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食うか食われるかの生い立ちの方がつよくなれる?
- 私はある程度の規制は必要かと思います。そして、今の「平等論」私は勉強やスポーツの出来不出来を云々以前に成績張り出しマラソンの順位廃止などはおかしいと思いますし、競争することはあっても良いかと思います。別に「君が代」や「日の丸」も反対ではありませんし、国防もある程度必要かと思います。
- 唯戸塚ヨットスクール的なところは基本的な事は聞くが絶対服従は出来ないという人間が嫌われ普通に云っても云う事を聞かない人間が強権さの強さ怖さで絶対服従し、適度に弱い者いじめを行う人間の方を良いとしております。やはり正しさより強いから怖いから従う人間が良いのでしょうか人によってはは普通に躾ると云う事は聞くが上に行けない軟弱者で体罰無条件肯定いじめ推奨で越える強い精神を作ると云っておられます私自身にも言える事ですがその様な人間が日本から少なくなっている事を憂いているのですね?
- 唯クラスメートとの関係も以上でも以下でもなくそれぞれで良いと云う人間は超えられない軟弱者でボスになるべく争い続ける人間が良いような感覚である事が矛盾に感じますが、例えば、スポーツで強くなりたい、付いていけない、他の分野で頑張ると云う人間よりも、付いていけない他に選択肢が無い死んだ方がまし、と云う感覚なんですね?例えば、サッカー漫画「キャプテン翼」で主役大空翼は「ボールは友達」「強くなりたい」と云う純粋な人物と書かれておりますが、日向小次郎は執念を試合にぶつけると云う設定ですこの日向小次郎タイプこそが強い精神を造るが、この様な人物が少なくなっていることを憂いているのですね?唯、この手の人物が最頂点になると困るので、怖い存在を置き、それに従い、暴走しないようにすると云う仕組みなんですね?偏見で済みませんが、韓国の若者等はその様なタイプが多いのですねご回答宜しくお願い致します。(別に嫌味で書いているのではありません、私は食うか食われるかの人生を経験していないので、越えられない軟弱者です その様な人間が今増えているのを憂いているのが戸塚宏氏や田母神俊雄氏なんですね)
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>今の「平等論」私は勉強やスポーツの出来不出来を云々以前に 成績張り出しマラソンの順位廃止などはおかしいと思いますし、競争することはあっても良いかと思います。 競争することは大切なことです。競争があるからこそ人も企業も伸びるわけです。例はいくらでもあります。戦後の日本には120社を超えるオートバイメーカーがありました。その頃はオートバイと言っても自転車に補助エンジンを取り付けた程度のものでしたが。しかしこの狭い日本でそれらの企業が切磋琢磨して今や世界に冠たるオートバイメーカーになりました。ホンダ、スズキ、カワサキ、ヤマハと、オートバイ乗りの憧れブランドです。 基本は自由競争ですが、そこには自ずとルールがあります。これを正しく指導するのが行政の役割です。日本に於いては、第二次産業への行政指導はそれなりに正しく行われたと思います。だからこそ粗悪な玩具のようなものしか作れなかったメーカーが世界屈指のブランドに成長できたわけです。ソニーも発足当時は間違えば火事になる、危ない「電気座布団」なども作ったそうです。 行政が失敗したのは農業です。品種改良面ではよくやっていますが、生産効率は最低ですね。競争が無かったからです。米は競争が無かったというか、させなかったので、世界最高値のものになってしまいました。米を作らない農家にお金を出し、作るとペナルティーという、とんでも政策の結果です。外圧があって、これも間もなく改まるとは思いますが。 平等の概念ですが、何でも均等というのは本当の平等ではありません。昭和40年代に各地の高校で学区制が敷かれました。それまでは偏差値の高い公立高校に成績のよい生徒が集中していましたが、それが「教育上好ましくない」として、住所ごとに行ける高校が限定されてしまいました。その結果、公立高校の偏差値が均等化され、というと聞こえは良いですが、勉強の良くできる子は退屈で、そうでない子は授業についてゆけなくなりました。