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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:散り時を誤った人物)

散り時を誤った人物とは?

このQ&Aのポイント
  • 細川ガラシャの辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」について解説します。
  • 備前宰相・宇喜多秀家の人生と関ヶ原の敗戦後の転落について紹介します。
  • 「散り時を誤った人物」の例として考えられる人物について考察します。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#197373
noname#197373
回答No.11

こんにちは。 なるほどガラシャ夫人の「花も花なれ 人も人なれ」 仰るとうり名句でしょうね。 宇喜田秀家、まことに哀れを誘います・・・・ ただ私が救われますのはね、豪姫が島への援助を続けたこと。 秀家の心情いかばかりであったろうか・・・ 散り時を誤った人物、これはまた沢山いそうです。 やはり日本人が浮かぶのは大野九郎兵衛を筆頭とした、 四十七士以外の浅野の家臣の面々でしょうか? 「武士道とは死ぬことと見つけたり」、別に「葉隠れ」を出すまでもない。 私はその最たるもののように思います。 彼らの後日譚として面白い話もありますが、 まあisokenさんとはまたお話することもありましょうし・・・ 場所を誤った人物としては石川数正を・・・ まことに不思議です。 三河以来譜代筆頭の身でありながら、何故? 私が山岡壮八さんの「徳川家康」を読んだのは40年以上昔でしょうか? まあ山岡さん家康を持ち上げてますから、山岡さんではこうなります。 本田作左ェ門は御存知でしょう、 例の「一筆啓上 おせん 泣かすな 馬肥やせ」のあの鬼作左の爺様! その爺様と数正が暗黙の了解のもと別杯を交わして出奔したとしますが、 さすがにこれは無理でしょうね。 秀吉馬鹿ではない。 のちに秀吉の御前で井伊直政、数正を面罵したと史実にあるようですが、 山岡さんの解釈なら井伊直政、まことに千両役者です。 数正と一族の晩年まことに哀れです・・・。 さて、今日なぜお邪魔したかと言いますと、 私がお休みする最後の回答がisokenさんです。 変に気を回されることが、よもまさかisokenさんに限ってとも思いましたが、 言葉にしなければ分からないこともあります。 暑い日が続きます。 健康には十分気をつけられて、鈴虫がなく頃にでもまた・・・

isoken
質問者

お礼

turukamejirou さん、回答ありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。 >宇喜多秀家、まことに哀れを誘います・・・・ 派手好きで家政嫌い、重箱の隅をつつけばそれはもう色々と難点はありましたが、関ヶ原に於いて石田三成が唯一損得勘定抜きで語る事が出来た武将であったろうと、何しろ豊臣家と命運を共にする事を義務付けられたお方でありましたから。 豊臣恩顧の多くの大名家が日和る中、故太閤の期待通り豊臣に忠誠を尽くし、関ヶ原で奮戦した数少ない子飼いであったかも知れません。 さてその後は御存じの通りでして、八丈での50余年彼は何を思い過ごした事であろうか、そんな事を考えますに、はて長命が幸せであったのかどうか・・。 >日本人が浮かぶのは大野九郎兵衛を筆頭とした、四十七士以外の浅野の家臣の面々でしょうか? この方に関しても諸説ありまして、「 忠臣蔵 」 に対する捉え方が多面的となった昨今では、新たな大野九郎兵衛像が演じられたりしておりますが・・。 ただ仮に私が武士であったならば、他人様から後ろ指を指されぬ華々しい死に場所をこそ選びたい、そうは思います。 >場所を誤った人物としては石川数正を・・・ この人選はさすがですねぇ。 歴史を御存じなければこの名前はそうは出て来ない、私も正直記憶の彼方でした。 それにしても酒井忠次と並ぶ徳川家の重臣筆頭にありながら、突如の出奔・逐電(といってもいいでしょう)、秀吉としても徳川家に於ける親豊臣勢力としての期待をしていたに過ぎず、人材としての石川数正を欲しかった訳ではないでしょうから、戸惑った事と思われます。 >本田作左ェ門は御存知でしょう、 この本多作左衛門は強烈な三河気質にして通称「 鬼作左 」、決して主君に阿るだけではない斯様な忠臣こそが、家康をして天下を取らしめた最大の要因であった、そう考えます。 >変に気を回されることが、よもまさかisokenさんに限ってとも思いましたが、 言葉にしなければ分からないこともあります。 少しばかり唐突な御退会、実は少々気に掛かっておりました。 私と似た感性を御持ちでして、貴兄の辛口の御意見を聞けないのは少しばかり寂しい、加えて我が質問へのお得意様、そして何よりやくざ映画を語れる数少ない御同輩、早目のお帰りを御待ち申し上げております。

isoken
質問者

補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

その他の回答 (15)

