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一期一会ってなんですか?
私は中学1年生の女子です。私は今茶道を習おうと思っています。それで自分で調べたり、人に話を聞いたりしていると 「一期一会」って言葉をよく聞きます。 『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』 って言う事は解るのですが、具体的にどんな事をするのですか? あと、「茶道をする時は白い靴下を履かないとダメ」って言われました。違う色の靴下をはいていても、茶道をするときには白い靴下に履き替えないと行けないって言われました。 どうして白い靴下を履かないとダメなのですか?
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中3女子です。私も茶道を習っているのですが “一期一会ってなんですか?” 「一期一会」の答えなんて、そうそう簡単に出る物とは思えません。 『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』 千利休の言葉で、茶道の筆頭の心得です。 あくまでも、私個人の解釈ですが、千利休が活躍した時代は戦国時代で、それこそ何時死ぬか解らないのが普通だったのでしょう。 現在でも、その心構えだけは大事にできると思います。 もしも、自分の命があと1年で終わるとすれば、その日までにどんな事をしようと思いますか? 毎日を大切にしようと思いませんか?私の印象を良い形で残してもらおうと思いませんか? 私はそう考える事で、普段からも言葉使いや礼儀作法に気を使うようになりました。 もう一度言いますが、あくまでも、私の解釈で、貴方にもそうして欲しいと言っているわけではありません。 “なぜ、白い靴下でなければいけないのか?” それは、今は「それが決まりだからだ。」っていう程度で充分だと思います。 茶道では礼儀作法を大事にします。礼儀作法というのは、片方だけが守っていても美しくありません。 お互いが、相手を思いやる。相手に対して誠実な態度をとる。そういう気持ちから礼儀作法が出来て行ったのだと思います。 両方、もしくは全員が礼儀作法を守ってこそ、美しいのだと思います。 茶道を習い始めたら、なぜ白い靴下でないのかをはじめ、色々な事を教えてもらえます。 それを楽しみにしてください。
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- ido-kawazu
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こんにちは。 一期一会に関しましては、ご年齢からして お作法を習得しながら感じていくことです。 「最後だとわかっていたら」(ノーマ・コーネット ・マレック)さんの詩を読まれますと理解が 早まるのではないでしょうか。 もし、明日が来ないとしたら、私は今日どんなに あなたを愛しているかつたえたい… 彼女が幼い息子さんとの別れを綴ったものです。 白い靴下に履き替える事が作法では有りません。 白以外でもご自分が汚れたまゝ、お招きされた 席に入って居ません!と示す方法があれば、 それでイイのです。 お茶席は、掃き清められた席にされて居ますのです、 招き、招かれた者同士の気使いの戦いの場でもあるのです。 若し、汚れたまゝですと貴女を同席させた正客・ 次客様に恥をかかす事にもなり、気配りが足らない ヒトになります。と思ってください。 もちろん、貴女が不作法で気使いが無い無作法を 恥と思えばです。 今にちでは、それがまかり取って居ますのです。 貴女が、茶道を通じて、指の先、髪の毛の一本にも気を 配る、素敵な所作が出来ます様、夢見ます。 御機嫌よう、さようなら。
お礼
好きな人と会えなくなったらって考えると悲しい気持ちになってしまいました。 お礼が遅れてゴメンなさい。 私は気配りができない人は恥ずかしい人だと思います。私は気配りができる女性になりたいです。
- tobirisu
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「一期一会」というのは、心構えです。 具体的になに?って言われると、あのねぇ・・・とちょっとつまってしまいますが、 「期」という字は、「最期」のゴです。 「最後」と「最期」は意味が違いますね。「最期」は人生の最後、死に際です。 人におもてなしをする時に、お辞儀ひとつでも、これが「最期」と思って心を込めなさい、という意味です。 たとえ相対しているのが憎い恋敵でも、明日はコイツ死んでるかも、と思ったら会うのはこれが最後、 心を込めてお茶を点ててあげようじゃないの、という気になるでしょ、みたいな。 お茶の先生に怒られそうな解釈でごめんなさい。 白いソックス、というのは、元は白足袋だからです。 白は一点の曇りない心を表します。 それと具体的には、汚れが目立つのでしっかりと洗わなくちゃいけない。その心意気が大切なのです。 いつも新品のソックスならいいでしょ、って問題じゃないです。昔の人はそうそう足袋を買い替えたりしません。 同時に、お迎えする側もお客様の白足袋が汚れないように、しっかりとお掃除をしなければならない。 茶道は武士の嗜みだったので、そういう緊迫感を大切にするのです。
お礼
心構えだから、その時にできるだけ精一杯の事ができたらいいのですよね。 靴下も白って事が大事なわけですね。わかりました。
- ace001
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僕の持論になりますが 「後悔するな」って事。 人付き合いにおいて あの時に、こうしておけばよかった、と 思うことがありますよね? 友達に相談されたのに「あとで!」と言って邪険にしたり 旅先で見知らぬ素敵な異性と会話して好感を持ったのに 名前も連絡先も聞けずもう二度と会えなくなる。 それで忘れてしまうならそれまでだけど それが原因で友達と修復できないくらい仲が悪くなったり いつまでも素敵な旅先の異性を思い続けるなら 一期一会だったのだと思いますよ。 世の中の全てが再現不可能な事象ばかりではありません。 科学的な厳密さを言えば 同じ時刻は二度と来ないので 全てが一期一会になるのですが 通学に使う電車は毎日同じ時刻に来るように 全体としては何度も繰り返す。 でもある時には繰り返しと違う状況になる。 その時に後々悔やむ事にならぬよう あらかじめ心を鍛練するのが 茶道の本筋ではないでしょうか?