家庭が貧しくても優秀な生徒なら、それまでは公立の安い授業料でレベルの高い教育を受けられたものが、公立のレベル低下の結果、ハイレベルな教育を望むには、授業料の高い私立に行かざるを得なくなりました。これで家庭の貧しい子の教育の機会が奪われてしまいました。 物の乏しい時代には平等=均等で良いのです。例えば戦時中は煙草を吸う吸わないにかかわらず、大人には煙草が配給されましたし、大飯喰らいか小食かにかかわらず食料の配給量は同じでした。 しかし物が豊富な時代には平等≠均等です。優秀な子にはレベルの高い教育を、成績の悪い子には落ちこぼれないような教育が必要です。最近になって、公立のレベルを上げる努力をしているようですが、一旦私立になびいてしまった風潮を一朝一夕に改善するのは難しいでしょう。 >スポーツで強くなりたい、付いていけない、他の分野で頑張ると云う人間よりも、付いていけない 他に選択肢が無い 死んだ方がまし、と云う感覚なんですね? 子供たちに「スポーツしかない」という誤った概念を植え付けるからいけないのです。人間にはそれぞれに得意分野があるのです。スポーツの不得手な子でもどこか良いところがあるはずです。それを見つけ出して伸ばすのが教育者や大人の務めです。こんなことを言っちゃ悪いかもしれませんが、体育の教師とか学校の運動クラブの指導教員の中には結構レベルの低い、粗悪な人物が多いような気がします。スポーツの落ちこぼれにも、よく見れば必ず良いところがあるわけで、そういうところを見出して伸ばしてやるのがそういう立場の人間の役目です。そもそもスポーツで大成する確率は一般社会でそれなりの実績を残す人の割合と比べるとうんと低いのですから。スポーツのダメな子にはスポーツだけが人生じゃないよと教えてやらなければいけないのに、ある種のスポーツバカはそれができないようです。 >その様な人間が今増えているのを憂いているのが戸塚宏氏や田母神俊雄氏なんですね 両氏とも右側の人から支持されているようですが、私は戸塚氏の方はちょっと違うと思います。不登校や自閉症の子を暴力で従わせて治すというのは只の暴論でしょう。不登校や自閉症にはそれなりの原因があるわけで、原因究明をしたうえできちっと対応をすべきです。十把一からげに強圧的に従わせるというのは、科学的根拠がありません。「治った」とうそぶいていますが、これは怪しい新興宗教を信仰したら「病気が治った」「幸せになった」というのと同じレベルです。
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- mikemikesan
- ベストアンサー率6% (14/202)
私は第二次ベビーブーム世代です。 私の時代までは学校では体罰(中学時代の体育の顧問なんかやくざか!って思うような体罰)があり塾ではスパルタ教育それでも高校時代はバブルだったこともあり将来に夢を持ち頑張ってる人も多かった。 (しかし頑張って大学に進学した人に待っていたのは就職難、高卒はバブルで就職しました) 全てが競争 そのおかげで子どもの頃にある程度自分を知ることができました。 向き不向きや人との距離のとり方って意味ではね。 しかし私の中学時代の友達は誰も中学時代をいい思い出なんて言いません。 しょせん恐怖で子どもを抑えていたんですからね。 今の時代勉強は競争しかしその他は平等はおかしな話ですね。 今までいろんな時代がありそれなりに良し悪しがあった。 それらを考え見直せば今の教育の道が見えそうなんですけどね。 早熟な子もいれば遅咲きの子もいます。 なのに年齢で学年が決まる教育が問題だと思います。 スパルタも競争だけでも人は育ちません。 質問と違うかもしれません・・・ごめんなさい・・・
- simonmagus
- ベストアンサー率30% (210/689)
