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短気すぎる?それとも
さっそくですが、 私は短気な性格だと思います。 小、中学時代はいい先生ばかりに当たり、そんなことはなかったのですが。 高校時代には教員を殴りそうになったことが多々ありました。 (物に当たり何とか気持ちを抑えた感じです。) そして、つい先日、近所に住んでいる軽い知的障害(少し話が通じないことがあったり、訳の分からない独り言を言ったりする。普通車免許は所持している。)がある人に挑発されて本気でキレてしまいました。 手は出してませんが。 その時、この人を本気で相手する自分は この人と同じレベルなのではないかという不安が生じました。 私自身、自分に障害があるとは到底思えないですが。 皆様の見解をお聞かせくださいm(_ _)m
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- hucha
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別に貴方に障害はありません。 高校生の時代に先生と意見が食い違い、暴力に発展するのは青春ひとつです。この場合、思春期に起こる心の不安定によるものです。普通に高校では見かけるはずです。 知的障害の方に本気で怒りたくなるのも人間として当然です。しかし、障害を知っているなら、相手のことを思いやることもできます。例えば自分が手を出すときは軽く叩くとかです。私も軽く知的障害の気はありますが、むしろ周囲の人と平等に扱われた方がいいです。 貴方は普通の人です。
- HeyXey
- ベストアンサー率26% (134/497)
寝付けないので(あるいはお礼コメントに気分を良くして)もう1度回答させてください。 以前、ためしてガッテンで“怒りの心理学”というのをやってまして、『OOだから怒る必要はない』を考えるのだそうです。OOには何が入ってもよく、例えば、『性格はすぐには変わらないから、怒る必要はない』とか、『他の人にもムカツク態度で嫌われているだろうから、自分があえて怒る必要はない』とか、百人いれば百通りの答えがあるのです。僕が思うに、これは論理療法(心理療法の一つ)の根幹だと思います。「考えかた」を変えることで心理を変えようというものです。むつかしい言葉で「認知的再評価」、平たく言えば「(自分への)言い聞かせ」ですね。 スリランカ仏教の長老でアルボムッレ・スマナサーラという人が『怒らないこと』という本の中で、怒っている時ひとは不幸である。だから怒ってはいけないのである。と言っていたように記憶しています。一般的な「べき」論ではなく、もっと根源的な「幸福論」的に説得しようとしている印象を受けました。 前回、アサーションを挙げましたが、“ノン・バーバルコミュニケーション”というのも検索してみてください。言いにくいことは、ノン・バーバルに好意を伝えた上で、言葉で「言いたいことを言う」、というのが僕のもっともポピュラーな方法です。また、“肯定的表現”で検索してもらいたいのですが、「相手の自尊心や身持ちを大切にした表現」というのは、なかなかに難しいものです。 自分を客観的に見るというのも基礎になると思うのですが、それにも技術があると思います。検索:“人を見る目 原因帰属理論” “全体という化け物” 。 同じ状況に遭遇しても、怒る人もいれば、そうでない人もいます。“事実”は同じなのに、人によって事実に対する“解釈”が違うのです。私たちは同じ世界に生きているようで、実は違う世界に生きているのです。心理学ではこのことを「心的現実」と呼んだりします。検索聴く:“ 講演「心の健康 ~幸せになれる人、なれない人~」” すみませんね~、『教えたろか』みたいな嫌な感じで^^;
お礼
いえいえ、知恵を授けてくださって ありがとうございます。 嬉しく思います。
- azusasasuza
- ベストアンサー率12% (2/16)
貴方は短期ではありません。ただの見栄っ張りの小心者です。 本当に短期な人だったら、 >高校時代には教員を殴りそうになったことが多々ありました。 などと、言わずに本当に殴っています。 それに、物に当たるなんて周囲から見たら本当に軽蔑の対象ですよ。 それだけは止めた方が良いと思います。 無抵抗な物(自分よりも弱い人物も含めて)、に暴力を振るう男性を、愛し、尊敬する女性は居ません。 ただ、軽蔑の対象になります。 >その時、この人を本気で相手する自分は この人と同じレベルなのではないかという不安が生じました。 それも違いますね 貴方はその障碍者以下のレベルです。 まずはその事に気づきましょう。 「キレた。」と言うのでしたら、手を出せばいいのです。それが出来ないからバカにされるのです。 知的障碍者だって人間です。同じ人間なのです。場合によっては手を出すのも仕方ないと思います。 「手は出せない。」と言うのでしたら、「キレた。」など言わない方が良いのです。 言えば言うほど、あなたの恥になります。 