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論述式の試験
大学の期末試験に関して質問させてください。 よく論述式の試験が大学の講義などでは試験方法として用いられますが、正直論述とは言えない書き方でも好成績を取れている人が多いような気がします。 また、その結果論述と説明や記述との違いがよくわかっていない学生も多いような気がします。 もちろん大学の教授はこれらの言葉の使い方をわかっていると思うのですが、なぜ論述とは言えないもの(例えば歴史のテストで講義で学習したことを時系列で並べただけのようなもの)も好成績になるのでしょうか。 やはり、教授の学生に対する慈悲なのでしょうか。 教えていただきたいです。
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慣用的に「論述式」と呼んでいるだけであり,期末試験レベルでは,正確な知識を持っていてそれを要領よく「記載」できるかどうかをみているのです。ぼく個人は,「・・・について論じなさい」という表現の問題を出したことはなく,「・・・について説明しなさい」と問います。そこには「正解」も「満点」も存在します。 「論じること」や「自分のオリジナルな考えを述べること」を求める場合には,レポートの形式にします。それでも本格的な「論述」は求めていません。そんな手数がかかるものは,卒業論文までとっておきます。これは名称も「論文」ですから。 これは専門分野にもよります。ぼくが書いたのは,教科書をつかって定説を教えることができる分野についてです。
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- TANUHACHI
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敬愛するP先生から適切な回答が寄せられていますので野暮は申しません。 「論述式」と「短答式」に設問形式は分かれますが、その論述式(記述式)の設問も「○○に関して説明して下さい」との形で、実質的には講義で扱った内容をどこまで理解できているかを問うだけの話です。 学部の4年間といってもまだまだ勉強の仕方すら身についていない状態です。「○○について論ぜよ」としても不合格答案が続出するレベルですので、そんな無理を僕らは求めもしません。 歴史学の試験であっても、歴史学概論の講座ならば、歴史研究の方法論がこれまでに辿ってきた系譜を簡潔にまとめよとの出題をすることは可能であっても、高校の日本史や世界史で扱う5W1H形式によるデータの羅列を求める出題などするはずもありません。 専門課程での歴史学でも、せいぜい専攻を受け持つ教員が受け持つ講座の内容および付随する部分までで、たとえばそこに原史料を示し、それを読み下したり、傍線を引いた部分の説明を求めるなどの形です。 それが記述式回答の意味です。もし質問者様が定期試験で「○○について論ぜよ」との設問に出会ったならば、どの様に応えますか?。僕はむしろそちらの方に興味があります。大言壮語する輩ほど実際の実力が大したものではないことを僕らは長年の間に肌身で感じてもいますから。泰山鳴動而鼠一匹。
補足というか,批判というか,愚痴というべきか・・・ >教科書をつかって定説を教えることができる分野 なかには「私の分野には教科書は存在しない」なんて豪語する教員もいますが,そんなものは大学で教えなくていい。大学には辞表をだして,私塾か教団でも開きなよ。 あなたの不満も,そういう方向にも向かっているのですか?
お礼
回答ありがとうございます。 やはり教授も学生に対して本当の意味での論述を期待しているわけではないのですね。 私の分野には教科書は存在しないという教員… 私の学校にもいるかもしれません。
お礼
やはり試験である以上講義の内容を問う、という意味合いが強いのですね。 私も正直論述の書き方などまったく出来ていないと思っていますし、結局は勉強の仕方すら身についていないうちの1人です。 ただ、大学教員はどんな意図をもって試験を作っているのか気になったので質問させていただきました。