回答No.5

おはようございます。 あんまり詳しくないのですが、軍師勘兵衛を観ていて、荒木村重がそうだと思いました。 妻子や部下が処刑されても自分だけ逃げのびたってのは、現代人の私でもちょっとありえないなと。 そうまでしてやるべき事があったならまだしも、茶人になっただけでしょう? 自分の首ひとつで多くの命を救える可能性があったなら、そこで散るのが武士だろうって思いました。

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、回答ありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。 >荒木村重がそうだと思いました。 この高名な武将、それなりの武略も度胸も有り、信長に重用されてたちまち頭角を現しましたが、最後の最期で馬脚を露してしまったとの印象ですねぇ。 >妻子や部下が処刑されても自分だけ逃げのびたってのは、現代人の私でもちょっとありえないなと。 >自分の首ひとつで多くの命を救える可能性があったなら、そこで散るのが武士だろうって思いました。 本当に仰る通りでして、有岡城の攻防戦で潔く死を選んでいたとするならば、後世に於ける彼の評価もまた違ったものとなっていたでしょう。

isoken
質問者

補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.4

isokenさん、おはようございます。 そうですね。小川祐忠と赤座直保でしょうか?最後の最後に大谷刑部を裏切り、自分たちの命こそ助かりましたが、除封されてしまいます。 それから、織田信雄でしょうか?小牧長久手で家康と組んで秀吉に対抗するまではよかったのですが、その後、講和を持ち込まれた後、コロッと乗っかり、あとで領地を没収されて騙されましたね。 後は平宗盛、清宗親子でしょうか?壇ノ浦で入水自殺をしようとしたときにつかまって、切り殺されました。

isoken
質問者

お礼

ithi さん、回答ありがとうございます。 お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。 >小川祐忠と赤座直保でしょうか? さて御指摘の両名に関して言えば、大名家の当主たる者、自家の生き残りが最優先事項とは理解しますが、仰る通り余りにも後味が悪い裏切りの結末。 如何に戦国乱世と言えども、見事戦場に華と散った大谷刑部との比較に於いてそのコントラストは明確にして歴然でしょう。 一方金吾中納言の裏切りに依り薄氷の勝利を得た関ヶ原ですが、実は当の神君家康公こそが武士の進退・在り方に明確な美学を御持ちの御仁でして、その尺度に照らし合わせた取り潰しという処分も已んぬる哉、そう思います。 >織田信雄でしょうか? 織田家の公達というこの方の生涯は、その全てを小牧長久手で幕を降ろした、以降歴史の主流からは大きく外れた長い余生、そういった印象を持ちます。 >平宗盛、清宗親子でしょうか? 平宗盛・清宗父子の最期に関しては、概ね歴史の検断者に依りそれはもう見事に酷評されてはおりますが、清盛亡き後衰亡の一途を辿る平氏の屋台骨を支え続けたのもまた事実、壇ノ浦に於いて見事華と散っておれば、或いは違った評価になったのかも知れない。 何れにしても、この時期の源平の不毛な争いは、朝廷の威信を回復しようと画策した後白河法皇その他の蠢動に依り齎されたもの、私個人としてはそう理解しておりますが・・。

isoken
質問者

補足

ithi さん、毎度お付き合いありがとうございます。 尚少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.3

>「 散り時を誤った人物 」 「 死に場所を間違えた人物 」    ↓ 豊臣秀吉 朝鮮出兵以降のミスジャッジ・ミスリードは引き際・死に際を誤ったと思います。 若くして出自の低さゆえのハンディキャップを知恵と人たらしで補い、玄人創意工夫で天下人にまで登り詰めた。 それなのに晩節を汚したのは、その主たる要因は耄碌と依怙地つまり老害だったのでは・・・ 惜しむならば秀次や秀頼に早くバトンタッチするなり、英明な内に、子飼いの大名が要職要地を占めていたり5大老制を人事権&登用の権能を握りつつ強固に固め、大所高所から睨みを利かせておれば、関ヶ原や豊臣政権の滅亡は無かっただろうと思う。 ただし、歴史にifは無いだろうし、豊臣家の存続が、その後の我が国の発展・繁栄に、国益・国威・国運・国際信頼に資する選択だったかどうか、国民(民衆)にとってのベターな幸福な社会かどうかは分からないが・・・

