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司法とは?
専門家の方には当然の理解があると思うのですが、素人目に非常に不思議に見えるので質問いたします。 立法、行政は国レベルと地方自治体レベルにそれぞれ複数あるのに、三権のもうひとつ、司法はなぜそのようになっていないのでしょうか。 最高裁判所を頂点とするピラミッド構造に見えて、実際は各裁判所が独立した存在であるというのも、不思議に思えます。 例えば、行政であれば、市町村レベルの機関に問題があれば、指揮監督をする上部機関に通報するなりできますが、司法はそれができませんよね。 そういう制度だから、というのであれば、それで結構ですので、ご回答をお願いいたします。
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なかなか難しい問題ですねぇ。 専門的に検討したわけではないので、正確ではありませんが、半ば思いつきの回答です。 まず、日本における地方自治の実態を見る必要があります。 たしかに、地方には、都道府県、市町村という行政機関があり、それと平行して、自治体の議会があるという構造になっています。しかし、現実にそこで行われている行政は、ほとんどが、国の法律の支配下にある行政であり、地方自治体といえども、極端に言えば、国の行政の執行機関にすぎないという現状があります。 たとえば、戸籍、住民登録制度、社会保険、生活保護、地方税、公営事業(水道とかバスとか)などなど、日本全国どこに行っても、やっていることはほぼ同じです。これは、基本的に、国の法律が大枠を定めて、その中で、地方自治体の実情に応じて、ちょこっとだけ変えて、行政が行われているからです。 東京都のPM2.5規制とか、京都の古都税とか、いくつかの自治体でやっている歩きたばこ規制条例などがトピック的に話題になりますが、これらは、国の法律が規制していないところに、地方自治体が介入しようとしたもので、全体からいえば、ごく例外的な出来事です。 これに対して、アメリカ合衆国は、連邦の権限が、軍事や外交といったものに限定されており、基本的な行政や立法の権限は、州にあるとされています。日本では、全国一律が当然である民法とか商法といった法律まで、州単位で独自に立法されているわけです。 ですから、アメリカでは、司法も、州の法律を担当する司法機関と、連邦の法律を担当する司法機関があることが当然とされています。 しかし、日本の行政の実情は、先に述べたようなことです。また、行政だけではなく、国民生活に密接に関連した法令は、ほとんど全部が国の法律であって、違う県に行けば、何かがころっと変わるなどということはあり得ないわけです。 そうすると、司法の仕事は、国の法律を用いて裁く、国の法律を解釈する、ということになり、これが、一元的に国の機関によって担当されても,どこもおかしくないということになります。確かに、裁判では、条例が問題となることがありますが、条例でさえ、法律の範囲内でしか制定できないことは、憲法の条文に定められています(94条)。ですから、条例を用いて裁くという仕事も、結局は国法と照らし合わせながらしなければならないことになり、これを国の機関に担当させることは、それなりに合理性があることになります。 憲法が、地方自治を定めながら、その中に司法機関を入れなかったのは、そのような考えに基づくものではないかと思います。 次に、裁判所の構造がピラミッドかどうかということですが、これは、確かに司法行政の面、すなわち、裁判所をどのように組織し、人員を配置するか、という面では、ピラミッド構造をしています。いわゆる上命下服の関係にあります。 しかし、裁判所の本来業務である裁判では、個々の裁判所は独立しており、その事件の処理には、訴訟法の定める手続を守らなければならないことはともかくとして、判断内容については、誰からの指揮命令も受けないという仕組みになっています。これは、日本では、三権分立の中での司法の本質とも理解されているもので、特に政治によって左右される行政を、法律に従って規制していく必要から認められているものです。 控訴や上告の制度を、ピラミッドとみる見方もありますが、これも行政組織のピラミッドとは全く違うもので、最高裁判決であっても、下級審の個別の事件の判断を制約するものではありません。最高裁の判断と異なる判断をすれば、後に、最高裁によって下級審の判断をひっくり返されるので、そのような無駄や、当事者に対する迷惑を避けるために、下級審の裁判官が、事実上従っているものにすぎません。 行政であれば、市町村レベルの機関に問題があれば、指揮監督をする上部機関に通報するなりできます、とありますが、これは、日本の地方自治が憲法によって法律の範囲に制限されているためにそうなっているもので、地方自治体に対して上部機関があるなどということは、理想的な地方自治とは相容れないものです。地方自治は、地方自治体の中で完結している(あたかも1つの国は、その国で完結しているように)のが、本来の姿だという考えの方が,すっきりしています。 市町村レベルの機関に問題があった場合に、それを正すのは、市町村の地方議会であり、その地方議会を選挙する住民でなければならないのです。 それはともかく、裁判所に問題がある場合には、それが司法行政の問題であれば、通常の行政機関と同じく、上部の機関に通報することも可能です。上部の機関が、それは正しくないと認めれば、それを正すことになります。 しかし、こと裁判の中身に関しては、そのようなことは、およそ不可能です。何か通報したとしても、黙殺されるだけです。それは、司法権というものが、個々の裁判官であったり、裁判体(合議体)によって、独立して行使されなければならないという、司法の本質(西欧諸国の採用する本質であって、たとえば中国などは違う。)に由来するものです。 ちょっと中途半端でまとまりがありませんが、こういうことでどうでしょうか。
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- hekiyu
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これは司法の独立という司法の本質に関わる 問題です。 民主制下ですから、裁判官も選挙で選ぶ、ということ も十分考えられます。 どうしてそうしないのか。 選挙では適切な人材が得られない、ということも あります。 しかし、選挙で適切な人材が得られないのは立法府でも 同じです。 事実、政治家は選挙のプロかも知れませんが、必ずしも 政治のプロとは言えない場合も多々あります。 司法だけ選挙で選ばない、というのはどうしてでしょう。 それは民主制には欠陥があるからです。 民主制、というのは、事実上多数決になりがちです。 つまり、民主制下では少数者の利益、権利が護られ 無い怖れがあります。 其れを是正するために、あえて司法を非民主的な構成 にしているのです。 司法の独立を保ち、上部機関である裁判所の関与まで 排除しているのは、まさに司法が少数者の利益、権利を 護るための機関だからです。 その行き過ぎを阻止するため、三審制度を設けている という図式です。
- takeup
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>立法、行政は国レベルと地方自治体レベルにそれぞれ複数あるのに、三権のもうひとつ、司法はなぜそのようになっていないのでしょうか。 司法を司る裁判所も国レベルの最高裁判所と地方自治体に一つずつ(北海道だけは4か所)の地方裁判所があります。 >最高裁判所を頂点とするピラミッド構造に見えて、実際は各裁判所が独立した存在であるというのも、不思議に思えます。 各裁判所が独立した存在といっても、その判断基準の多くは最高裁判例に拘束されており、ほぼ最高裁を頂点とするピラミットッ構造を形成しています。 >例えば、行政であれば、市町村レベルの機関に問題があれば、指揮監督をする上部機関に通報するなりできますが、司法はそれができませんよね 簡裁や地裁の判決に不服があれば高裁、最高裁と上級裁判所に控訴、上告できるという制度となっています。判決への不服では無く、行動への不服であれば国会の設置する弾劾裁判所に提訴することが出来ます。
お礼
そもそも権力のありかというものが国に原則集中している為、という意味かとお読みしました。わかりやすい解説、ありがとうございます。