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合格した大学が不合格で落ち込んでいます。大学に行きたくても行けない人もいるなか、私のような考えは甘えでしょうか?
- 来月から大学生になる者で、合格する予定だった大学が前期試験で不合格になりかなり落ち込んでいます。
- 一つ私立大学には合格したので、どこにも行くところはないですが、その大学にはあまり行きたくありません。
- 大学に行きたくても行けない人もいるなか、私のような考えは甘えでしょうか?死んでしまったら友達とも会えなくなり、これは堪えがたいと思います。
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私も第一希望の大学に落ちたときは、貴方のような気持ちでしたし今の大学は試験1ヶ月前位に適当に決めて受験したので当然、報告書を書くときや入学前のガイダンスの時は嫌で耐え難いものでしたが、両親に高い学費を払ってもらい通わせてもらうので辞めたいとは言えずにいました。ですが大学の講義で「人生、全てが思い通りになったらつまらない!とりあえずでいいからやってみる、意外と楽しいかもしれない。やってみてどうしても嫌なら辞めればいい。」という言葉を聞いてスッと心が軽くなりました。嫌なこともたくさんありましたが、今では、友達もたくさんできてこの大学にして良かったと思っています。 ご参考にならなかったらすいません。でも、いつまでも嫌だで逃げて甘えてはだめです。
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- TANUHACHI
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もし貴方がA大学もB大学も法学部に出願していたならば、貴方が大学に求めていたものは、大学で法律学や政治学を学びたいとの学問的な意欲に裏付けられていたことを証明することになります。それならば第一志望のA大学を不合格になっても、B大学で同じ学問領域を志すことに違いはありませんから、それほどに自己卑下する必要なないでしょう。 けれどもA大学は法学部、B大学は文学部に出願するなどの偏差値や世間の評判を拠り所にした選択ならば、僕は迷わず、「どうしてそんな無意味なことをするの?」と質問したくもなります。これは大学の教員としての言葉です。 大学に進むことは専門領域を学ぶことに意味がありますから、ネームバリューがそれを左右する要因といえるでしょうか。近年では仮面浪人などの姑息な手段を用いて、高校時代に描いていた第一志望校に合格することを夢見る向きも散見されますが、仮面浪人や偏差値で大学の優劣を判断することは、大学受験に合格することで双六の上がりと同じ意味になります。 けれども大学に入学することは、実際に学問の世界に入っていくスタートラインに立つだけのことでしかありません。 この違いをお考えになってみてください。
お礼
ありがとうございました。
- U_Sugishita
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行きたくなければ受験するなよ、金と時間の無駄やね。行けるところに合格するまで働きながら勉強すればいい。
お礼
ありがとうございました。
- ruck
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志望大学のためにずっと頑張ってきたけれど、不合格だった。 合格する予定だったと言うことは、自信もあったのでしょう。 落ち込んで当然です。でもよく思いとどまりました。 中期·後期の結果待ちで、時間があるようでしたら、 「電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ 」(角川文庫) を読んでみて下さい。 大学に行きたくてもいけない人どころか、生きたくても生きられない 子供たちもいることがわかるでしょう。 そして落ち着いたら、残される人の気持ちも考えてみて下さい。 そしてこれからのことを考えましょう。 浪人して来年もう一度受けるのか。併願の私立に行くのか。 それとも他の道を探すのか。 人生何がよかったかなんて、終わってみなければわかりませんし、 良くするのもしないのもあなた次第です。頑張って。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。