isoken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >豊臣秀吉、 老害或いは晩節を汚したとの御指摘は、まさに仰る通りでしょうね。 我が国及び明・朝鮮の如何なる階層にも苦痛のみしか与えなかった愚かな朝鮮出兵、この事が豊臣家滅亡の有力な要因となったのは明らかです。 政治家としての能力も徳川家康の方が余程上との印象、思考の飛躍が無い分安定感がありまして、恐らく豊臣恩顧及びごく例外的な大名を除き、豊臣の治世はもうこりごりと考えていた大名が殆どであったものと。 但し人間的魅力となれば、やはり歴史上稀有な存在と言わざるを得ず、いまだ人気があるのもまあ頷けますが・・。

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7417/18945)
回答No.2

>「 散り時を誤った人物 」 吉良上野介・・・忠臣蔵以前では、結構名君としての逸話が残されている。 田中角栄・・・ロッキード事件を除けば、有能な政治家。ある意味「吉良上野介」を彷彿される。 ナポレオン・ボナパルト・・・まあやりすぎでしょうね。 >「 死に場所を間違えた人物 」 源義経・・・周囲のやっかみや思惑に振り回された英雄 ジャンヌ・ダルク・・・周囲のやっかみや思惑に振り回された英雄

isoken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「 散り時を誤った人物 」 吉良上野介 ⇒ 近年では浅野内匠頭の株が急降下、一方吉良上野介名君説が流布され、忠臣蔵も従来の解釈及びドラマでのキャスティングが中々難しいようですねぇ。 田中角栄 ⇒ 議員立法の提出数は未だ破られぬ記録であるとか、個人的には戦後の歴代総理の中で、最も魅力を感じる方であられました。 ナポレオン・ボナパルト ⇒ 近代国家・国民国家成立の創成期に忽然と現れ、フランスの国家意識を背景に欧州に君臨したが、他の欧州諸国にナショナリズムが根付くと共に没落した、例えて言えば神がピンポイントでこの世に送り賜うたかの如き人物でしょうか。 >「 死に場所を間違えた人物 」 源義経 ⇒ 世にも稀な軍事的能力には恵まれたが、その一方で政治的センス及び処世術の欠如が、その後の彼の悲劇を招いた、そう考えます。 ジャンヌ・ダルク ⇒ 実は中世キリスト教世界の解釈は非常に難解であると思う一方で、彼女は確かに或る種の政治勢力と宗教勢力に翻弄され、その利用価値が消滅すると共にその生涯を閉じざるを得なかった、そんな感じでしょうか。

  • localtombi
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回答No.1

惜しまれながら辞めるのが“散り際の美学”だと思いますが、そういう感覚を持ち合わせていないのが政治家です。 自分の体調が悪くなってようやく辞め時を考える、しかも子息に託したりします。 私の自治体では80になろうとする議員が、また来年も出ると言っています。 こうなるともう「老害」と言わざるを得ません。

isoken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >惜しまれながら辞めるのが“散り際の美学”だと思いますが、そういう感覚を持ち合わせていないのが政治家です。 全く御指摘の通りとの印象でして、国政のみならず地方議会レベルに於いても、我が国の政治家には見事にろくなのがいない。 政治家を職業と勘違いしている輩が殆どでして、中には辻元某のように、秘書給与という名の税金をネコババし起訴されておりながら、再度立候補する面の皮の非常に厚い豪傑すらおりまして、まあ斯様な候補者を当選させ国政に送り出す選挙民の民度の低さも、目を覆うものがありますが・・。 個人的には議員の世襲制を法律に依り制限すべきと考えますが、こう申しますと憲法14条第1項「 法の下の平等 」及び、第22条第1項「 職業選択の自由 」という基本的人権の立脚精神に反すると、屁理屈をこね回す人が必ずおりますが、そんな批判は糞喰らえです。 それにしても「 政治家 = 家業 」何とも情けないほどに低い意識でしょうか、例えば三菱グループ内には、2親等以内の同一企業への就業禁止という不文律がありまして、民間レベルに於いてすら、かくも厳しく律せられているのに。 いっその事どこぞの国の様に、名誉職に祭り上げて報酬をゼロにしてしまえばとも思いますが、それも実際問題ままならない、悩ましい問題ですねぇ。

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