男女の友情あり派の言い分ってこうですか?
まず、男女の友情の定義をここでは
「異性愛者が同性の友達と接するのと同じように二人で食事しても、お酒を飲んでも、お互いの家に泊まっても、二人で旅行しても性的な興奮(意識)を一切感じない関係」とさせていただきます。
この定義は私が勝手に決めたものですので異論はあると思いますがこの定義を前提にコメントをいただけると幸いです。
この定義を前提に考えると自分自身だけでなく、他人に対しても同様の解釈となるので
「他人の男女の友情を肯定するということは、他人とその異性の友達が同性の友達と接するのと同じように二人で食事しても、お酒を飲んでも、お互いの家に泊まっても、二人で旅行しても性的な興奮(意識)を一切感じない関係を認めること」となります。
以上を踏まえてですが
男女の友情があるという人でも自分の恋人の男女の友情まで肯定できる人はほとんどいません。
自分には絶対、なにも起こることがあり得ない異性の友達がいると言っておきながら、
恋人が異性の友達と二人きりで過ごすことを嫌う人は多いです。
その理由として、恋人同士のマナーなどと言っていますがマナーと言うのは、相手に求めるモノではありませんし、
結婚もしていない恋人がどんな異性とどんなことをしても基本的に問題はないはずです。
(恋人はあなたを満足させるために存在しているわけではありませんから)
そう考えると多くの男女の友情あり派の人は、男女の友情が成立していると言ったところで
友達の気持ちも完璧に理解できない上に将来的に恋愛感情が湧かない、性的意識を持たないという可能性を完璧に否定できるものではありません。
結局のところ、男女の友情あり派の人も男女の友情には懐疑的であり、自分が異性と遊ぶための免罪符のように使っているようにしか私は思えません。
免罪符に使っている例としては
現実的にはお互いに性的意識をしているが友達同士という理由で関係(性的関係じゃないですよ)を継続し、その関係を美化(恋人予備軍というような言われ方を避ける)しようとしている、などです。
みなさんはどう思いますか?
お礼
そうですよね 恋人がいるのにスマホの住所録に異性の電話番号とかあるのおかしいですよね。