• 締切済み

大江山と生野と丹後と都の位置関係を教えて下さい

和歌 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立 における「都」、「大江山」、「生野」、「天の橋立」、「丹後」の地理的関係を教えて下さい。 都・・・大江山・・・生野・・・天橋立・・・丹後 の順でいいのでしょうか?

みんなの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.3

この歌が詠まれた1010年頃と言えば藤原定頼が未だ15歳の生意気盛り、つい和泉式部の10歳ほどの子娘に「丹後にいるママが恋しいだろう」「オッカサン差し入れの歌は届いたかい」とちょっかい出したら、ぎゃふんと言わされた有名な歌ですから、ここはやはり子供たちにとっては妖怪が恐ろしい「丹後の大江山(千丈ヶ嶽)」でなければインパクトが足りないでしょう。 もちろん、当事の誰もが、論理的な位置関係を追えば京都の「大枝坂(京都市境の老いの坂)」から福知山市生野、そして丹後の大江山越しでの丹後の天橋立であることは皆承知の上でしょう。 その本来のルートはそれとして、母のいるそこは鬼の住む遥か秘境の地の更にその先であることの強調のためにあえて「大江山」自体さえ二重に掛けて見せた、その10歳(一説は13歳)の実にこまっしゃくれた才能の冴えのほどを愉しめば好いでしょう。 なにしろ母の和泉式部でさえギャフンと言わせたほどの才女であり、これからほんの10年余りの26歳(1025年)には病没した稀有の歌人だったのですから。  鳴くかとて聴きに北野の時鳥 と、鳴かないとさみしがる和泉式部に代わって、  鳴け聞こう聴きに北野の時鳥 と命じたら、すぐに時鳥も驚いたのか鳴きだしたほどの伝説の娘なのですから…信長か。 なお、酒呑童子の大江山も大枝山だったという説もありますけど。 山田邦和「源頼光の妖怪退治1」 http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo20.html

banzaiA
質問者

お礼

ありがとうございます。 地理的関係よりも心のやりとりを重視しようとの教唆、ありがとうございました。 確かにここの問題は地理的関係がどうのこうのというところではないですね。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

    大江山(大枝山)には下記のように二説あります。     http://saidaikaruta.web.fc2.com/koshikibunonaisi060.html

banzaiA
質問者

お礼

やはり二つの説があるのですね。 どちらも解釈として成り立つ物でしょうか? ありがとうございます。

回答No.1
banzaiA
質問者

お礼

ありがとうございます。 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立 において、 私も 都-生野-大江山-天橋立 と思っていましたが、 いくつかの参考書に 都-大江山-生野-天橋立 のように書いてあったので。