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死んで花実が咲くものか
- 死後の世界がなく、全く無になることを前提とした言葉であり、この世に生きている時間が長いほど幸せだという考えを表しています。
- 私は輪廻転生を信じ、生まれてくる理由は修行・カルマの清算だと考えています。生きていて楽しいと感じたことはなく、早くあちらの世界に帰りたいと思っていますが、寿命が尽きるまでこの世での務めを果たさなければならないと諦めています。
- 「死んで花実が咲くものか」という言葉は、今の人生が楽しく、死後の世界がないと信じる人が発したものです。この言葉は自殺を防ぐために言われることもあります。自殺は与えられた現世の修行期間を途中で終わらせる行為であり、自由ではあるが絶対に行ってはいけないものです。
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うーん、確かにそうですな。 俺も、問われれば「自殺なんて考えるんじゃない、生きていればそのうち・・・」なんてベタなこと言うだろうけど。 「じゃあ、今の日本には生きる価値なんかあるんですか?」と真顔で言われたら、反論できないし。 かといって、人生終了の、向こう側に戻る一つの手段として認めるのも、本能的に無理だな。 死んでどうなるってんだ、ではなく自然に寿命が尽きるまでは「出来るだけ、生きる方を選択して欲しい」としか言えません。
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- fuukakou
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輪廻転生があると思っての解釈ですと、私は逆に 途中で修行を放りなげて逃げ癖がついたら いつまでたっても一つの修行の成果が得られず、延々とこれ繰り返すだけだよ。 死ねば終わるって思ってるなんて甘いんだよ。 的な戒めの言葉のような気がします。 寿命切れでお終いでも、 「はーい。今回出来ませんでしたね。次回もまた同じコースになります。 今回の失敗を踏まえ、次回の対策を考えましょう。 あ、次はいついつですのでそれまでに準備をお願いします。」 とか言われそうでとても嫌なのですが…
お礼
ありがとうございます。 輪廻転生で魂の向上をはかるために、現世に生まれてくるのは事実らしいですから、この言葉もおっしゃるとおり、途中で修行を勝手にやめて逃げ出してもまた同じことを繰り返させられるだけで意味がないよ。ということをわからせるための戒めかもしれないですね。 ちゃんと寿命まで生きた場合は、よほど悪行三昧でなかった限り 普通のところへ行けるようです。これも非常にたくさんの段階に分かれているらしいですが。 臨死体験した人の話では、大体はこの世では決して見られない素晴らしい世界を見てくるみたいですね。なので、もうこちらに戻りたくないと感じるようです。そんな世界でせっかくのんびり過ごしてるのに、時期が来ると次の課題を与えられてまたこちらに送り出されるということのようですが、きりがない気もしますね。
- 177019
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「死んで花実が咲くものか」、これは「今を諦め」という念仏の世界から来ていると私は思います。時代劇を見ても分かるように昔は「心中」、とか同じように思い悩んで自殺とかがありました。そうした時にこの言葉が使われたと思います。今でも演歌の世界では「連れて逃げてよ」「俺を捨てて、あいつと逃げよ」とか、こうした現実逃避が人々に人気があります。又貴方が言われる「あちらの世界」、自殺する人は「今を諦めて精神的に楽になろう、だから自殺すれば他の別な世界がある」等と思っている訳です。あちらの世界もこちらの世界も結局は同じ事なのです。このような「死んだら別の世界があるような」、と言う日本人に考え方を植えつけたのはやはり念仏の僧、法然・親鸞ではないですか?
