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心優しい方へのお願い
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- 危篤状態のおばあちゃんへの思いと葛藤
- 乗り越え方を知りたい
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質問者が選んだベストアンサー
それはね、誰でもそうなんだよ。 ほとんどの人は、君と同じに思ってる。 実の娘でもね。 それは間違いない。 「危篤状態」というのは「ほぼ助からない状態」ですよね?。 9割は助からない。 しかも、その期間が3ヶ月間とかなり長い。 そうなってくると「早く楽になって欲しい」と周りは思うし、周りもその次の段階「早く楽になってくれればなぁ」を考えだすんです。 人が死ぬってことは、悲しいことである他に「大変なこと」でもあります。 遺産の問題や、死亡してからの手続きの問題、お寺の問題、等々、様々な雑多な問題があります。 それらを片付けて、やれやれ、というのが本当のところ。 悲しんでばかりもいられないし、やることは山積みだし、それに加えてそれがいつなのかがわからない、となれば、そりゃあイライラもします。 悲しいのは悲しいのだけど、悲しむことって「限度」があるものですよ。 人間はそう出来てる。 葬儀の最中だってお腹がすくし、個人の顔を見ながらおむすび食べていたりね。 思い出話したりして、笑ったりする…そういうのが「普通」なんです。 あなたも同じじゃないですか?。 悲しいのは悲しいけど、アーティストのコンサートに行きたい。 オムツを変えるのは、臭いし汚いから嫌だ。 それはね、誰だって同じなんです。 私は違うよ、っていう人ほど、自分に嘘をついてるものです。 嫌なものは嫌だし、好きなモノは好き。 それこそ、当たり前の人間の感性です。 あなたは酷くなんか無いよ。 それはわかって。 その上でもう一度、今、コンサートに行くべきなのか?を問いなおして下さい。 出た結果こそが、最良の選択だと思います。 君はよくやってる方だよ。 自信持てばいいよ。
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- cantaman
- ベストアンサー率40% (2/5)
私にも、20数年前に同じようなことがありました。アナタと同じように、早く死んでくれないかと思ったことがありました。大好きであり尊敬もしてた祖母でした…醜い性格なんかじゃないですよ…誰しもがそう思うんじゃないかな?遊びたいのに遊べない、コンサートに行きたいのに行けない…そのころの私の取った行動は、遊びたい時は遊びましたし行きたい所には行きました。ただし、必要最小限でしたが…ひいばあちゃんのことも大切ですが、あなた自身を見失わないようにしてください。ひいばあちゃんもそう思うんじゃないかな?
お礼
自分だけがそう思ってしまうのかと思っていました。 ひいばあちゃんは、今は言葉も話せないけれど、やりたいことをやってこそ一人前になれると言っていました。 本当に、ありがとうございます。あなたにも、ひいばあちゃんが言っていたことにも、救われました。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
私の母の話をします。 私の母は、私が大学生の頃に他界しました。脳溢血でした。 一時は命を取り留め、障害は残るものの帰宅し家族で介護をしながら生活をしていました。しかし、私も姉も大学生だったので、質問者様同様遊びたかったのです。 母には快適な生活を送ってもらいたいので、一生懸命介護をしました。しかし、それが1年も続くと、家族全員みんな疲れてくるのです。そして、その介護は母が亡くなるまで続くのだ、ということにだんだん理解が及ぶようになると、みんなイライラして喧嘩が耐えなくなりました。 その頃の私は「母が早く亡くなってくれれば、楽なのにな・・・」と真剣に考えていました。もちろん、本当に死んでほしいわけではありませんが、心の底からそう思ったのです。 