• 締切済み

自分自身の感情について

観覧していただきありがとうございます。 質問させていただきます。 自分自身の感情について 私はよく残虐な、目も当てられない ような光景が、心に浮かぶことがあります。 自分を受け入れたくても、なんで いちいちこんな事が、頭に浮かぶんだろう と思っています。 今は、無視をするか ただ過ぎ去るのを待つか 振り払い誤魔化します。 ブッタはマーラと沙羅双樹の下で、 瞑想して退治?対決したと本で読みました。 ブッタはどうやってマーラを 退治したのでしょうか? 同じような経験をされたことの ある方はどのように対処、暮らされて いますでしょうか? ご教授いただれば幸いです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.2

●私はよく残虐な、目も当てられないような光景が、心に浮かぶことがあります。自分を受け入れたくても、なんでいちいちこんな事が、頭に浮かぶんだろうと思っています。  ↑これは感情ではありません。気持ちの中の衝動です。 人は安心を享受しなければ生きていけないのです。つまり、こういうことを思い出すと安心するとかホッとするものがなければ生きられないのです。その安心の対象は人によって違います。残虐な出来事を思い出すと安心する人もあれば、或いは世界一といわれるような美しい光景をイメージして安心する人もあります。安心すると脳内に快感のホルモン「ドーパミン」を分泌します。このドーパミンの分泌があるから人間は生きていけるのです。 あなたの場合、ご自分が受け入れたくないにもかかわらず残虐なことを思い出す。と、おっしゃっています。これは、その残虐な出来事をイメージして安心している。と、言うことにはなりません。むしろ反対です。 では、なぜ望まないのにそのような残虐なことを思い出してしまうのか、です。それは、過去に残虐な出来事に出会った体験か、残虐に繋がる体験のイメージが処理されていないからです。残虐に至るプロセスが頭(脳)で処理されていないと、それが強烈であればあればあるほど未処理の状態で、或いはそれが増幅されて不安をあおる材料として思い出されます。 簡単に言うと、今落ち着いた安心の状態でないときに、不安な状況に自分をおいて、その中で安心を得ようとする無意識の衝動の働きです。心の中で自家撞着が発生しているのです。たとえばですが、本当はおいしい牛丼を食べておいしかった。と、いうようになりたいのに、牛丼を食べると悪霊に支配されるようになる、と一方で無意識にイメージするようなものです。 一番簡単な対策は、イメージを切り替えることです。残虐なことを思い出したなら、その残虐ないイメージを頭に思い浮かべたまま、頭の左上の方に小さくして追いやります。次に、今までで一番楽しくうれしかった出来事を思い出して、明るく頭の中にイメージします。そして、再び残虐なイメージを頭の中央に引き出して、その上に楽しいイメージを重ねます。そして、楽しかったことの思い出ととなったプロセスをイメージして思い出します。 こういう馬鹿ではと思われる方法で解消する確率はかなり高いのです。この方法はイギリスとアメリカの学者が開発した物を日本の研究者が実践的に構築した方法です。尚、これは何度でも繰り返し行わなければなりません。思い出したときに数回行うといいようです。お金も何もかかりません。欺されたと思ってやってみてください。しかし、あなたの大元の原因は幼少の頃の母親との関係にあるような気がしますが・・・。

238238a
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

238238a
質問者

補足

私は、残酷な映像 例えば料理をしていて自分の 身体に包丁が刺さるなどを 頭に思い浮かべて 今はそんな事起きていないから 安心だと自分を誤魔化しているんだな~とご回答いただいて感じました。 安心できているつもり なんだと思います。 精神的虐待を受けている 家庭環境がおかしいと心から 気がついたのは最近で、 今までは幸せだ 他よりマシだ なんて自分を誤魔化して生きてきた せいもあります。 すぐ脳が誤魔化してしまうのです。 しかも綺麗な映像で逃避なら まだ私も幸せなんですが、 本当にグロテスクな事ばかりで、 イメージ法は、効果あります。 ただ瞬発的に出来なくて すぐエグい自分の衝動に持っていかれます。 イメージ法 何回も繰り返してみます。 ご回答ありがとうございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.1

>ブッタはどうやってマーラを >退治したのでしょうか? 悟りをお開きになったのです。なおインドの教えによりますと、悟りっちゅうものは一代で開けるような甘っちょろいものではなく、輪廻転生するたびに人生を修業に捧げ、何度もそういう人生を送ることでようやく悟りが開けるそうです。仏陀もその前世はその前の前世でも厳しい修行に生涯を捧げたのだとか。 現代でもインドでは次の生まれ変わりのときに悟りが開けることを目指し修業をされる方が多くいるそうです。さすが悠久のインドですね。

238238a
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

238238a
質問者

補足

悟りとは、世界を自分をあるがままに 見る境地ですよね? 苦しみなら苦しみと楽しみなら楽しみと では、私には悍ましい感情がある とただ見るだけでよいのでしょうか?

関連するQ&A