仰る通り「冤罪問題」と「死刑の是非」は別問題だと思います。
わたしは死刑は肯定しても冤罪は肯定しません。
米国並に取調べの可視化は必要だと思われますし、司法取引
もあるほうが良い。 自白頼りの前時代的な捜査はごめんです。
ただし同時に「おとり捜査」も認めてほしいものですが。
さて、菊田幸一(氏など敬称など必要なし)について。
冤罪により有罪とされたものは、死刑や収監によって失われた
命や時間だけを問題にしていますが、一年未満の禁固刑であろ
うが社会的制裁によりその失職や家族との離別、世間の冷たい眼
など人生が奪われることになります。(痴漢冤罪の罰金刑でさえも)
冤罪の可能性があるからと言うならば、その冤罪を生み出す司法の
構造か手法に言及すべきで、だから死刑廃止せねばと語るのは
自身の死刑廃止を訴求するための詭弁に過ぎません。
>菊田幸一氏は、・・・むちゃくちゃな理屈です。
はい。詭弁です。そして菊田幸一のむちゃくちゃな理屈は今に始まっ
たわけではありません。
おそらく質問者様は御存知でしょうが、回答No.3様は菊田幸一の過去
の発言を知っておられるのでしょうか。
wikiより菊田幸一の過去の発言を引用します。
自著『死刑廃止・日本の証言』では、死刑囚の母親(大道寺幸子)と
の対談中「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者
の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」と述べている。また、テレビ
の生放送討論会で「司法が制裁を与えないなら、私が殺す」と発言し
た本村洋に対して「あんた、(犯人の)少年が死ねばそれで満足なの
かよ」、「法律も知らないくせに」と発言した
まさに外道。わたしが被害者の遺族なら顔形が変るまでぶん殴って
います。
お礼
>冤罪の可能性があるからと言うならば、その冤罪を生み出す司法の構造か手法に言及すべきで、 まさにその通りです。 回答ありがとうございました。
補足
>わたしが被害者の遺族なら顔形が変るまでぶん殴っています。 私もそう思います。加害者は生きている限り、限られてはいても楽しみを味わうことができます。しかし、殺害された被害者は、過去に努力したことから将来の希望まですべてを奪われたのです。その無念は計り知れません。 しかし、こういう被害者側の感情に立脚した死刑を支持する考えに対して、反論する人もいます。 この人がそうです。⇒ 死刑賛成と、「被害者遺族感情」を利用して叫ぶ人を、私は決して信用しない http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62653703.html