特に母)は父の「死」を受け入れられずにずっと茫然としていて、病気になりました。 私も、まだ「当たり前」のように父が自分の部屋で時代劇でも見てるんじゃないかってずっと思っていました。 やがて父がいないことが「当たり前」として何とか受け入れられ、今は3人で暮らしています。 受け入れるまでには相当色んなことがありましたし、「当たり前」に決まっていた席も変わったし父が「当たり前」に寝ていた部屋もなくなりました。それどころか「当たり前」に住んでいた先祖代々の家も、父の死によって手放さなければならなくなりました(ここの事情は割愛します)。 誰かと何気なくする会話で「ご両親はお元気?」というような問いに、それまで「当たり前」に「はい」と答えていたのが「いえ、父は亡くなりました」と答えるのが「当たり前」になりました。 いろんな「当たり前」を悉く覆したのが父の「死」でした。 どんな人にでも平等に訪れる「死」ですが、その「死」が生きている人間に与える影響は多種多様だと思いました。

myp0120
質問者

お礼

ありがとうございます そうですね。 影響というものは少し怖い気がしますね 大切にすれば大切にするほど、別れがつらくなるって苦しいことです お話いただいてありがとうございました

回答No.7

現実のものとしての実感がない 親戚のお葬式は2回しか参列したことなく、まだ小さかったので…

myp0120
質問者

お礼

自分は色々お葬式で不思議な体験をしました 身近な死で生きることについて問いただされました 実感がないこと、それも考えです。 ありがとうございます

回答No.6

私にとって「死」とは 「夢を見ない永遠の眠り」であり 「愛するものとの永遠の別れ」です。

myp0120
質問者

お礼

少し怖いかもしれませんけれど、決して別れは悲しいものばかりではありませんよね! ご回答ありがとうございました

  • karle
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.5

まず、地球上の生物として生きていること = 今自分の中にある 形なき''魂'' が、地球で肉体をもって、色々な限界や制限、努力、それによる喜びなどの肉体ならではの体験をすること だという考えがあります。 (バシャールなどを検索すればすぐにでてきます) ですので、「死ぬ」ということは 肉体をもつ時間が終わり、意志が地球の外 、つまり宇宙にでていくということになります。 どこにでていくにせよ、意志は、形なき ''意識''として、永遠とあるものだと考えられています。 この考えでいるので、私は死ぬことがすべての終わりには思えません。 どうせ死んで地球から去ってしまうのなら 色んなことに挑戦して、やりたいことをやって人生に花を咲かせてやろう、という気持ちになります。笑 これから人生楽しみましょう。 ありがとうございました。

myp0120
質問者

お礼

いえこちらこそありがとうございます。 はい!まだまだ、何十年も生きますよ。 死ぬということを、再確認することで生きる希望もわいてくるもんですね。笑 ありがとうございました

回答No.4

どんな権力者や金持ちも避けられない出来ごとで、 人間社会で一番公平に与えられたものです。 貧乏人や平民は、そう思って溜飲を下げます。

myp0120
質問者

お礼

生きることより死ぬことのほうが、もしかしたら、公平性があるのかもしれません。 ご回答ありがとうございます

回答No.3

(1)肉体や脳機能が機能しなくなり、自分(自我)がなくなってしまうこと。 (2)生が、「障壁を越え続ける挑戦」と「積み重なる責任」だとすると、死は、「その全ての喪失」。 (3)良いことも、悪いことも、喜びも、悲しみも精算されて、「無」になってしますこと。 (4)生が連続して続いていくことが生物的な勝利で、生が続かず死んでしまうことは敗北。 学校や社会での優位・劣位や成功・失敗など一時的なもので、死んだらお終いです。 ・・そんなところです。

myp0120
質問者

お礼

小さいことや一時的なことでは死にたくないものですね 超医学的なご回答ありがとうございます

回答No.2

死は蝶々の様なもの・・ この世界の人間は 皆サナギ・・殻を抜け出して蝶になり 死後の世界に行くだけ

myp0120
質問者

お礼

とても哲学的で面白いです 死後の世界に「行くだけ」というところが、いいですね ありがとうございます

  • mitomito
  • ベストアンサー率40% (165/406)
回答No.1

『死』とは、いつか必ずやってくるものだから、自分から迎えに行く必要が無いもの。 生きることは、いつか必ず死を迎えることと密接でコインの裏表のような関係。 上記くらいですかね。 結論は、わざわざ、自殺の必要なし。 毒蝮三太夫さんというラジオパーソナリティーの方が、以下のように話していらっしゃいました。 「人間は生まれてくる時は、みんな泣きながら生まれてくる。 でも、周囲の人々は、笑顔でそれを迎え入れる。 俺の理想は、 死ぬときは、自分は笑って、自分の生涯を閉じて、 周囲の人々は、惜しんで泣いてくれる。って思っているんだ」 という趣旨の話をされていました。 「生きること(生まれること)」と「死ぬこと」の表裏一体性を的確についた表現だと思いました。

myp0120
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます …、この際回答にはなりませんね。答えないわけですから(笑) 「コインの表裏のような関係」って何かいいですね