たぶん、家族全員同じように考えていたでしょう。 結局、母は2年の闘病生活の後、2ヶ月ほどの植物状態を経て他界しました。最後の2ヶ月は何もすることがないのですが、医者から「いつ急変するか分からないから」と家族で交代しながら24時間、付きっきりでした。 母が他界した後、最初に思ったのは「これで思う存分寝れる」ということです。悲しみはありましたが、予定されていたことですので、それほどの痛痒はありませんでした。いや、なかったというより疲れすぎて麻痺していたのでしょう。 葬式が済み、49日が済み、納骨も済んで、ある日突然悲しみがやってきました。 本当につらいのはそこからです。 でも、今でも不思議と「死んでくれると楽なのに」と思ったことは後悔していません。それは、自分なりにできる限りのことはしたからだと思います。母が亡くなって20年、いまだに悲しみは薄れませんが、病気に倒れた母を一生懸命介護したと悔いはないからでしょう。 質問者様も今は大変でしょう。また、お亡くなりになった後は、相当の悲しみも襲ってくるでしょう。 それを乗り越えるのはただひとつ「今自分ができることは、精一杯やっておく」ということです。 「死んでほしい」と思うのは普通です。質問者様の周りの家族もみんなそう思っているでしょう。でも、一度でも大切な身内を亡くしたことがあれば、そうは思っても、亡くなった後の後悔のほうがつらいことを知っているのです。 ですから、どのように思っても、自分ができることはだけは、やっておいてあげてください。 それと、何があっても葬式だけはちゃんとでたほうがいいと思います。葬式は死んだ人のためにやるんじゃないんです。残った人たちがちゃんと悲しみを整理できるようにするのが葬式なんです。
お礼
こんな赤の他人の私に、長文でわかりやすく、言葉をくれてありがとうございます。 あなたは三ヶ月よりももっと長い間、やるべきことをやって素晴らしいと思います。 死んでほしい、遊びたい、って思うことが、Dからすると、恩知らずで最低な人間と言われたので、自分でもそう思ってました。 自分の大事な人が亡くなったことは一度もまだありません。少し、その後がこわい気もします。 だけど、やれることを精一杯やる、は正しくて、普通のことですよね。精一杯やろうと思います。 自分は残酷だとばかり考えて、やれることをやるという考えが全くありませんでした。 貴重なお言葉ありがとうございます。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
こういう話を聞くとホントに安楽死の導入は必要だと思います。 私がその状況になれば安楽死させてくれと遺言に書きました。 植物人間となるのを拒否します。 おばあちゃんも可哀想に・・・ オランダでは安楽死を認めたと聞きました。 日本は浪花節の国だからそう簡単には行かないだろうけどこれから団塊世代が高齢者となります。そうなったらホントに安楽死を合法化しなくては医療費が破綻します。 生き返るチャンスがない病人がベッドと高額の医療費を使い続けるのはおかしいです。三日でけりをつけるべきです。私は安楽死を支持します!
お礼
質問と回答がズレていますが、回答ありがとうございます。 死んでほしいとは思いますが、そう思ってしまう自分が何より嫌でした。 安楽死を支持されても、私はひ孫の立場なので意見できません。 きっと、ひいばあちゃんも今苦しんでいて、私なんかの気持ちよりずっとずっと辛いと思います。
- qwezxcasd
- ベストアンサー率33% (221/666)
貴方は、誰かに今のことを理解してもらいたいと 思っていると思いますが、無理です。 本来なら大人が考えてあげなければ、いけないことを 貴方は今考えているわけですから。 悩むよりしょうがありません。 大人たちを嫌いになると思いますが みんな心の余裕がなくなっていると思ってみてください。 自分は十分やっていると、思ってください。 でも大人がもめていたら、「私の前でそんな話はしないでください」 くらいは言って構いませんよ。
お礼