お礼
ありがとうございます。 なるほど、念仏が関係してるのですか。言葉面からは、確かに仏教色を感じますね。
- gouzig
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あなたのお考えもあっていいと思います。 ただ、それを他人に教えたり、強制するようになったら、多分どんどん嫌われ、孤立していくと思います。
お礼
別に、他人に強制する気など毛頭ありませんが。 信じる、信じないは個人の自由だし、質問の主旨は「死んで・・」という言葉の意味をどう考えるかです。従って、私の考えは本文に書いたとおりですが、いろんな解釈があるだろうと思い他の人の考えをお聞きしたわけです。 御回答からは、あなたは死後の世界など話す人間が嫌いとお見受けします。友人などともよくこの種の話をしますが、お互いの意見の相違はあれど、嫌われ孤立は別にしてませんね。 ですから、認識を改められたほうがよろしいと思いますよ。
- kyoromatu
- ベストアンサー率14% (746/5024)
正解は人それぞれの価値観でしょけど 最大公約数的妥当解は故事由来ということになるでせう
お礼
ありがとうございます。 おっしゃるとおり、個人個人の人生観・価値観で考え方は百人百様でしょうね。特にこういう生死に関わる問題はその傾向が大きいと思います。
- ohinasama144
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>一分一秒でもこの世にいる時間が長いほうが幸せだという考えのようです。 たぶん、違うと思います。 この言葉の中に、死後の世界観は入っていないと思います。 この言葉は、死にたいと思っている人に対して、「どんな状況にあっても、生きていれば、いつか良いことがあるよ。死んでしまったらその良いことに巡り会うことも無いよ」と諭す言葉だと思います。 質問とは、ずれますが、輪廻転生については、もしあるとしたら、 あの世の人からしたら、あなたみたいに、仕方なく生きていた人が、来るとしたらどう思うでしょうね。 学生(この世の人)が、会社(あの世)に就職しに来ました。 仕方なく学生やってた人を見て、どう思います?
お礼
ありがとうございます。 確かに、この言葉は直接には死後の世界観とは無関係でしょうね。ただ、死ねば楽しいこともなにもないのだから・・というニュアンスなので、基本的に死後世界を否定していると思われます。 臨死体験した人の話では、大部分が信じられないほどきれいで素晴らしい世界だったと言っているようです。もう、こちらに戻りたくないくらいだとか。ただ、自殺したりこの世で悪行三昧だった人は残念ながらやはり、違う世界に行かされるらしいですね。現世にいる間の生き方はやはり重要なようです。 後半ですが、仕方なく生きてる人はけっこう多いと思いますが。 そもそも、全ての人が自分の意志と無関係にこの世に生まれさせられてきますよね。気がついたらこの世にいたって感じです。 決して楽しいことが多いわけでもなく、むしろ苦しいことが多い現世なので、なぜこんな世界に居させられるのか・・でも、生まれて今ここにいる以上、自殺するわけにもいかないしまあ寿命が来るまでは仕方ないなあという人もけっこういるでしょう。 それも修行の一部であり、むしろ死んであちらへ帰ると出迎えのあの世の人が「長い間ご苦労様」とねぎらってくれるという話です。
- hucha
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死んだらそれまでです。死んではもともこもないので、普通なら死にたがる人を止めるでしょう。私はあの世や輪廻転生は信じないことはないですが、ただあろうがなかろうが興味がありません。 「死んで」どうなるか?知ったことではありません。死んだらどうなるか、死に損ないしかわかりません。仏教の教えでは自殺で命を絶つと地獄に堕ちると言われてます。天理教では「御霊様」として先祖霊が神様として崇められています。 私は幽霊でも自殺者でも死に損ないとしか思えないので宗教的な理念のもとでの天国、あるいは地獄は偽りと思ってますよ。 私は死ぬことには興味が持てません。死んではそれまでですし、ましてや自ら命を絶とうとする行為は必死に生きている人や自分がご飯(命)を食べて生きてきた自分対して失礼な行為と思ってますよ。
お礼
ありがとうございます。 自殺を止めるのは正解ですね。それは、死んだらそれまで、というよりもっとひどい目にあうらしいからですが。 定められた寿命までこの世の人生を全うしないと、本来生きるはずだった年齢まで、あの世に帰れずこの世に縛り付けられるようです。
お礼
ありがとうございます。 同感ですね。今朝の新聞の投書欄に「前は、死後また生まれ変わることを夢見たが、最近の日本の状況を見てそんな気はなくなった。男なら、成果賃金でこき使われ過労死か集団的自衛権とやらで戦死かも。女ならお国のために産めよ増やせよ、家庭に閉じこもらず仕事もしろでこれも大変。なので、いよいよとなっても延命措置など絶対にしてほしくない。」というものがありました。正しく「生きてればそのうち・・・」なんてセリフは絵空事にしか聞こえない社会ですね。 こんな末期的世界でも生きざるを得ないのが理不尽で仕方ないですが、それでも自殺は不可となるとこんな時代に生かされてる何か理由があるのかな、とか考えてます。この辺は人知の及ばざるところかもしれません。