高すぎるプライドは呑みこむべきです。大丈夫です。毒じゃないから死にはしません。 さんざん、キツイ事を言った見たいですが、見栄っ張りの小心者ってそんなに捨てた物じゃないと思いますよ。 それだけ、周囲を気にしながら慎重に生きている。って事ですからね。 さっきも言ったように、本当に短期な人で、すぐに人を殴ってしまう人よりは よっぽど人間として尊敬できます。 16歳の小娘ですが、私が恋するとしても、短期な人よりも、貴方のような慎重な人ですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに教師には手は出しませんでした。しかしそれは、高校を退学になることが目に見えていたからです。 自分の力だけで高校に入学した訳ではないことはわかっていたので、周りの方々の尽力を無駄にしたくなかったからです。 校外では、散々暴力を振るっていました。 説明不足でしたね。すみません。 あと、私が障害者以下と仰っていますが、いまいち論の理解が出来ないので説明していただくと助かります。
- HeyXey
- ベストアンサー率26% (134/497)
こんばんは。へたな回答のなかに、何かヒントを見つけてくださいな。 一つ言えるのは、「させられてる感」があるのではないかということです。「我慢させられてる」とか、「腹を立てさせられた」とか、「気分を悪くされた」という感覚です。自分には選択肢・自由がなくて、相手次第という考えになっていませんか。『あいつがあんな言い方(態度)をするから』・・・ 冷静になって考えると、そういうことを口に出すのは恥ずかしい事だと思いませんか。自分の感情なのに相手のせいにしてしまっている、幼い考え方だと思うでしょう。怒るべきだから怒ったのなら、それでいいのです。検索:“自分の感情に責任を持つ” ‘自我の境界が不鮮明’とでも言うのでしょうか、「他人は他人、自分は自分」ということが十分に出来ていないのです。『こうすればいいのに』とか、『なぜ、判ってくれないんだ』とか、自分の延長線上で他人を見てしまうのです。そして、他人がすべき反省をしてしまい、自分がすべき反省はなおざりになってしまうのです。 基準の問題?。人格の持ち方として、「as if personality」=「かのような人格」を目指す人がいるのですが、そういう人は当然ながら“主体性”を持ちにくいようです。そして、「させられてる感」を持ちます。 これは、親に対しても同じです。自分には自分のとれる態度に限り(制約)があり、その中で最善を選ぶしかありません。『我慢するという選択肢が最善だと考えたので我慢したのだ』と自信を持って言えるなら、それ以上怒りは増幅しないでしょう。 いわゆる「キレる」状態というのは、「冷静になることを怖れている」状態のことです。冷静に話し合えば、とうてい自分の正当性を主張することができず、都合が悪いので、「頭に血がのぼって訳が判らない状態」になることでごまかし、弱い自分を守ろうとしているのです。 言いたいことを言える技術がないばかりに、キレるのかも知れません。そうなら技術を磨きましょう。検索:“アサーション”“アイ・メッセージ”“自分中心”“コーチング 第1感情 第2感情”“言いたいことを消化する” また、議論する前に考えておくべき項目があります。検索:“【人を説得する十二原則】 原則1:議論をさける” 質問者様が賢者なら、もうヒントを掴まれたと思います。ただ、実践は頭で考えるより難しいと思います。身近な親が手本にならない場合はハンデとなるでしょう。気長にやってください。
お礼
回答ありがとうございます。 私が読解力に乏しい上 貴方の御回答は とても哲学的なものでしたので 2.3度しっかり咀嚼しながら読ませて頂きました。 貴方のような賢者と出会えて光栄に思います。 ありがとうございます。
- flw__2014
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殴りそうになったとか、手は出してないとか 結局、そんな度胸もなく、人を見下したいだけだろ 自分は他人と違う。上の人間だって、、そう思いたいだけ。 実際は違うのに。。。
お礼
ちゃんとお礼はさせて頂きます。 回答ありがとうございます。 確かに、プライドが高すぎるのかなと質問文を見て私自身も感じました。 参考にさせて頂きます。
補足
ひとつ言い忘れたので、補足という形で言わせて頂きたいのですが 貴方の他の回答も拝見させて頂いたんですが、この回答にしても、他の回答にしても少しネチケットが欠けているように感じます。 そのような質問主を挑発する態度で回答するのは控えて頂きたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 知的障害がおあり(?)の方から回答していただき助かります。 ありがとうございました。 p.s. 質問文で、「知的障害者と同じ土俵にたつのが嫌」ともとれる文を書いたことを反省しています。 けっして、障害者差別をしている訳ではありません。 お気を悪くされたなら申し訳ないです。