質問者様の描く世界は上に媚び諂い、下に高圧的で底意地の 悪い、お隣の国のような社会になってしまいます。 平等論は確かに無理がある。 法の下の平等も拡大解釈を続 けると強さを抑圧して、楽な生き方としての弱者に甘んじるよう になります。 結果、人間のポテンシャルを下げる。 だけど、食うか食われるかだからこそ、力にのみ頼るのは危険 だと考えます。 暴力を振るう者が強いのではなく、暴力に決して屈しない者が 強いと教えねばなりません。 感情的で非論理的な暴論を押し止めるのは、論理的な思考と 適切な言葉を選べる教養と、皆の賛同を得られる弁舌が必要。 「文武両道」、もちろん極めればどちらかに重きを置くようになる でしょうが、成長期に知性と肉体を鍛えないで、何時鍛えるのか と思います。 知性と肉体を鍛えれば必然的に精神は強く豊かになる。 潔い死を日本の美徳にしてはならない。 危機的状況に瀕しても決して諦めず、最後まで何か手段を模索 して活路を見出そうとする者を育成したほうが良い。 個人の力も力なら、組織力や団結力もまた力です。 このような多数をまとめあげられる人物の力もまた必要。 質問者様の仰る食うか食われるかの教育を「スパルタ教育」と 呼びます。 wikiで検索ください。 まさに7歳より同じ規律の下、生活と学習も一緒に行われた。 規律は「命令服従すること」「試験に耐え、闘ったら必ず勝つこと」 などで下着姿に裸足で訓練を行った。 上官による体罰 も全裸で行われた。 また、意図的に十分な食事を与えず、大人の食事や畑の作物を 盗ませるようにした。これは、盗みによって兵士の能力としての 大胆さや狡猾さを身に付けさせるためであったとされる。 元来のスパルタ人は優れた金属工芸技術によって大きな経済力 を有していたが、国民皆兵制度の導入以降は商業は2万人の半 自由民であるペリオイコイに従事させたが、基本的には通商では 抑制策を採り、鉄貨の使用しか認めていなかったので他の諸都市 との貿易は振るわず、かつての技術力も衰退した。 以上引用しました。 極端すぎる政策は歪を生みます。極限の体験やスパルタ教育は 短期間の研修のような形ならば良いかも知れませんが、教育を それで一色にするのは弊害のほうが大きくなります。 一、二週間の山岳やジャングルでのサバイバル生活でもさせれば 、充分に逞しくなるとは思います。 ですが、学校教育の期間ずっと極限の環境におくのはデメリットし か思いつきません。 何か一つ武道(剣道・柔道・空手・弓道など)を身に着けさせる程度 が限度かも知れません。 広域暴力団の組長ですら腕力で決まるわけでありません。 命令への絶対服従は軍隊と警察の組織では重要なものです。 それがないと戦術も戦略もない烏合の衆でしかない。 義務教育から高等教育を選択する段階で自分の適性や目標の ない者は親や教師が何らかの将来の道筋を与えてやる必要も あります。 世の中の6割くらいの人間は職業選択の自由なんてあっても、何も 決められないものです。 ここで相談している大半の者の内容は思考停止状態か決定する覚悟 を保留して夢と現実の区別がつかぬものが多い。 分相応が理解できずに苦しみ続けています。 誰も、親でさえも強制できない社会では自分で自分を叱咤激励しながら 前に進むしかない。 自由であるほうが厳しいのです。
- marissa-r
- ベストアンサー率21% (634/3008)
ハングリー精神がなくなっちゃったんだよね まるで無菌状態 多少のリスクや不便さから生まれるもは沢山あるのに… ゆとり教育が良い例でした 名前こそ良いけどね…(*_*) 私の娘は、ゆとり教育でした 授業参観に行って、ビックリしましたよ 授業中、勝手に何かを探し廊下まで出てしまう子 それを見て見ぬふりして注意もしない教師 教育委員会が気になって親の顔色を伺うし …何だろ、子供を育てる為の教育ではなく 収入を得る為の教育、なのかなぁ… 生まれた時から電化製品が揃って 欲する時にスグ手に入って 我慢しない、工夫しない そーんな中で育って来ては、それが当たり前になっちゃう タフじゃないよね 思い付いた事を書いちゃったので回答になってなかったら、ごめんなさい
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
言いたいことは分かります。 最後の「その様な人間が今増えているのを憂いているのが戸塚宏氏や田母神俊雄氏なんですね」 →そうだと思います。 しかしながら、戸塚宏氏のスパルタ教育は極端です。 不登校などの子供をスパルタ方式で教育しようというのは無理があります。