理解もですが、死んでほしいと思ってしまう自分が嫌で、それで後悔して、って、質問にも書いた通り、どうやって乗り越えたらいいのか、というほうが強かったです。 周りの大人たちが、余裕がないことはわかっていました。それでも時々死んでと思っていました。 大人の方を嫌いにはなりません。あなたも、他の回答者様も、私より大人です。大人はいろいろ、嫌なことも素敵なことも、教えてくれます。 他人の私に、皆様から救われる言葉をもらって、教えてもらって、嫌いにはなりません。 自分の生活と、やれることを、大事にしようと思います。 とばっちりやケンカは、余裕がないんだな、と思って受け流し、我慢できない時は、言おうと思います。 まだまだガキんちょな私に、回答ありがとうございます。
- aisa0901
- ベストアンサー率0% (0/1)
人間はそう考えてしまうのが 悲しいけど普通だと思います。 ただ、1つ。 死んだら二度と会えません。 当たり前なことですいません。
お礼
そう思うことが普通だとは思っていなくて、軽くパニックでした。 二度と会えない、と分かっていても思ってしまう時があります。そして後悔します。 だけど他の回答者様が言ってくれたように、自分も見失わず、やれることを精一杯やり、覚悟を決めておこうと思います。 ひいばあちゃんのことは、大好きです。死んでほしいと思うときも、大好きです。 回答、ありがとうございます。
うーん…
- gusin
- ベストアンサー率10% (46/423)
一刻も早く、日本でも、安楽死を認める法律を制定すべきであります。 海外ではすでに、多くの国で、安楽死を認めております・・・・・・・・・・・・・
お礼
たしかに私のひいばあちゃんはボロボロで、痛みを感じない麻薬と酸素でかろうじて生きています。 本人が一番辛いと思います。
先にお別れしておいたらいいのです。いや、別に冗談ではなく。 もういいお歳なんでしょ?いつ亡くなっても仕方ないんでしょ?臨終の瞬間に立ち会わねばなりませんか? 近所に住んでいても、いや介護に付いていたとしても臨終の時に間に合わないことはあります。 幸いといっては語弊がありますが、もう3ヶ月も危篤状態が続いているなら、いつ亡くなってもおかしくない訳です。若い人や社会人には日常の生活があるわけですから、それを全て停止して、もう来るだろうその時を待機するわけにいきません。 「ひいおばあちゃん、今までありがとう。さようなら」と心の中で別れを告げておきましょう。 世の中、突然の死で立ち会えない人もいっぱい居ます。今のうちにお別れをし日常の生活は普通に送りましょう。 例え出先で死の知らせを聞いたとしても、その時、少し時間をとり冥福を祈ってあげればいいのです。 あなたの心の中を他人に理解してもらう必要はありません。
お礼
そのようなことは一切頭にありませんでした。 ひいばあちゃんは94歳です。 私は今年19歳で、朝から夕方までのバイトが週5日に、休日はひいばあちゃんの付き添いです。 自分が嫌な気分だからって、理解してもらいたいって思ってたかもしれません。 少し拍子抜けしました。 重く考えすぎというか、私もいい歳して、自分のことをはっきり通せないのに嘆いて… 明日の午後、死に目に会えなくて後悔しないよう、心の中で言ってきます。
補足
お礼を忘れていました。 1番に回答をしてくれて、ありがとうございます。 心の中を理解してもらわなくてもいい、や、先にお別れを心の中で言う、は私には考えつくことができませんでした。 いろんな意味で、すごいです。 たしかに、心の中を理解してもらう必要はないし、 バイトの時に死に目に会えなければ意味がないです。 本当に、全くちがった、けれどとても為になる(それに助言も、自分を持つことも)意見、回答をしてくださって、ありがとうございました。
お礼
D(私の母)に、バイト以外の時間はひいばあちゃんに付き添うのが当たり前、ひいばあちゃんがこんな状態なのに遊ぶなんて許されないって言われていて、 それが当たり前だけど嫌でたまらない、早く死んでって思って、それを後から後悔して、 自分で自分の首を絞めてたような気がします。 口には出さずとも、そう思うことでビービー嘆かないようにします。 自分は酷くてそうとうな自己中な人間なんだと思っていたので、あなたのおかげで涙が出るほどホッとしました。本当にありがとうございます。