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みなさんは今までの人生でどん底に落ちたというような
みなさんは今までの人生でどん底に落ちたというような経験ありますか? またそれからどうなったのか教えてください!
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- 05051036
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体臭で仕事クビになったときです。 超閑職(実質上の退職勧告)への辞令とともに、私が強烈な体臭で皆に迷惑をかけ、お客様からもクレームがたくさん寄せられていると告げられました。 同僚の皆は前々から遠まわしにだけど指摘していたそうなんですが、ことごとく自分に都合のいいように解釈していたため、察することができてなかった点も含めて激しく罵倒されました。 職歴に空白期間があり、厄介な持病や障害者福祉の対象にはならないが生活や就労にはれっきとした支障をもつ障害を持つ上で更に体臭を抱えたということで将来に希望が持てませんでした。 色々調べて改善できて再就職できたと思ったら、まだ改善できてなくてこれまた遠まわしに指摘されてたのに察することができてなかったのを激しく責められるのを繰り返しました。 そのうち、普通に過ごしてる周りの人がみな内心では私の体臭に辟易していて、普通の人には普通に伝わるけど私だけわからない方法で指摘されているのではないかという疑念に囚われほとんど外に出られなくなりました。 そんな時期にこのCMが流されたこと。 人権人権とうるさい手合いがこれにはケチつけなかったのがトドメとなりました。 http://www.youtube.com/watch?v=bZt59jYs8Xw http://www.youtube.com/watch?v=sSUhdCYnSFw どうにか再就職できた職場では極力人と関わらないようにして社員食堂は利用せず車の中で食事を済ませる。 買い物してるときも、一旦手にしてしまった商品はもうニオイが染み付いてしまうから責任もって買い上げねばならないと考える始末。 本当に必要最低限の用事だけこなして逃げ帰る日々でした。 といっても、あまり急ぐと汗をかいて臭ってしまうという不安もあり、ほどほどのペースでしたが。 親からしつこく帰省するよう呼びかけられ、もうやけになりニオイで団欒をぶち壊しにしてから縁を切ってやるつもりで実家に出向いたところ…。 姪っ子に満面の笑顔で抱きつかれすんなりと懐いてくれたので、さすがに臭かったら懐いてはくれないだろうと思い、どうにか帰りはさほど周囲の反応に怯えずに済みました。 こうして社員食堂を利用する勇気が出ました。 同僚とも打ち解けることができました。 買い物してて、一旦手にした商品よりよいものを見つけたので陳列棚に戻せたとき、不覚にも涙が出ました。 今でも時々不安になることはありますが、姪っ子の笑顔を思い出すと元気になれます。
- hekiyu
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”みなさんは今までの人生でどん底に落ちたというような経験ありますか?” ↑ あります。詳細は思い出すのもイヤですし 恥ずかしくて人に言えません。 ”またそれからどうなったのか教えてください! ” ↑ 何しろ金が無くて無くて。 近所のパン屋さんでパンの耳をもらってそれで 飢えをしのいでいました。 スーパーでも¥10円で山ほど売っていました。 ある日、小さな女の子が母親に 「こんなモノ買う人がいるの?」 と聞いたのを耳にしたときは、とうとう買えませんでした。 パンの耳、二日もすると喉を通らなくなるんですね。 水で無理矢理押し込みました。 そうやって半年ぐらい過ごして、その時の習慣が今でも 残っていまして、嫁さんと二人、年に使うお金は60万 未満です。 税金以外、管理費、光熱費など総て含みます。 こんな私からみると、生活保護は贅沢保護にしか 見えません。 今は笑い話で、会う人毎に貧乏自慢をしています。
- eroero4649
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ありますよーありますよー。少なくとも2回。23歳くらいのときと30代前半くらいのとき。 20代のときはどん底というのの恐ろしさを知りましたね。よく「ここまで落ちたらもう上がるしかない」なんていいますが、そう思ってたらまだ底があった。もうここがどん底だと思ったらさらに落ちた、みたいな感じで上には上があるように、下には下があるもんだなと思いました。 30代のときは静かに落ちていったという感じです。静かに、ああ、俺の人生はもう終わりだなーと思いました。それでうつ病を患いました。 それからどうなった?まあ、いつまでもそこにはいなくて浮上はしたことはしましたが、特にきっかけとか思い出せないですね。いつの間にやら気がつくと嵐は収まっていた、という感じかな。ただ、収まっていたことにしばらくは気づかなくて、ああ、もしかして嵐はもうとっくに終わってる?って感じかな。 どん底にいる最中はもうとにかくもがいていましたね。うつ病のときはもがく元気もなくなって流されるがままというのが合ってるかな。
高校一年の時、自営業をしていた父が詐欺にかかり破産しました。布団に包まって除夜の鐘を聞いたことは忘れられません。 「この状態から抜け出すには勉強するしかない。」と言う母の言葉を守り、私も弟(当時中1)も必死で勉強しました。 大学の入学金は母が知り合いから借りてくれて東京に出てきました。 20代、30代は兄弟で会社を興して必死でした。自分達で自営するしか両親を支えていく手段はありませんでした。自営だったので母もお金の心配はなくなったはずです。その間に母も亡くなりましたが、母は兄弟の仕事も“何とかなった”のを知って安心して息を引き取ってくれました。 今は、父も弟までもこの世にはなく、私の女房殿まで鬼籍に入り、娘と二人です。娘は大学を出て良い企業に就職でき、今は東京を離れています。 私は独居老人で娘の犬の面倒を見ながらマンションの大家兼管理人(ゴミ出しのオジサン)です。 あとは如何に死ぬかの問題です。こればかりは人事では如何ともしがたい。 娘が良い人と結婚してくれれば私の役目も終了。女房殿の元に行きます。