「作ることが可能か」との問題と同時に「どの様な方法で作ることができるか」が問題の焦点です。
これを抽象化すれば、結論にいたるための具体的なプロセスが適切であるかどうかを検証せよとの、自然科学・社会科学共に共有する問題といえます。それをあの未熟な女子学生は理解すらもしていなかった。これでは研究者としては失格です。
そして意図的に問題をずらして、自らの責任を回避しようともしている。当初は「オレンジジュース程度の酸に浸す」ことで、細胞を初期化できるとしていたが、今では「STAP細胞に関する道が閉ざされることを危惧する」として、責任回避に躍起となっているのですから、問題以前です。研究全体の深化があるならば、自身の見解に対する批判が提起されることも当然です。最初から自身の結論が絶対的であるなどと勘違いしているならば、それこそ宗教と変わらないレベルになります。
理研は小保方モデルと別のモデルを比較もするはずですから、その結論を待つ以外にはないでしょうね。でも小保方モデルクラスならば、既に他の研究者もとっくに再現に成功しているはずですから。
そして「文章の盗用くらい大目にみてもよい」。これは前提からして間違っているともいえます。自身が検証もせずに他の研究論文をそのまま持ってくるから、木に竹を接ぐとの形で矛盾や齟齬を来しもします。そうした論理を「後出しジャンケン」と呼びます。