お礼
後になって後悔しないように、人との付き合いを大切にしろって事なんですね。
- hiro822
- ベストアンサー率20% (131/637)
作動について何もわからないですが、 一期一会の具体的な実践の方法は、状況によって千差万別なのではないかと思います。 ちょっとした心遣いができると良いと思います。 たまたま居合わせた隣人に、声をかけるだけでも、ひとつの実践だと思うし、 困っている人に、手を差し伸べるのもひとつの実践だと思います。 茶道の場合、お茶やお菓子を手渡しで渡したり、 人と人との間がとても大切なものになるのではないかと思います。 そこで、こういった言葉の重要性が高まるのだと思います。 手渡す方法とか、時を共有するときの心のあり方、その心配りを、分け隔てなく出会った人に対して、 するのが良いということなのではないかと思います。 白い靴下とは少し縛りが厳しい感じがしますかね。 人と人が集まるところでは、いくつかのルールを持っていたほうが、便利なところが多いと思います。 なので、ほかの場で許されることが、許されないルールや作法があるところは多いと思います。 みんなが揃えることで、秩序が保たれるという考えだと思います。 作動の場合には、身だしなみが一つ重要な要素なのだと思います。 清潔感があり、万人が深いと思わない。そういう色として白い靴下は美しいと思います。 カラフルなおしゃれな靴下も他の場面では良いですが、万人受けするかという意味で、茶道には適さない気もします。 おそらく茶道の身だしなみでは、もっと厳しい身だしなみを要求するところも多いのではないかと思います。 人と人の間を重んじた道だからです。 そういうところを少しでも導入の場面からも知ってほしいとして、 靴下あたりからルールにしているところには、指導者のささやかな配慮があるなぁと感じました。 初めからバッチリ型を与えてしまわれると、堅苦しくて仕方ないと思うので。 着物とか、髪の色とか長さとか、化粧の濃さとか歩く歩幅とか、きちっとルールがあると、 とても落ち着いた秩序のある美しい形に近づいていくものとも思います。
お礼
「一期一会」は心がまえなのですね。その人と次は会えないかもしれない。そのつもりで接しろ。って事なのですね だから人には親切にしろ。って事でいいのでしょうか。 白い靴下を履くのは見た目を気にしての事なのですね。たしかに柄物やカラフルな靴下よりも印象は良くなる気がします。
- バグース(@bagus3)
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一期一会とは、同じ人と何度も会っても今会っているという 瞬間は二度とこないのだから、感謝と感動の念を持つようにという 心構えを言っているのであって、高価なものや貴重な食べ物を用意するという ことではないんです。 もともとは和服で行うものなので、足袋の代わりのソックスなら白しかない ということです。そして、汚れを神聖な茶室に持ち込まないということで、 入室の前に履き替えるのがマナーです。
お礼
高価な物や貴重な食べ物を用意しないといけない訳では無いって事は解るんですけど 今できる最高のおもてなしってなんなのか解らないんです。 もう二度と会えないかもしれないって想像はできるんですけど、その人の為に何をすればいいのか解りません。 白い靴下は足袋の代わりなのですね。白でないと行けないのは神聖な茶室を汚さないようにと言う事なのですね。 入室前に履きかえる事の意味も解ったような気がします。
お礼
自分は挨拶したのに、相手は挨拶してくれなくて嫌な思いをした事はあります。 礼儀作法って片方だけじゃなくて両方が守らないとダメなんですよね。 自分が会えなくなるかもしれないって考えて、私も毎日を大切にします。